貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

野分して、盥や洗面器、鍋に・・・!

2019-03-02 09:10:16 | 日記

野分して、盥や洗面器、鍋に・・・!

平成31年3月2日(土)

 『ぼくの細道 芭蕉の古径』の、

上梓の準備に明け暮れた2月、

やっと目次、はじめに、あとがきを

まとめ、4日に印刷屋へ届ける見通し

が立つ。

 あっという間に、弥生に入る。

 時間との競い合いは、生涯続き

そう。時間超越は難しき課題か。

 今朝は、あわら市へ。

 横浜鶴見にある総持寺が総本山

であるあわら市の総持寺へ。

 参拝後、総持寺の雨夜塚に入る。

 ここが雨夜塚の入口。

 雨夜塚は、寛延2年(1749)9月に

旧金津の姫川吟社二世有隣庵我六が、

芭蕉翁の遺徳を慕って、美濃派四世

(岐阜県)の田中五竹坊が越前行脚の

折、金津に立ち寄った時に建てら

れる。

 芭蕉が「奥の細道」俳句行脚の途

すがら、吉崎から汐越の松をたずねて

金津に着いたのは、

元禄2年(1689)旧暦8月初旬。

 にわか雨に逢って、総持寺の門前

で雨宿り。

 同志が集って旅情を慰めまたが、

句会を開く間もなく晴れ間を待って

松岡へと向う。

 雨夜塚の名も尊い。

 これが、芭蕉翁の石塔。

 芭蕉翁の石塔の側面には、

「野分して 盥に雨を 

     聞く夜かな」

とは、故翁の遺吟なるが、

坂(野)我六のぬし風雅の冥慮を

仰がんと此碑下に埋めとどめて

雨夜塚と尊むなるべし」

との碑文と、五竹坊の、

「その道も 潤ふ秋や 雨夜塚」 。

 及び我六の、

「恵みは 広き野に 草の花」

という句が刻まれている。

 

「野分して 盥に雨を 

     聞く夜かな」

から、少年時代の恒例の野分。

畳を全て雨戸の方に立てかけ、

雨水の落ちる所に、盥、洗面器、

鍋などを置いて、雨水の対処。

雨足と、雨音も懐かしい!