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ジャン=ピエール・メルヴィル監督『賭博師ボブ』その1

2011-07-16 06:12:00 | ノンジャンル
 先週の土曜日にWOWOWで、「コールドケース」のファイナル・シーズンの放映が始まりましたが、その番組紹介の中で、久しぶりに「エモーショナル」という言葉を聞きました。『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』の中でキータームとして使われていたこの言葉。最近私は使わなかったのですが、これを機に映画評でまた使っていきたいと思いました。

 さて、ジャン=ピエール・メルヴィル監督・脚色の'55年作品『賭博師ボブ』をスカパーの洋画★シネフィル・イマジカで再見しました。
 スタンダードの白黒の画面。「これより語るは、モンマルトルで起こった不思議な物語」のナレーションをバックに、モンマルトルの丘の上から霧に煙るパリの町をパンで撮影しながら、タイトル。
 「この物語は、昼と夜の境目のつかの間、日の出前と薄明かりの頃に始まる。モンマルトルは天国と‥‥」というナレーションの後、ケーブルカーが降りて行く画像を挟み、「地獄を合わせた所だ。しばらくするとネオンが消え、異なる運命を持つ人々が行き交う。この清掃員のように仕事に遅れて急いで行く人。この若い女性のように何もすることがない人。年の割に大変ませている」のナレーションがあり、ここでアンヌ(イザベル・コーレイ)が朝のコーヒースタンドに群がる男たちに加わっていく様子が撮られる。「ボブの話をしよう。賭博師のボブ。伝説的な男であるが、まだ若さにあふれている」のナレーション。
 過去には大きな犯罪に関与したこともありましたが、現在は地元の顔として賭博に明け暮れている、初老で貫禄十分のボブ(ロジェ・デュシューヌ)は、夜通しの賭けを終え、自宅に戻り眠りにつきます。マークからの無言電話で起こされたボブは、マークがリディアを強く殴ってしまったため、しばらく身を隠すための金を貸してほしいと言うのに対し、ヒモをしている男などに貸す金はないと言って追い返します。カフェで新しい女を物色しているマークを見つけたボブは、マークを追い払うと、マークが話しかけていた若くて美しい女性・アンヌに金を渡して、ちゃんとホテルで泊るように言い、彼女と別れます。
 マークはリディアに暴行した件で警察署長(ギイ・ドコンブル)に引っ張られ、そのうち何か大きい事件の情報を得たら密告するようにと署長に言われてから釈放されます。
 溜めていたホテル代を払いカバンに全財産を詰め込んで道を歩いていたアンヌと再会したボブは、彼女を自分の車に乗せ、貧しい身から現在へと至った自分の生い立ちを語ります。アメリカ人のギャングがボブの率いるギャング団のまねをしたことや、車を使った犯罪をボブが初めて考案したことを語る、ボブの仲間たち。
 自分の旧友の息子で、今は何かと面倒を見てやっているポーロに対し、ボブはマークと組んで仕事をするなと強い口調で言うと、自分の部屋をポーロに貸してやり、アンヌとポーロに夜を過ごさせる一方、自分は仲間のロジェと競馬場へ行って大勝ちすると、その足でドーヴィルのカジノへ行き、有り金すべてをすってしまいます。(明日へ続きます‥‥)

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西加奈子『白いしるし』

2011-07-15 06:15:00 | ノンジャンル
 昨日、徳島から無事に帰ってきました。2泊3日で徳島の主だった観光名所を味わい尽くすという強行軍でしたが、最後はくたくたになりながらも、久しぶりにいい旅を満喫することができました。詳しいご報告は後日こちらで行いたいと思っています。

