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ジョナサン・キャロル『我らが影の声』その1

2011-07-26 06:44:00 | ノンジャンル
 ジョン・フォード監督の'38年作品『サブマリン爆撃隊』をWOWOWで見ました。自ら海軍に入隊した社交界の花形で大富豪の息子が駆潜艇の機関長として活躍するという話を、補給船に乗る娘とのロマンスをからめて描いた作品で、主人公の仲間のクルーに、ジョージ・バンクロフト、イライシャ・クック・Jr、ジャック・ペニック、J・ファレル・マクドナルドという芸達者が揃っているにもかかわらず、アーサー・ミラーによる輝くばかりの海上の屋外撮影もすべてセットおよびスクリーン・プロセスによるものであり、船艦に関してもほとんどがセットあるいはミニチュアを使った撮影ばかり。主演のリチャード・グリーンとナンシー・ケリーの魅力の無さもあって、残念な結果に終わっていました。

 さて、岡野宏文さんと豊崎由美さんが対談本『読まずに小説書けますか』の18ページと148ページで言及している、ジョナサン・キャロルの'83年作品『我らが影の声』を読みました。
 活動的で普段は子供たちにこの上ない愛情を注ぐかたわら、悪さをした時には容赦しない母の元で育ったぼくの兄のロスは、悪ガキに成長し、お人好しのぼくに対する悪ふざけはエスカレートさせていきます。一方、ロスの部屋には様々なものが溢れかえっていて、当時のぼくにとって、そこはとても魅力的な場所でした。短気な母とロスのケンカは絶えず、15才でチンピラとなったロスは、不良のボスであるボビーとつるむようになります。そして、16才の誕生日に父から散弾銃を贈られたロスは、ボビーに連れられて線路のある場所に至ると、そこでボビーは銃を発射して駅舎のガラスを割り、その直後、ロスはボビーとぼくの目の前で線路に触れて感電死してしまいます。
 この事件にはこんな背景がありました。ボビーにはリリーという美人の姉がいて、ロスに自慰を教わったぼくは彼女のことを思っていつもコトに及び、それを知ったロスはそのことをボビーにばらすと言っては、ぼくを言いなりにしていました。線路の場所でロスがついにボビーにそれを告げようとしたと勘違いしたぼくは、ロスを思わず突き飛ばし、高圧電流の流れる線路上にロスを倒してしまったのでした。
 ロスの無残な死によって母は発狂し、ぼくは大量の精神安定剤を投与されるようになりますが、やがて大学に進学したぼくは、そこの創作講座でロスを主人公とする小説を書くと、それは戯曲化されて大当たりを取り、その戯曲はピューリッツア賞まで受賞してしまいます。
 大金を得て大学を卒業したぼくは、大学時代に留学していたウィーンに移住し、そこでインディアとポールのテート夫妻と知り合い、生まれて初めて親友と呼べる関係を二人と結びます。しかしポールが仕事で2週間留守にした間に、ぼくとインディアは親密さを増し、帰ってきたポールが二人の肉体関係を疑ったことが引き金となって、結局ぼくたち二人はポールに隠れてベッドを共にするようになります。ポールはそれに気付かないかのように、以前と同じようにぼくたちに接してくれていましたが、ある日3人で食事をしている最中に突然姿を消し、ぼくが彼を探しにトイレに行くと、彼は以前に見せたマジックの衣装に着替えていて、ぼくの裏切りを糾弾するのでした。(明日に続きます‥‥。)

