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ロン・ハワード監督『ミッシング』

2011-07-21 00:35:00 | ノンジャンル
 ロン・ハワード監督・共同製作の'03年作品『ミッシング』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで見ました。
 スタンダードの画面。「ニューメキシコ州 1885年」の字幕。リリーとドットの二人の娘を持つマギー(ケイト・ブランシェット)は家畜を育て狩猟する傍ら、治療師として暮らしていましたが、そこへ幼い頃に家族を捨ててインディアンのチリカラア族に加わった父のジョーンズ(トミー・リー・ジョーンズ)が帰ってきます。彼はこれまで蓄えてきた金をマギーに渡そうとしますが、家族を困窮に陥らせたことでジョーンズのことを恨んでいるマギーは受け取ろうとせず、ジョーンズは一旦去ります。翌日町に向かったブレイクと二人の娘は帰るはずだった日暮れになっても帰らず、心配したマギーが森に向かうと、そこにはブレイクの惨殺死体があり、助かったドットはリリーがインディアンに拉致されたと語ります。町に向かったマギーは、酔って留置場に入れられていたジョーンズではなく、居留地を脱走したアパッチ族の仕業だと知らされます。再びマギーの元を訪れたジョーンズは、犯人たちは騎兵隊の追跡をかわし、女たちをメキシコの人買いに売ろうとしていることを告げ、マギーは彼の道案内の元、ドットを連れて自ら追跡を始めます。途中、捕虜を連行していた騎兵隊から、犯人が実は騎兵隊に雇われていて反乱を起こしたアパッチ族のブルホであることを教えられたマギーらは、様々な困難を経て、ブルホらに追いつきますが、ドットの持っていた双眼鏡で自分たちの存在をブルホらに知られ、マギーらは一旦逃げ出します。彼らはジョーンズの旧友であるチリカラア族のカイタとその息子に出会い、やはり娘をブルホにさらわれたカイタらと再びブルホらを追います。ジョーンズは、カイタの二人でブルホの元へ向かい、リリーとカイタの娘を買い戻そうとしますが、ジョーンズはリンチを受けて有り金を全て取り上げられ、カイタは惨殺されます。待っているマギーらの元へ何とか帰ったジョーンズは、リリーをあきらめるようにマギーに言いますが、マギーは娘をあくまで救うを言い、彼らはブルホが留守の間にリリーらを救い出すことに成功します。追って来たブルホを迎え撃つジョーンズたち。決戦の前に、自分の存在が家族を不幸にしていると思ってマギーらの元を去ったというジョーンズと和解したマギーでしたが、戦いではジョーンズはブルホを巻き添えにして崖から転落死してしまいます。残ったブルホの手下らに逃げるように言ったマギーは、リリーを始めとするブルホにさらわれていた娘たちを連れて帰路につくのでした。
 始めのうちは美しい風景のショットなどに目を奪われていましたが、いつまでたっても終わらない長い長い映画で、途中から早回しで見てしまいました。2時間半近い長さでしたが、90分前後にしたらすっきり見られたのではないでしょうか? ただただ惨たらしいというシーンも多く、最後の親子愛も白々しくてノレませんでした。最近のロン・ハワード、どうなんでしょう?

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』

2011-07-20 04:56:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督の'73年作品『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』をスカパーの東映チャンネルで見ました。赤い手袋、赤いマスク、そして「風紀」の腕章をした女子高生たちが、一人の女子高生を半裸にして腕に注射針を差し込み、じわじわと血を抜き取り殺そうとします。死の恐怖から暴れ出した被害者の女子高生は屋上に逃げますが、結局追いつめられて転落死します。地面の血だまりに砂をかけて後片付けをする一般女子高生たち。現れた名和宏に対して、警察はうまく処理しておきますからと言って立ち去り、名和宏は校門をガラガラと閉めさせます。赤字でタイトル。とここまで見て、先を見ることを断念しました。以上のような陰惨な冒頭シーンに辟易したのと、その直後に登場した主演の杉本美樹さんの表情も今一つ冴えないように思えたからです。池玲子さんや杉本美樹さんを主演にした『女番長』シリーズや『恐怖女子高校』シリーズが、本作を最後に姿を消すこととなったのもうなずけるような気がしました。

