貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

賑わう民の庭竈

2020-02-08 09:19:08 | 日記

賑わう民の庭竈

令和2年2月8日(土)

 大津市にある滋賀院門跡。

 初の参拝!

 こういうお寺があることも

知らなかった。

 芭蕉様々である。

 春泥を踏み手・・・の心境!

  この寺は、元和元年(1615)に

江戸幕府に仕え、「黒衣の宰相」

とも称された天台宗の僧天海が、

後陽成天皇から京都法勝寺の建物

を下賜されてこの地に建立。 

 明暦元年(1655)には、

後水尾天皇から滋賀院の名と

寺領千石が下賜される。

 滋賀院御殿と呼ばれた

長大な建物は明治11年(1878)

火災により焼失。

 比叡山無動寺谷法曼院の建物

3棟が移されて再建される。

 書院には、江戸時代初めの

狩野派の障壁画が見られ、

また、庭園も名庭。

 「仁徳天皇『高き屋にのぼりて

みれば』との御製のありがたさを

今もなほ」という前書きの後、

「叡慮にて 賑ふ民の 

   庭竈(かまど)」

 元禄元年秋冬の頃の題詠句。

 その句作は、芭蕉。

 仁徳天皇のご詠歌と伝えられる

「高き屋に 登りて見れば 煙立つ 

 民の竈は 賑ひにけり」 。

「庭竈」とは、正月三が日間、

土間に新しい囲炉裏を切って

薪を焚き、囲りに主人家族、

奉公人らが集まって大服茶、

酒、焼餅などを飲食して団欒

する民間行事。

 小学生の歴史で、

「仁徳天皇は、自分の館から

民の住む村を眺め、煙突から煙り

が出ているのを見て、安堵された。」

と、先生が話されていたのは、

このことなのかと思い出す。

 元禄の頃、奈良の庭竈が有名

だが、滋賀でも行われたか。

 道路沿いの街灯?の歌をよみ、

この地に漂う風雅と静寂を味わう。