先日お知らせしたピーター・フォークの死亡記事に関してですが、その後のテレビのワイドショーで、彼が晩年にアルツハイマー病を患い、自分が『刑事コロンボ』に出演していたことも忘れてしまっていたことが喧伝されていました。彼の認知症のひどさの一端してそのエピソードとして紹介されていたようなのですが、私が思うには、彼の中で『刑事コロンボ』としてのキャリアは忘れていい程度のものであって、カサヴェテスやオルドリッチとの仕事こそ彼の誇るべきものだったのではないかと推測します。『ハズバンズ』や『こわれゆく女』、『カリフォルニア・ドールズ』をまだ見ていない方がいらっしゃいましたら、是非ご覧になってみていただければと思います。
さて、ジャレド・ダイアモンドの'05年作品『文明崩壊(下)』を読みました。上巻の内容の続きです。
第9章では、環境問題をうまく解決したケースは、ボトムアップ(下から上へ)方式とトップダウン方式に分かれること、そして前者の例としてニューギニア高地と、大平洋のごく小さな島ティコピア島、後者の例として江戸時代の日本について語られます。
ニューギニアでは約4万6千年前から自立した生活を営み、外から経済的に重要な物質が流入することなく、7千年近い営農の歴史、すなわち世界屈指の長期間に渡っての持続可能な食糧生産を誇ってきました。良質な木材となり、また生長が速く、窒素と炭素を固定することで土壌の回復の役目をも負うモクマオウの“育林”が大規模に行われ、人口の抑制には、戦争、嬰児殺、避妊や堕胎のための森林植物の利用などが行われ、これらを含めた集団行動は、20世紀の欧米人の教化がなされるまでは、村人全員の話し合いによる徹底した“ボトムアップ”方式で決められてきました。
2つ目の例であるティコピコ島は面積がわずか5平方キロ、人口は1200人の外部から隔絶した島ですが、ほぼ3千年にわたって途絶えることなく人間が居住し続けてきた島です。この島には予測不能な間合いで菜園を破壊するサイクロンが度々襲来するため、常に余剰食糧を蓄え、また一定以上に人口を増やさない工夫が必要とされます。もともとこの島は降雨量の多さ、適度な緯度など持続可能な環境要因に恵まれていましたが、住民はそこに茂る植物がすべて食用になるという重層的な果樹園を人為的にこしらえている点で、大平洋上の他の島々で類を見ません。(通常、熱帯雨林の樹木はほとんど食用に適しません。)また、果樹園以外の土地も沼地として根菜や魚介類の生育に使われ、サイクロン襲来時のために貯蔵食が常に保存され、非常食のとなる植物も常に栽培されています。人口調節に関しては、避妊、堕胎、嬰児殺、独身の維持、自殺(危険を承知した上での船出)などが常に行われてきました。(現在では、他の島への移民で人口調節の問題を解決しています。)首長は存在しますが、年長者や首長仲間、氏族の人々、家族を含む全員が首長の行動に助言や批評を行い、ここでも“ボトムアップ”方式による意思決定が行われています。
なぜこれらの例で“ボトムアップ”方式による意思決定が実現したのかについては、領土が小さいので、住民すべてが社会全体の事情に通じ、隣人とともに妥当な環境対策を採れば、恩恵を受けられると分かっているからだと説明されています。(続きは明日へ‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、ジャレド・ダイアモンドの'05年作品『文明崩壊(下)』を読みました。上巻の内容の続きです。
第9章では、環境問題をうまく解決したケースは、ボトムアップ(下から上へ)方式とトップダウン方式に分かれること、そして前者の例としてニューギニア高地と、大平洋のごく小さな島ティコピア島、後者の例として江戸時代の日本について語られます。
ニューギニアでは約4万6千年前から自立した生活を営み、外から経済的に重要な物質が流入することなく、7千年近い営農の歴史、すなわち世界屈指の長期間に渡っての持続可能な食糧生産を誇ってきました。良質な木材となり、また生長が速く、窒素と炭素を固定することで土壌の回復の役目をも負うモクマオウの“育林”が大規模に行われ、人口の抑制には、戦争、嬰児殺、避妊や堕胎のための森林植物の利用などが行われ、これらを含めた集団行動は、20世紀の欧米人の教化がなされるまでは、村人全員の話し合いによる徹底した“ボトムアップ”方式で決められてきました。
2つ目の例であるティコピコ島は面積がわずか5平方キロ、人口は1200人の外部から隔絶した島ですが、ほぼ3千年にわたって途絶えることなく人間が居住し続けてきた島です。この島には予測不能な間合いで菜園を破壊するサイクロンが度々襲来するため、常に余剰食糧を蓄え、また一定以上に人口を増やさない工夫が必要とされます。もともとこの島は降雨量の多さ、適度な緯度など持続可能な環境要因に恵まれていましたが、住民はそこに茂る植物がすべて食用になるという重層的な果樹園を人為的にこしらえている点で、大平洋上の他の島々で類を見ません。(通常、熱帯雨林の樹木はほとんど食用に適しません。)また、果樹園以外の土地も沼地として根菜や魚介類の生育に使われ、サイクロン襲来時のために貯蔵食が常に保存され、非常食のとなる植物も常に栽培されています。人口調節に関しては、避妊、堕胎、嬰児殺、独身の維持、自殺(危険を承知した上での船出)などが常に行われてきました。(現在では、他の島への移民で人口調節の問題を解決しています。)首長は存在しますが、年長者や首長仲間、氏族の人々、家族を含む全員が首長の行動に助言や批評を行い、ここでも“ボトムアップ”方式による意思決定が行われています。
なぜこれらの例で“ボトムアップ”方式による意思決定が実現したのかについては、領土が小さいので、住民すべてが社会全体の事情に通じ、隣人とともに妥当な環境対策を採れば、恩恵を受けられると分かっているからだと説明されています。(続きは明日へ‥‥)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)