 さて、2010年日本翻訳出版文化賞を受賞した、トマス・ピンチョンの'97年作品『メイスン&ディクスン』を読みました。
 「1763年から4年間にわたって、歴史上の実在人物メイスンとディクスンがアメリカ大陸を測量しながら旅した日々の記録『The Journal of Charles Mason and Jeremiah Dixon』を種本とし、そこにあることないことをつけ加えて(細かいところになるほど「ないこと」優勢だが)、真剣な話も滑稽な話も形而上的な話も下世話な話もリアルな話も幻想的な話もごっちゃにシャッフルして出来上がった、きわめて壮大な〈もうひとつの歴史〉が、二人の主人公に寄り添う形で展開されていくのが本書です。そしてそれを読んだ者は『とにかく二人の「いい」奴と一緒に長い時を過ごしたなあ』という、よく出来たヴィクトリア朝小説のような、きわめて古典的な満足を得ることができます。
 メイスンとディクソンの名は、ペンシルヴェニアの植民者とメリーランドの植民者との間の境界線紛争を解決するために、両者の依頼を受けて、アメリカ大陸に線を引いた人物として歴史上知られ、結果的にはこの線が、南北戦争以前は自由州と奴隷州を区切る線として機能し、その後も人種差別をめぐる暗い歴史を象徴する線として何かにつけて引き合いに出されることとなりました。したがって、本書でも、線を引くこと自体の孕む悪というものが大きなテーマとなっているのですが、こうしたシリアスなテーマはドタバタや悪ふざけを通してでしか生きた形で浮かび上がってこないということを、実例をもって示したのがまた本書であるとも言えるでしょう。」
 と、ここまでは訳者である柴田元幸さんのあとがきから引用させていただきました。この本は上下巻合わせて1100ページを超える大著であり、柴田さんがやはりあとがきで述べているように、種本にしたがって18世紀英語を模し、大文字を多用した文体が基調をなしているらしく、柴田さんによる訳文も、わざと古風な文体で書かれていて、丹念に一文一文読んでいかないと、内容が頭になかなか入って来ず、私は最初の60ページに至ろうとするところで、先を読むのを断念してしまいました。がその一方で、柴田さんがあとがきで本書のバックグランド・ミュージックとして推奨している、マーク・ノップラーとジェイムズ・テイラーの『Sailing to Philadelpia』(この本からインスピレーションを得て作られた曲なのだそうです)をYouTubeで探して聞きながら、柴田さんの書いたあとがきを読んでいると、それだけでこの大著を楽しんだ気になることもできました。いずれ改めて、時間をたっぷりかけて、再びこの本の読破に挑戦してみたいと思います。

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井筒和幸監督『ヒーローショー』

2011-07-19 05:00:00 | ノンジャンル
 なでしこJAPANの決勝戦はしびれましたね。W杯サッカーということで、世間が大騒ぎを始める前から、私は彼女たちの試合をライブで見始めていましたが、初戦のニュージーランド戦を見た限りでは、敵に簡単に裏を取られるディフェンスと、キーパーの判断の悪さが目につき、決勝トーナメントでドイツとの対戦が決まった段階では、負けを覚悟していました。それがまさか優勝してしまうとは‥‥。もう凄いの一言です。
 来年はロンドン・オリンピック。男子と違って、女子は年齢制限がないようなので、今回のメンバーで大会に臨めるようですね。決勝戦でも裏を取られていたディフェンスの甘さを解消させて、是非また活躍してほしいものです。

 さて、井筒和幸監督の'10年作品『ヒーローショー』をWOWOWで見ました。
 駆け出しの芸人・鈴木はツッコミ役のヒデオとコンビを組んでいますが、自分が途中でネタを忘れてしまうなど、実力はまだまだで、先輩のツヨシからはツッコミが下手だからだと慰められたりもしています。家に帰ると、そろそろ滞納分の家賃を払ってほしいと書かれた大家のメモともに、実家からの宅急便が届いていて、現金の入った封筒と一緒に、いつものと同じく乾燥しいたけが入っていました。しぶしぶ水でしいたけを戻す鈴木。バイト先の上司からは度重なる無断欠勤を責める電話が入り、くどくどと責め立てる上司の話に軽くキレた鈴木は「はっきりクビだと言ってくれていいんですよ。その代わり、今月3日間の給料はちゃんと振り込んでおいてくださいね」と言って電話を切ります。営業で子供向けのヒーローショーに行った鈴木は‥‥。
 と、ここまで見たところで先を見ることを断念しました。登場人物たちの演技の稚拙さ、リアル感のなさは、見ていて気恥ずかしいほどで、以前井筒監督自身が「映画は人間が描けていれば、背景のリアルさは関係ない」と言っていたことと見事に矛盾した画面となっているように思えたからです。全体の長さが130分を超えるというのも、最後まで見る気を無くす一因となったことは確かでしょう。『パッチギ!』とか結構好きだったんですが、井筒監督、どうしてしまったのでしょうか?