 さて、西加奈子さんの'10年作品『白いしるし』を読みました。
 私の友人で、女性誌やカルチャー誌の写真家をしている瀬田は、私が絶対気に入ると言って、彼の知人である画家の『間島昭史(あきふみ)』の個展へ私を連れていきます。私はそこで大きな白い紙に白い絵の具で描かれた富士山の絵に釘付けになり、初めて会った『間島昭史』にも、恋の確信を抱きます。しかし、彼と別れた直後、私は彼に恋人がいることを瀬田の話から知り、彼に二度と会わないようにしようと思いますが、しばらくして瀬田から『間島昭史』と一緒に飲まないかと誘われると断れず、出かけていきます。瀬田は『間島昭史』は悪意や狡いのが嫌いで、私の個展を『間島昭史』が以前に見に行った時、めったに人の絵を好きとは言わない『間島昭史』が、私の絵を好きになったと言っていたと『間島昭史』が来る前に私に教えてくれると、私はぼうっとしてしまいます。後から現れた『間島昭史』は、私のことを正直な人だと言い、私は彼のことを慎重に言葉を選んで話す人だと思います。そして彼の個展の最終日、私は一人で彼に会いに行ってしまい、夜の公園で二人で絵の話をしているうち、お互いすっかり打ち解けてしまいます。そして、それから度々夜の公園で二人で会うようになり、私たちはお互いによく笑うようになっていくのですが‥‥。
 ここまでで約60ページ、全166ページの3分の1を過ぎた辺りでしたが、先を読むのを断念してしまいました。「ふたりでは、会わないようにしていた。」という文から始まるこの小説は、改行もスピーディで読みやすく、「私」の気持ちの描写にもノレたのですが、私や瀬田の関西弁の台詞が生き生きとしていて魅力的なのに比べ、『間島』の東京弁の台詞は総じて生真面目すぎて魅力に欠け、そんな言葉を発する男に夢中になる「私」の心情にも次第にリアリティが感じられなくなってしまい、読むのが苦痛となってしまったというのが正直な感想です。これ以降を飛ばし読みした感じでは、『間島』の恋人も登場し、ラストでは「私」が冒頭で釘付けになる富士山の絵が再び重要な役として登場するようで、ちょっと期待させる内容だっただけに残念です。人によって好き嫌いの別れる作品だと思いますので、ご自分でまず読んでみることをオススメします。

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マキノ雅弘監督『非常線』

2011-07-11 05:04:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'58年作品『非常線』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 港まつりで賑わう町。密輸業者(千秋実)はホテル「オリオン」にドレスとウィスキーを配け、ホテルの女主人はそのドレスを地下のナイトクラブで働く女給たちに買い取らせようとしますが、女給たちはそれに抵抗してストをすることにします。ホテルの一室に住むテル(藤田進)は、弟・千代太(高倉健)の就職祝いのために、ホテルのオーナー(十朱久雄)からウィスキ-を一本買って、千代太の恋人でありナイトクラブで働く夏子と千代太を部屋で待ちますが、千代太は前科があることを同僚にいびられてケンカをして会社をクビになった上、夏子からもらった帽子までなくして帰ってきます。一方、妊娠中の夏子は同僚から中絶を勧められ、闇の堕ろし屋のオマキ婆さん(吉川満子)を訪ねます。また、失踪中の兄からの手紙を携えて、レズの恋人とともにホテルを訪ねて来たモモコは、ホテルで兄の現れるのを待つことにしますが、別室ではギャングに脅されながら兄は何やら細かい作業をさせられていました。千代太は身投げをした女を助けて、ホテルに住む怪し気な医者・蒲原(岡田英次)に診せると、意識の戻った女・ヨーコは自分の父・牛島が悪いことをしていると医者に告げます。するとホテルに刑事(神田隆)が現れ、銀行の現金輸送車が襲われた現場に千代太の帽子が落ちていたことを理由に、千代太を容疑者として逮捕しに来たと告げますが、千代太はやったのは自分ではないと言って逃げ出します。ホテル周辺に非常線が張られ、警察によって一切の人の出入りが禁止されます。自分の悪事を知り失踪した娘を探しにホテルに来ていた牛島は、ホテルに持ち込んでいた大量の現金が警察に見つかるのを怖れ、千代太とテルの部屋、女給たちの部屋、蒲原の部屋、オマキ婆さんの部屋などに現金を投げ込みます。その金で買い取ったドレスで着飾り、客としてナイトクラブに乗り込む女給たち。ヨーコを探し回る牛島に鉢合わせした千代太は、ヨーコから聞いた悪事をネタに、自分を逃がすよう牛島に迫ります。その直後、自室にいたテルの元に、牛島に撃たれた千代太が転がりこんで来て、夏子の前で警察に捕まりたくなかったので逃げたと言い、匿ってくれという千代太をテルはベッドの下に隠します。現金を部屋に投げ込んだのが強盗を働いた千代太と思い込み、叫びながら彼を探していた夏子は、皆にテルと千代太の部屋に戻され、そこでベッドの下に隠されていた千代太と対面しますが、千代太は既に死んでいました。千代太の無実が証明されるまで泣かずにいようとテルに言われた夏子は、仮面をつけてナイトクラブで踊り狂います。千代太を自分で探し出してやると言って、テルと千代太の部屋に乱入してきた牛島は、テルに殴られると発狂してしまいます。モモコはナイトクラブで兄の持っていたライターを発見し、それが3階の部屋からもたらされたことをバーテンダーから聞き出すと、刑事にそのことを告げます。銀行強盗が捕まり、盗まれた現金も全て戻ったという報告がパトカーによってもたらされると、ヨーコは父が偽札を製造していたことを刑事に告げます。その瞬間銃声が轟き、発狂した牛島は大量の偽札を2階からばらまいて拳銃を乱射し始め、牛島一味と警察との間で銃撃戦が起こり、牛島一味は逮捕され、偽札の製造をさせられていたモモコの兄も救出されます。千代太の遺体を前に彼の死を悼む人々。現れた刑事はテルに謝罪し、一同を警察に連行します。そしてテルは夏子に子供を産んでくれるように頼み、自分が千代太に代わってその子を育てるというのでした。
 いわゆる「グランド・ホテル」形式の映画でしたが、夏子の行動など脚本に無理があり、マキノ監督の力をしても何ともしようがなかったという印象でした。しかし、ラスト、発狂した牛島が座り込んで偽札を一枚一枚きれいに伸ばしていくシーンは、まさにラングの『ドクトル・マブゼ』からの引用であり、マキノ監督の映画的教養の深さを見て取れる映画でもありました。