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徳島旅行その3

2011-07-25 06:00:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 おばあちゃん曰く「今度来る時は、二人で来な。一人で『いい景色だな』と思うより、二人で『いい景色だね』と言い合う方が楽しいでしょ?」。まったくその通りです。今度は誰かと来るのもいいかもしれないな、などと思ったりもした、そんなおばあちゃんとの楽しい会話でした。
 そして無事に美馬ICに着き、夕方早めに東急インに到着。せっかく徳島に来たんだからと思い、たまたま目に付いた徳島ラーメンのチェーン店で普通のラーメン一杯を注文。味は濃厚な醤油ラーメンで、東京でも似たような味が楽しめると思いました。そして明るいうちに2度目の眉山ロープウェイに。冷房のきいた無料展望台で本を読みながら、夕暮れの徳島の風景を楽しみ、夕涼みに来ていた家族連れの楽し気な様子のご相伴にも与って、早めにホテルへ。ところが窓の下を見たら、何と昨晩見た阿波踊りの練習風景が! 昨日は遅くて気がつかなかったのですが、私のホテルの部屋は、藍場浜公園を真下に見ることのできる絶好の部屋だったのです。ということで、ホテルに帰ってから午後9時近くまで、冷房のよくきいた快適な部屋から、昨日も見た感動的な阿波踊りをまた見ることができたのでした‥‥。
 最終日。2晩お世話になった東急インをチェックアウトして、徳島自動車道を一路西へ。約1時間後、井川池田ICで降りて、国道32号線を南へ約30分行き、大歩危(おおぼけ)遊覧船乗り場へ。日本三大秘境の一つとも言われる渓谷美。砂岩が変成してできた砂質片岩の斜めに走る地層が見え、小歩危に至るとその地層の傾きが反対になるとのこと。四国の地層の成り立ちが如実に見てとれる貴重な風景なのでした。初夏の緑も美しく、崖に沿って走る土讃線も下から見え、11月下旬から始まるという紅葉の季節に改めて来たいな、などとも思わせるほどの素晴らしさでした。
 さて、次は国道32号線から県道45号線を東に進み、奥祖谷(おくそい)と呼ばれる山奥へ。そこに平家の落人伝説でも知られる「かずら橋」があります。シラクチカズラというツル植物を束ねて作られた吊り橋で、これが怖い! 進行方向に向かって直角に何枚もの細い板が渡してあるのですが、その板と板の間の間隔が約20cmほどもあり、足のサイズが28cmである私でもやっと2枚の板に足を乗せられるという感じ。足の小さい人(というか日本人で普通のサイズの足を持つ人)は、手すりとなっている太いツルの束に掴まりながら、恐る恐る渡っていくという感じになります。これ、遊園地の絶叫系マシンが好きな方にはオススメかも。
 そして最後に訪れたのが、そこから細い県道を延々と東に行った山奥にある奥祖谷観光周遊モノレール。これ、大正解でした! 小さな遊園地にあるような、大人2人しか乗れないモノレールなのですが、大自然の中を最大傾斜30度で登って下る約65分の旅。その間にスギ林、シデ林、ナラ林を通過して、頂上に登ると、遥か彼方に剣山の山頂が望め、帰りも湿地帯を通り、途中から行きと同じコースを逆走して戻るのですが、これから登るモノレールとすれ違うこともできます。何よりもいいことは、森林の空気を五感で存分に味わえること。登山では聞き逃したり、見逃したり、臭い逃がしたり(?)するであろうものが、思う存分感じられた65分でした。アクセスの悪い立地条件ながら、行く価値絶対ありです!(私はラッキーなことに、目の前で夫婦の野性のシカまで見ることができました!)
 そして帰途。昨日行った剣山登山リフト乗り場に出て、昨日と同じコースを通って美馬に出たのですが、昨日会ったおばあちゃんのところでまた車を停め、しばらく雑談。水をまたもらい、地元の人に人気があるという梅干しまで何とタダでもらってしまい、記念写真も撮らせてもらって、徳島から帰って来ました。

 めまぐるしい3日間の徳島旅でしたが、充実度は100点満点! お金ができたら、秋にまた行きたいと思った次第です。皆さんも、ご自分の目で徳島の良さを確かめてみてはいかがでしょうか?

