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窪美澄『ふがいない僕は空を見た』

2011-07-18 04:37:00 | ノンジャンル
 伊藤大輔監督の'51年作品『おぼろ駕籠』をWOWOWで見ましたが、クレーン撮影や移動撮影などが使われているにもかかわらず、画面はあくまでも安定していて見ていてつまらず、主演の阪東妻三郎の「くさい」演技が始まってしまうと、もう先を真面目に見る気が失せ、早回しでざっと見てしまいました。無声映画時代の伊藤監督作品の素晴らしさを伝え聞くだけに、残念でした。

 さて、朝日新聞の特集記事「読んで感じる 時代の声 2010年 話題の本」の中で挙げられていた、窪美澄さんの'10年作品『ふがいない僕は空を見た』を読みました。5つの短編からなる本です。
 最初の短編『ミクマリ』の冒頭の一文を引用させていただくと「たとえば、高校のクラスメートのように、学校の予備校帰りに、どちらかの自宅や県道沿いのモーテル、もしくは屋外の一目につかない場所などにしけこみ、欲望の赴くまま、セックスの二、三発もきめ、腰まわりにだるさを残したまま、それぞれの自宅に帰り、何食わぬ顔でニュースを見ながら家族とともに夕食を食べる、なんていうのが、このあたりに住むうすらぼんやりしたガキの典型的で健康的なセックスライフとするならば、おれはある時点で、その道を大きく外れてしまったような気がする。」という感じで、この一文の長さはさすがに例外的なのですが、それでもこの先ページを繰ってみると、総じてページに余白が少なく、みっちりと字で覆われていて、圧迫感を受けるとともに、5つの短編とも一人称の小説であり(1つ目の『ミクマリ』では男子高校生の「おれ」、2つ目の『世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸』では子供のいない若い妻である「私」、3つ目の『2035年のオーガズム』では女子高生の「あたし」、4つ目の『セイタカアワダチソウの空』では男子高校生の「ぼく」、最後の『花粉・受粉』では産婦人科医の「私」)、しかも最後の短編を除いてどれも(あくまで飛ばし読みして分かった範囲ですが)暗く厭世的な内容であり、どうも私の苦手な小説であることが直感的に分かってしまい、最初の短編の1ページを読んだ段階で先を読むことを断念しました。
 ただ、公共図書館においては予約がひきも切らず、セックス描写がふんだんにあるせいか、多くの人に読まれている小説のようです。私はダメでしたが、高く評価している方もいらっしゃるようなので、一読してみるのもいいかもしれません。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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