P.S 突然ですが、明日から2泊3日で徳島へ旅行に行くこととなり、その間こちらの更新はお休みさせていただこうと思います。読んでくださっている方がもしいらっしゃいましたら、この点ご了解のほど、よろしくお願いいたします。

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ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊(下)』その3

2011-07-10 05:40:00 | ノンジャンル
 またまた昨日の続きです。
 第12章では世界の総人口の5分の1に当たる約13億人を有する中国について論じられ、その環境問題、すなわち、大気汚染、生物多様性の喪失、農耕地の喪失、砂漠化、湿地の喪失、草地の劣化、人為的な自然災害の規模と頻度の拡大、外来侵入種、過放牧、河川水流の停止、塩性化、土壌浸食、ごみの集積、水の汚染と不足がグローバルな影響力を持って生じていること、全体的な人口調節には成功したが、世帯数の増加、急激な都市人口の増加は避けられていないこと、消費が急激な増加を示し、それがグローバルな環境破壊の圧力となっていることなどが語られます。
 第13章では、オーストラリアの現状が語られ、もともと生産性の低い自然環境・他国との高い隔絶度・間違った選択肢の採用などのために、再生しない資源(鉱物の採掘、環境再生に不向きな自然環境下での過放牧による土壌浸食など)の利用によってしか国の経済が支えられなかったことが説明されます。
 そして最後に、将来に向けての展望が語られます。
 まず、第14章で社会が破滅的決断を下してしまうケースの分析が行われ、問題が生まれる前に、集団がそれを予期することに失敗するケース、実際に問題が生まれた後、それを感知するのに失敗するケース、人間間の利害衝突が生じて長期を見据えた決断が先送りされてしまうケース、また宗教上の動機が判断を誤らせるケース、過去の価値観にしがみついて失敗するケース、最初に問題を感知して訴え出た人が一般庶民の反感を買うというケース、同一人物の短期と長期の動機が衝突してしまうケース、群集心理によって誤るケース、心理的拒絶を示すケースなどなど、考えられるすべてのケースが列挙されます。そして、勇敢な指導者と勇敢な国民(著者はケネディの時代を例として挙げています)がいれば、こうしたケースを回避できるのではと希望を述べています。
 以下、第15章では大企業と環境の関係、第16章でグローバルに環境問題を解決していくことについて、著者なりの楽観と悲観が述べられます。

 個々の文明崩壊の説明は、前著『銃・病原菌・鉄』と同じく、具体的なもので説得力に富み、読んでいて飽きさせないものでしたが、最後の結論部分において、私はやはりマッド・リドレーの『繁栄』と比較してしまいました。リドレーはあくまで人類の将来に向けて楽観的な態度を採っていたのですが、ダイアモンドは希望は持てるが、可能性としては低い(つまり人類はいずれ環境問題が原因で絶滅する、あるいは生活レベルを極端に下げて、わずかな人口で生き残る)と本著で結論づけています。私はダイアモンドがこれまでの時間軸にしたがって物を考えているのに対し、リドレーが現在実現しつつある、加速度的科学進歩へ言及している点で、リドレーの論の方により説得力があるように感じました。皆さんはいかがお考えでしょうか?

