貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

善心に還る天女の称号

2018-11-13 08:22:46 | 日記

善心に還る天女の称号

平成30年11月13日(火)

 今朝は弥彦村へ。

宝光院

 弥彦神社の北隣に位置する宝光院。

 まず、参拝!

 鎌倉時代に創建された真言宗の寺院。

 御本尊は大日如来。

 境内の裏には「婆々杉」という古木があり、

 この杉には弥彦の悪鬼にまつわる

伝説が語り継がれている。

 樹齢約千年の杉の巨木で、一般には婆々杉

とよばれ、弥三郎婆さの伝説を伝えている。

 目通り周10メートル、樹高約40メー

トルで樹勢きわめて盛んである。

【妙多羅天女と婆々杉伝説】

<今から900年以上前の承暦3年

(1079)弥彦神社造営の際、

上梗式奉仕の日取りの前後について、

鍛匠(鍛冶屋)黒津弥三郎と工匠

(大工棟梁)の争いとなった。

 これに負けた弥三郎の母(一説に祖母)

は無念やるかたなく、恨みの念が昂じて

鬼となって、形相ものすごく雲に乗って

飛び去った。

 それより後は、佐渡の金北山、

蒲原の古津、加賀の白山、越中の立山、

信州の浅間山と、諸国を自由に飛行

して悪行の限りをつくし、

「弥彦の鬼婆」と世人に恐れられた。

 それから80年の歳月を経た保元元年

(1156)、当時弥彦で高僧の評判高か

った典海大僧正が弥彦の大杉の根元に

横たわる一人の老婆を見つけ、

悪行を改め、本来の善心に立ち返る

よう説得し、さらに秘密の印璽を授け

「妙多羅天女」の称号を与えたところ

改心した。

 その後は神仏、善人、子どもの守護

に尽くしたので、村人はこの大杉を

「婆々杉」と呼ぶようになった。>

という。

 境内には,もう一つ。

 元禄2年7月3日、芭蕉と曽良が

宿泊した場所。

 曽良随行日記に(三日快晴。新潟ヲ立。

申ノ下刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、

神へ参拝。)と記載されている。

 句碑は、

「荒海や 佐渡に横たふ 天乃河」

 芭蕉の句碑。

 

 句碑の説明