貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

語ることなし?故郷・生琉里・古里

2018-11-05 08:43:44 | 日記

 語ることなし?故郷・生琉里・古里

平成30年11月5日(月)

 

 坂口安吾は、小説家、評論家、随筆家。

 明治39年10月20日、新潟県新潟市

西大畑通28番戸(現・中央区西大畑町

579)に生誕。

 坂口家はもともとは大富豪。

 明治以降に没落。

 それでも父は衆議院議員という家柄。

 昭和32年に、この詩碑は建立。

「ふるさとは語ることなし」

「ふるさとは 語ることなし」

 この言葉の意味!?

 さまざまな解釈がなされてきた。

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 安吾は、『石の思い』で、

「中学校をどうしても休んで海の松林で

 ひっくりかえって空を眺めて暮さねば

 ならなくなってから、私のふるさとの

 家は空と、海と、砂と、松林であった。

 そして吹く風であり、風の音であった。」

と記している。

 この詩碑の配されたシチュエーションは、

まさに安吾好みかも・・・。

 さて、安吾の本名は、丙午(ひのえうま)

年生まれの五男ということで炳五(へいご)

だそう。

 分かりやすいが・・・?

 新潟中学時代、学校をサボってばかりいる

炳五に対し、漢文の先生が、

「炳というのは、アキラカという意味だが、

お前は己に暗い暗五だ」

といったのをペンネームにしてしまったのだ

とか。

 東京に出て、東洋大学印度哲学倫理学科

第二科(現・インド哲学科)に入学して以降

も、大井町、池袋など東京を転々として暮ら

し、多くの作品を残している。

 晩年は静岡県伊東市で療養生活の後、

群馬県桐生市に転居し、昭和30年2月17日、

桐生市で没す。

 墓は故郷の新潟県新津市大安寺。

 参拝はしなかった。

 ちなみに、「ふるさとは語ることなし」

という言葉に関して、坂口安吾の長男、

カメラマンで、エッセイストでもある

坂口綱男(さかぐちつなお)は、

「父は思春期に新潟の実家に背を向け文学

の道に進んだ事もあり、この碑文をふるさとに

対しての否定であるという向きもあるが、

その言葉を残したのが安吾だからと言って

そうヒネクレる必要もないと思う」

と記しているそうだ。

 やっぱり難解なことばかな?

 そして、北原白秋の「すなやま」

「海は荒海 向こうは佐渡よ」の歌い出しで

知られる北原白秋作詞による童謡『砂山』だ。

 日本海を望む新潟市中央区の海岸・寄居浜(

よりいはま)の荒涼とした情景が歌詞に

歌い込まれている。