P.S この本は上下巻合わせて600ページを超える大著です。読んでる途中で投げ出したくなった方には、段落の頭だけ読んで、意読する手もあることをお伝えしておきます。

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ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊(下)』その2

2011-07-09 06:40:00 | ノンジャンル
 昨日、東京の恵比寿までジョセフ・クーデルカの写真展を見に行ってきましたが、展覧会独自のパンフレットはなく、結局写真集「クーデルカ 1968」を手に入れることはできませんでした。が、帰り、厚木の有隣堂に寄って時間つぶしをしていたら、今月号の『jazz Life』に「ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』録音50周年記念特集」という巻頭記事があるのを発見し、その場で衝動買いすることができました。『Sunday at the Village Vanguard』収録の『Alice in Wonderland』のスコアまで掲載されているお特本です。ビル・ファンの方、すぐに書店へGO!
 
 さて、昨日の続きです。
 3つ目の例、江戸時代の日本は、外の世界から孤絶した(鎖国中だった)人口密度の高い島で、重要物資の輸入がほとんどなく、持続可能な自給自足生活を続けていた点でティコピコ島と類似していますが、ティコピコ島の十万倍の人口と、先進的な産業経済、裕福で強力な支配層に束ねられた高度な階層社会、さらに環境問題解決に向けての上意下達型の強固な体制を有する点で、ティコピコ島と大きく異なっていました。戦国時代の終わりから江戸時代の初期にかけて、平和の持続と生産性の高い作物の伝来による農業生産力の向上、湿地開拓・水害対策の進歩による水稲生産の増大などによって、総人口が倍増し、建築・燃料・飼料用としての木材への要求が増すなどして、一旦は森林破壊を招きましたが、1657年の明暦の大火を契機にして、持続性のある木材資源への関心が高まり、幕府は3つの方針転換をしました。その1つ目は、農業に対する圧力を緩和するための、魚介類やアイヌとの貿易で得た食料への依存の増大、2つ目は、晩婚化、授乳期間の長期化による授乳性無月経、堕胎、嬰児殺などによる人口ゼロ増加の実現(これには、夫婦レベルでの自主的な産児制限も多分に与っていたようです)、そして3つ目は、石炭の使用増加や木造以外の建築物の増加、燃費のよい竈の設置、火鉢の使用などによる木の消費の削減奨励です。やがて植林による森林管理が進み(この実現には、江戸時代の日本が単独の政府に統治されていたこと、樹木の生長に有利な条件に恵まれていたことなどが、多分に関与していました)、“トップダウン”方式による環境問題解決の良例となったのでした。
 もちろんここに上げた3つの例以外にも、環境問題を解決した例は多く存在し、過去2、3世紀の間だと、ドイツ、デンマーク、スイス、フランス、その他の西ヨーロッパ諸国は日本同様のトップダウン方式で問題を解決してきました。
 さて、これまでは過去の例について検証してきましたが、以下では現代のトピックをいくつかピックアップして論じていきます。
 第10章では、ルワンダとその隣国ブルンジで起こった大虐殺について語られます。この2国の人口密度はアフリカで最も高く、世界でも最も高い部類に入ります。両国では多数派のフツ族が少数派ツチ族を虐殺する事件が起こりましたが、これは1980年以降、人口の増加に食料の増加がついていけず、1994年になってついに食料調達のための所有地の再編成と人口の過剰分の一掃を目的とする大虐殺が始まったと著者は説明していますが、一方で、人口圧力が必ず大虐殺につながる訳ではないと念を押してもいます。
 第11章では、イスパニョーラ島を二分する西のハイチと東のドミニカについて語られます。元々島全体は広く森林に覆われていましたが、現在ハイチ側は不毛の平野、ドミニカ側は緑の風景が広がっています。どちらも一旦は森林伐採で緑を失いましたが、ハイチ側は土地が痩せていたのに対し、ドミニカ側は多雨だったこと、ハイチ側ではフランスが奴隷による大規模なプランテーションを早々と実現したのに対し、ドミニカ側はスペインからの移民が多かったこと、ドミニカ側が組織的な環境対策を講じることができたのに対し、ハイチ側は度重なる独裁政権の交代の中で、そうした対策を講じることができなかったことが、現在の景観の相違を生んだのだと著者は説明します。(またまた続きは明日へ‥‥)

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