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徳島旅行その2

2011-07-24 00:16:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 轟の滝を諦めた私は、帰りは同じ道だとつまらないと思い、国道195号線をロープウェイのところで北へ曲がり、県道19号へ。途中1車線しかなかったりしてスリル満点でしたが、道の横を流れる那賀川がこれまた風情のあるいい川!(今後も、徳島の川の良さに、再三感心させられることになります。)午後6時前には無事に徳島駅前の東急インに到着することができました。
 予定よりも早く宿に着くことができたので、本来なら明日行こうと思っていた眉山ロープウェイに行くことを決意。餃子の王将で生ビールセットとチャーハンで腹を満たした後、駅前から徒歩10分というロープウェイ乗り場へいざ出発、と思ったのですが、そこへビルに反響する阿波踊りの音が! 少し歩くと、何と徳島駅から眉山へと至る途中にある新町橋のほとりの藍場浜公園で、子供たちが阿波踊りの練習の真っ最中なのでした! 生の太鼓と笛の音と掛声が飛び交う中、小学生から中学生ぐらいであると思われる女の子と男の子が先生の指導の元、見事な阿波踊りを踊っていて、足を停め、しばし見入ってしまう私。隣では大人のチームも練習していましたが、リズムは子供たちの方が早く、また女の子の動きも、大人とは違ってなよなよせず、かと言って色気はしっかり感じさせる動きで、その魅力に完全にノックアウトされました。後になって知ったのですが、8月中旬の本番に向けて、毎年6月の初め頃から屋外での練習を始めるらしく、この時期に徳島を訪れて大正解だったと思った次第です。
 眉山ロープウェイの乗り場は、徳島駅から線路に対して直角に進む大路の突き当たりにある5階建ての美しいビル「阿波踊り会館」の5階にあり、往復1000円。山頂の展望台では、夜風に当たりながら、美しい徳島市内の夜景が堪能でき、大鳴門橋から黒々と横たわる吉野川の様子まで見てとることができました。帰りは阿波踊り会館の1階のお土産屋さんで、母へのと職場の同僚の皆へのと2つのお土産を早々とゲット。時間が遅く、貸し切り状態だったので、店員さんと相談して、いい土産を選ぶことができました。ということで、1日目が終了。轟の滝に行けなかったのは残念でしたが、天気のことを考えれば致し方なかったかもしれません。徳島三名滝と言われる大釜の滝、雨乞いの滝とともに、そのうちまた改めて訪ねようと考えながら、眠りに落ちた私でした。
 さて2日目。早く目が覚めた私は、予定を早めてホテルを出発。徳島自動車道(高速道路)で阿波パーキングエリアに向かい、まずそこから歩いて行ける「阿波の土柱」を見物。そして今日のメイン、剣山登山へと向かいました。美馬ICで徳島自動車道を降り、そこから国道438号線をひたすら南下。道はどんどん細くなり、舗装はされているものの1車線の部分が多く、しかも曲り角だらけですが、点在する集落を抜け、途中崖下に広がる穴吹川がこれまた美観だったりして、運転していて決して飽きることはありません。1時間ほどすると剣山ドライブウェイと呼ばれるくねくね道に入り、眼下には四国山脈の山並みが広がり始めます。耳にはヒグラシの合唱が! そしてやっと剣山登山リフトに到着。ドライブで消耗した体力を回復するために、売店で飴を買ってから、いよいよリフトへ。830mの高低差を15分で登ってくれるリフトのおかげで、その後はゆっくり登って40分で頂上へ。たまたまこの日はガスがかかっていて、視界がほとんどなく、大山まで見えるという景色を堪能することはできませんでしたが、代わりに幽玄な世界を味わうことができました。リフト降り場から頂上までの登山道は、整備されているとともに自然林の素晴らしさが味わえ、この季節だと高山植物のかわいい花々も楽しめて、天気のいい日にまた訪れてみたいと思わせる、そんな魅力的な道でした。
 リフトでまた麓まで降り、来た道を逆方向に美馬まで帰ったのですが、途中休憩のために車を停めたところ、そばで店番をしていたおばあちゃんに「お茶、飲んでいきな」と声をかけてもらい、思わず一服。暑い最中に一人でバラックのお店番をされていたおばあちゃん。お菓子や飴まで勧めてくれ、恐縮した私がお店の佃煮を二つ買わせてもらうと、裏に掛け流しにされていた清流がおいしいと言って、2リットルのペットボトルに一杯に詰めてくれた上、採りたてのキュウリまでお土産にしてくれました。(またまた明日へ続きます‥‥)

