園城寺は「御井の寺」
令和2年2月1日
正月は行き、「逃げる」
2月突入。
暖かな正月も初体験。
今朝は、大好きな長等山。
園城寺へ。
天台寺門宗の総本山である
三井寺(みいでら)は 正式名称
を長等山園城寺という。
湖国近江の名勝、
近江八景の一つ、
「三井の晩鐘」
として有名。
667年に天智天皇により飛鳥
から近江に都が移され、
近江大津京が開かれる。
672年、前年の天智天皇の永眠後、
大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)
と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)
が 皇位継承をめぐって争い、
壬申の乱が勃発。
壬申の乱に敗れた大友皇子の
皇子の大友与多王は父の霊を
弔うために 、
「田園城(じよう)邑(ゆう)」を寄進
して寺を創建。
天武天皇から「園城」という勅額
を賜わったことが園城寺の始まり。
勝利をおさめた大海人皇子は
再び飛鳥に遷都し、
近江大津京はわずか五年で
廃都となる。
三井寺と呼ばれるように
なったのは、天智・天武・持統
天皇の三帝の誕生の際に
御産湯に用いられたという
霊泉があり、
「御井の寺」
と呼ばれていたのを後に、
智証大師円珍が当時の厳義・
三部潅頂の法儀に用いたこと
に由来。
仁王門から入る。
三重塔も立派。
かつて拝礼する度に衝い
ていた三井寺の鐘は、
今回は眺めるだけにする。
三井の晩鐘
「盃に
片破ハなし
花の鐘」