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窪美澄『ふがいない僕は空を見た』

2011-07-18 04:37:00 | ノンジャンル
 伊藤大輔監督の'51年作品『おぼろ駕籠』をWOWOWで見ましたが、クレーン撮影や移動撮影などが使われているにもかかわらず、画面はあくまでも安定していて見ていてつまらず、主演の阪東妻三郎の「くさい」演技が始まってしまうと、もう先を真面目に見る気が失せ、早回しでざっと見てしまいました。無声映画時代の伊藤監督作品の素晴らしさを伝え聞くだけに、残念でした。

 さて、朝日新聞の特集記事「読んで感じる 時代の声 2010年 話題の本」の中で挙げられていた、窪美澄さんの'10年作品『ふがいない僕は空を見た』を読みました。5つの短編からなる本です。
 最初の短編『ミクマリ』の冒頭の一文を引用させていただくと「たとえば、高校のクラスメートのように、学校の予備校帰りに、どちらかの自宅や県道沿いのモーテル、もしくは屋外の一目につかない場所などにしけこみ、欲望の赴くまま、セックスの二、三発もきめ、腰まわりにだるさを残したまま、それぞれの自宅に帰り、何食わぬ顔でニュースを見ながら家族とともに夕食を食べる、なんていうのが、このあたりに住むうすらぼんやりしたガキの典型的で健康的なセックスライフとするならば、おれはある時点で、その道を大きく外れてしまったような気がする。」という感じで、この一文の長さはさすがに例外的なのですが、それでもこの先ページを繰ってみると、総じてページに余白が少なく、みっちりと字で覆われていて、圧迫感を受けるとともに、5つの短編とも一人称の小説であり(1つ目の『ミクマリ』では男子高校生の「おれ」、2つ目の『世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸』では子供のいない若い妻である「私」、3つ目の『2035年のオーガズム』では女子高生の「あたし」、4つ目の『セイタカアワダチソウの空』では男子高校生の「ぼく」、最後の『花粉・受粉』では産婦人科医の「私」)、しかも最後の短編を除いてどれも(あくまで飛ばし読みして分かった範囲ですが)暗く厭世的な内容であり、どうも私の苦手な小説であることが直感的に分かってしまい、最初の短編の1ページを読んだ段階で先を読むことを断念しました。
 ただ、公共図書館においては予約がひきも切らず、セックス描写がふんだんにあるせいか、多くの人に読まれている小説のようです。私はダメでしたが、高く評価している方もいらっしゃるようなので、一読してみるのもいいかもしれません。

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ジャン=ピエール・メルヴィル監督『賭博師ボブ』その2

2011-07-17 06:14:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 有り金全てを賭けですってしまい、ロジェに諌められるボブ。しかしボブは、ロジェの旧友でカジノの従業員になっていたジャンの情報で、グランプリ前のカジノの金庫に8億フランの金が用意されることを知ると、その金を強奪する決心をして、ロジェもそれに協力することになります。
 かつての仕事仲間に声をかけ、着々と準備を進めるボブとロジェ。しかしポーロはアンヌの気を引こうとして、その計画をアンヌに話してしまい、アンヌはマークにナンパされて寝ると、そのことをマークに漏らしてしまいます。
 アンヌはマークがボブをはめようとしていることに気付くと、すぐにボブのところへ行って、自分がマークに計画のことをしゃべってしまったと告白します。ボブはマークの元へ急行しますが、既にマークは署長と姿を消した後でした。
 マークは署長にボブが何か大きなことをやるらしいとだけ述べ、裏が取れたら詳しいことを話すと言って一旦署長と別れます。ボブからアンヌがマークに計画をしゃべってしまったことを聞いたポーロは、責任を感じ、マークを射殺します。すると今度はジャンの妻が計画に気付き、自分たち夫婦だけで上前をはねようと考え、署長に匿名の密告電話をかけます。ボブと付き合いの長い署長は、ボブに計画の実行を思いとどまらせようとしますが、ボブは既にドーヴィルへ向けて出発した後でした。
 先にカジノに着いたボブは、仲間を待つ間、ロジェとの約束を破ってカジノで賭けを始めてしまいますが、「賭博師ボブ」の本領を久しぶりに発揮して勝ち続けます。そして仲間がカジノの前に到着すると、署長率いる警察隊もちょうどその場に到着し、双方の間で銃撃戦となり、ポーロはそれで命を落としますが、ボブは既に賭けで一財産作っていました。署長に逮捕され彼のパトカーに乗ったボブとロジェでしたが、儲けた金で優秀な弁護士を雇えば、刑務所に入らず済むだろうとロジェが言うと、ボブも署長も笑みを浮かべ、映画は終わります。

 場面転換に左右や上下のワイプ、オーバーラップ、フェイドイン・フェイドアウトなど様々な技法が速度を変えて使われていて、時々現れる室内の俯瞰の画面なども新鮮で飽きさせず、アンリ・ドカの魅力的な「夜」の画面にも魅せられました。ラストの賭けで勝ち続けるシークエンスは、少し冗長ながらも、明らかにジャック・ドミの『天使の入り江』へと続いていく素晴らしく幸福なラストシーンであり、私は図らずも涙してしまいました。知る人ぞ知る名作だと思いますが、改めてメルヴィルの代表作として紹介させていただきたいと思います。

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