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徳島旅行その1

2011-07-23 05:13:00 | ノンジャンル
 7月12日から14日にかけて、2泊3日でフリープランの徳島旅行に行ってきました。私事ながら、こちらでそのご報告をさせていただきたいと思います。
 初日。朝7時30分に羽田を出発し、徳島阿波おどり空港に8時50分着。空港でレンタカーを借りて、先ず大鳴門橋の「渦の道」を目指しますが、空は暗く、ときおりかなり強い雨が‥‥。予定では神戸淡路専門自動車道(高速有料道路)を通って行こうと思っていたのですが、道に迷い、結局一般道を使って淡路島へ。しかし逆に海沿いの道や、うねうねと曲がる崖沿いの道を走れ、無事、「渦の道」の入り口に到着できました。「渦の道」とは、大鳴門橋を徒歩で渡る吹き抜けの道で、450m先の展望台からは真下に渦潮を見ることができ、大きいガラス床も用意されているとのこと。折からの強風で、大鳴門橋の橋脚にぶつかる「ざっぱ~ん」という波の音が半端なく、迫力満点です。入り口でカッパを買い、横風とともに吹きつける雨でずぶ濡れになりながらも、展望台へ到着。9時30分の干潮時まっただ中だったので、数百メートル幅の川の流れといった感じの潮流と、直径数十メートルにも及ぶ巨大な渦潮を見ることができました。(中潮の今日でこの迫力なのですから、大潮の日には一体どうなってしまうんでしょうか?)
 さて2番目に目指すは、西日本最長という太龍寺ロープウェイ。徳島の東岸沿いのバイパス55号線を気分良く飛ばし、道が南西に折れる辺りで、内陸へ向かう国道195号線へ。里山の風景が広がる中、道沿いの桑野川の佇まいの素晴らしさについ目を奪われ、思わず車を停めて、写真を1枚! やがて大鳴門橋を出発してから2時間弱で、ロープウェイ入り口に到着です。乗り場に併設された喫茶店で、ボリューム満点のカツカレーをいただいた後、いよいよロープウェイに乗車。お遍路ツアーの白装束の叔父様叔母様らとともに頂上へ。全長2775メートルで山と谷を越えていくという珍しいロープウェイ。靄のかかる山並を眼下に見ながら太龍寺山の頂上へとどんどん登っていく時の眺めは、実に見事で、往復2400円(JAF優待あり)の料金は元を取って余りあるものだと思いました。ロープウェイの終点にある、お遍路さんの札所の一つ、太龍寺は立派な作りのお寺で、石垣に咲くアジサイが美しく、山の緑に囲まれたロープウェイの巨大な滑車も、なかなか味わい深いものがありました。
 さて最後は今日の目玉、轟の滝。崖に囲まれた知られざる清流・海部川を遊歩道で1時間ほど歩いてやっと見ることができる滝とのことで、サイトの写真を見ると、まさに「幽玄」という言葉がピッタリの滝です。山中深く川沿いの道を延々と走り、やがてダムで出来たコバルトブルーの湖に出たのですが、ここで私は道を間違え、左折すべきところを直進。やがて道は行き止まり、そこには「大轟の滝」の看板が‥‥。草むした遊歩道があったので、それを目的地と勘違いした私は、車を降り、こそぼ雨降る中をカッパを着て、遊歩道を歩き始めます。やがて大轟の滝の上流にある滝が見えて来たので、その滝壷に降りようとしますが、道らしい道はありません。それでも、「最近は整備が行き届いていないのだろう」ぐらいに思って、細い木の幹を掴みながら強引に降りていこうとしたら、岩の苔に足をすべらせ、背中から見事に転倒! もし右手で木の幹を掴んでいなかったら、そのまま岩の下の方まで転落して、下手すると大ケガをしていたかも、と気付き、改めて肝を冷やしました。ズボンは泥だらけになり、体のあちこちにすり傷らしき痛みを感じたので、ここに至ってやっと滝壷へ降りることを断念。体勢を立て直して、何とか上の遊歩道へと生還。車に戻り、道を引き返して、途中にあったダムの資料館のトイレでズボンの泥を落とした後、資料館の従業員の人に尋ねて、そこでやっと自分が道を間違えていたことに気付いたのでした。が、既にもう午後3時。資料館の人からも「これから轟の滝を目指すのは危ない」と言われたので、しぶしぶ轟の滝をあきらめ、徳島市内に戻る決心をした私なのでした。(明日へと続きます‥‥)

