貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

遊行の砂持

2019-03-21 08:51:41 | 日記

遊行の砂持

平成31年3月21日(木)

 鶯の語らいに目が覚める。

 もう春分の日。

 今朝も暖かい。

 敦賀の里も暖かいだろうなあ。

 氣比神宮参拝!

この前の境内に、

芭蕉の立像と句碑がある。

『奥の細道』には、

「漸白根が嶽かくれて、比那が

嵩あらはる。

 あさむづの橋をわたりて、

玉江の蘆は穂に出にけり。

 鶯の関を過て、湯尾峠を越れば、

燧が城。

 かへるやまに初雁を聞て、

十四日の夕ぐれ、つるがの津に

宿をもとむ。

 その夜、月殊晴たり。

「あすの夜もかくあるべきにや」

といへば、

「越路の習ひ、猶明夜の陰晴

はかりがたし」

と、あるじに酒すゝめられて、

けいの明神に夜参す。

 仲哀天皇の御廟也 。

 社頭神さびて、松の木の間に

月のもり入たる、おまへの白砂

霜を敷るがごとし。   

 往昔、遊行二世の上人、

大願発起の事ありて、みづから

草を刈、土石を荷ひ、泥渟をか

はかせて、参詣往来の煩なし。

 古例今にたえず、神前に真砂を

荷ひ給ふ。

 これを『遊行の砂持と申侍る』と、

亭主のかたりける。

「月清し 遊行のもてる 

        砂の上」 

<芭蕉像の背面にこの像の説明がある。>

 十五日、亭主の詞にたがはず

雨降 。

「名月や 北国日和 

        定なき」 

と記されている。

 芭蕉の敦賀市訪問の目的の一つが、

美しい月の姿を句に詠むこと。

 敦賀では特に、

 “中秋の名月”を心待ちにして

いたようだ。

 つづく。