貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大石田から乗船して・・・!

2021-12-21 15:28:55 | 日記
令和3年12月21日(火)
 立石寺の後、最上川岸に出て、
舟に乗ろうとして大石田(山形県大石田町)で
舟待ちをする。
 土地の人に頼まれて、
句作の手ほどきをする。
 舟に乗ると、左右に山が迫り、
白糸の滝は青葉の間に白い飛沫を
見せている。
 そこで、一句。
さみだれを 
  あつめて早し 
       最上川


想像の世界を様々に!!

2021-12-20 15:35:34 | 日記
令和3年12月20日(月)
閑さや 
  岩にしみ入 
      蟬の声
 山奥の静かさのさなか、
心地よく澄んだ耳に蟬の鳴き声がする。
 堅い大きな岩に吸い込まれて、
また静かになる。
 蟬の鳴き声が、何と静かさを深めることよ、
という心象風景がまず考えられる。
 蟬の声を、
斎藤茂吉はアブラゼミとしたが、
小宮豊隆はニイニイゼミとした。
 これは、後者の勝ちになったという。
 ニイニイゼミの鳴き声だ。
 じいっと長く尾を引く鳴き声だが、
途切れた時に息継ぎのような静寂がある。
 それを芭蕉は逃さず感得したのだ。
 しかし、芭蕉は散文では、
寺は「物の音聞こえず」と書いている
のだから、蟬は鳴かなかったとも言える。
 すると、
「岩に巌を重ねて山とし」の岩が
生命を持つ蟬を飲み込んだ後の静けさを、
つまり岩が生きているかのような
アニミズムの世界を描いているとも言える。
 とにかく、面白い。
 様々な想像を読む人に恵んでくれる
秀句だ。


佳景寂寞、心澄み!

2021-12-19 14:32:19 | 日記
令和3年12月19日(日)
 五月二十七日、立石寺の宿坊に
泊まる。
「山形領に立石寺といふ山寺あり。
慈覚大師(平安初期天台宗の僧)の開基にして、
ことに清閑の地なり。
 一見すべきよし。
 人々のすすむるによりて
尾花沢よりとって返し、
その間(あい)七里ばかりなり。
 日いまだ暮れず。
 ふもとの坊に宿借りおきて、
山上の堂にのぼる。
 岩に巌を重ねて山とし、
松柏年旧(ふ)り、
土石老ひて苔なめらかに、
岩上の院々扉を閉ぢて、
物の音きこえず、
岸をめぐり、
岩を這ひて、
仏閣を拝し、
佳景寂寞として、
心澄みゆくのみおほゆ。
閑さや 
  岩にしみ入 
      蟬の声


人恋し ひきの声!

2021-12-18 15:02:58 | 日記
令和3年12月18日(土)
  尾花沢(今の山形県尾花沢市)で、
清風という旧知の俳人を訪ねる。
 紅花問屋の金持ちだが、
人柄がよく、
京都や江戸でも会っていたので、
長旅をいたわり、もてなしてくれた。
 芭蕉と曽良はここに十日間も滞在した。
這出よ 
  かひやが下の  
     ひきの声
 「かひや」とは、「飼屋」、
つまり、蚕を飼っている小屋のことで、
その下で鳴くひきがえるの声が
いかにも人恋しいというのだ。
 その声は鈍重だが、
滑稽味もあるので、
山から抜け出てきた芭蕉には、
さらに耳に快く響いたであろう。


道中不用の恐怖のおかしみ!我も同じなり

2021-12-17 14:59:07 | 日記
令和3年12月17日(金)
 その道中の原文と解釈!
「あるじの言ふにたがはず。
高山森々として(樹木が高く茂り、静寂に包まれ)
一鳥声聞かず(鳥も鳴かず)、
木の下闇茂りあひて、
夜行くががとし、
雲端につちふる(雲の端から
砂交じりの風が吹き下ろすような)心地して、
篠のなか(小笹を)踏みわけ、踏みわけ、
水をわたり、
岩につまづいて、
肌につめたき汗を流して、
最上の庄に出づ。
 かの案内せし男(おのこ)の言ふやう、
『この道必ず不用(ぶよう)のことあり。
つつがなう送りまゐらせて、仕合したり』
と、よろこびて別れぬ。
 あとに聞きてさへ胸をどろくのみなり
(胸ががどきどきするようだ)。」
 この一節、文章は深山の道中を正確
に写生していて迫力がある。
 同時に、ぼろ屋で自然と死に
弱々しい恐怖を覚えているおかしみが
伝わってくる。