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『ぴあ』終巻に『シティロード』を想う

2011-07-22 05:08:00 | ノンジャンル
 昨日、エンタの情報誌『ぴあ』の廃刊が報道されていましたが、その最終号の中でみうらじゅんさんらが言っていたように、'80年代から'90年代にかけての映画好きな人間は『ぴあ』派と『シティロード』派に分かれていたように思います。どちらの情報誌にも東京近郊の映画館の一ヶ月分の上映スケジュールが掲載されていた上、名画座などでその情報誌を提示すれば数百円の割り引きが受けられました。当時('70年代後半から'80年代前半にかけて)、大学の授業をさぼり、毎日のように名画座に通い出していた私は、それらの雑誌の存在を知って狂喜し、それ以降発売日には必ずゲットし、1ヶ月分の映画見物スケジュールを組んで、手帳に書き込んでいたことを、今でも鮮明に記憶しています。巻末の読者プレゼントでは、映画館の無料招待券もあり、ロードショー館はさすがになかなか当たりませんでしたが、池袋文芸坐などは結構よく当たり、毎月のように数枚の無料招待券をもらっていたりもしました。
 どちらも最初は月刊誌で、その段階では私は『ぴあ』を買ったり、『シティロード』を買ったりしていたようにも思うのですが、ページのレイアウトは『ぴあ』がごちゃごちゃした感じなのに対して、『シティロード』の方がすっきりしており、そういった点でも私はかなり『シティロード』派だったように思います。また、『ぴあ』は及川正道さんの表紙からも分かるように「ポップ」志向で、映画紹介なども軽薄短小を地で行っていたような感じだったのに対して、『シティロード』は読者がその映画を見たいか見たくないか判断するのに参考となるような的確な情報を、きちんと分かりやすく発信していた記憶が朧げながらあります。
 やがて『ぴあ』は隔週刊となり、そこまでこまごまとした情報を得る必要はないと思っていた私は、完全に『シティロード』派となり、『ぴあ』はまったく買わなくなりました。その後も『ぴあ』は拡大路線をひた走り、『チケットぴあ』なる商売も始め、『シティロード』は完全に『ぴあ』の勢いに押される格好となり、'93年ついに廃刊に追い込まれてしまいます。それを知った時の絶望感、敗北感!「悪貨が良貨を駆逐する」という新しい格言が誕生したかのような、そんな思いでした。
 昨晩の報道ステーションでキャスターの古館さんは「また一つの時代が終わった」というようなことをおっしゃっていましたが、私にとっては'93年に既に「一つの時代は終わっていた」訳です。『シティロード』が『ぴあ』の軍門に下りつつある時期、フィルムセンターは焼け、池袋の文芸坐は閉館となり、他にも大井町の名画座も消えてゆくなど、映画にとっては冬の時代でもありました。しかし現在、焼けたフィルムセンターも再生し、池袋の文芸座も復活し、いろんな特色ある小さな映画館も増えてきていて、東京における映画環境は明らかにいい方向へと進んでいるように感じます。そんな中での『ぴあ』の廃刊。私は喜ばしいことなんじゃないかななどと、勝手に思ったりもしています。
 ジル・ドゥルーズは「リゾーム」というネットワーク社会を予言していましたが、今まさに社会はその方向に進んでいこうとしています。『ぴあ』のようなメジャーな情報誌が一括的に、しかも上位下達的に情報を与え、情報料として利益を収奪するというシステム自体が、既に時代後れになりつつあるとも言えるのではないでしょうか? 映画に関する情報発信はインターネットでのメールサービスや、新聞などの各種印刷媒体で、以前よりも活発に行われるようになっており、今回の『ぴあ』の廃刊で一部の人が危惧しているように、「人は自分の好きな分野の情報しか得ようとしなくなり、どんどん蛸壺的にマニアックになっていってしまう」という現象など、私は起こらないと楽観的に考えています。改めて言いますが『ぴあ』の廃刊、喜んでいいんじゃないでしょうか?

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