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山田詠美『自分教』

2015-01-26 15:29:00 | ノンジャンル
 文芸月刊誌『群像』2015年1月号に所収されていた、山田詠美さんの作品『自分教』を読みました。二段組み10ページからなる短篇です。
 私は神であり、教祖と信者も兼ねている存在である。ひとり宗教は「みこちゃん教」と呼ばれる。私の名前である神戸巫女から付けた。実は、本名は美子(みこ)であるが、勝手に改名させてもらった。
 数々の受難の末に、私が天の啓示を受けたのは中学の時。幼い頃から、みこちゃん教を開くまで、理不尽な扱いを受けた経験は数限りない。意地悪、苛め、仲間外れ、濡れ衣、裏切り、捏造など、犯罪人としてしょっ引いて行けないからこそ始末に困る類のちゃちな悪意なら、ほとんどすべて受け止めて来た。叔父は「美子ちゃんが、あまりに可愛らし過ぎて、何とかして気を引きたくなっちゃうからだよ」と言い、パンツに手を入れて来て、下半身を押しつけてきた。言葉、肉体における暴力は蔓延していた。大人の男たちが近付いて来る場合は、性的なものも加わった。しかし、私は耐えた。そして、そうすればそうするほど、新たな罪人たちが押し寄せて、私のオアシスに首を突っ込んだ。次第に順番を待つような秩序は失われ、大混乱となった。
 そして、とうとうその日がやって来たのである。心の奥底から、くわーっ、辛抱たまらん! という声が湧き上がり、地鳴りのように体中に響き渡ったのである。次の瞬間、私は、ある特定の人物に向けて念を送っていた。「死ね。うんと、苦しんで死ね」その思いは正確に届いたらしく、彼はのたうち回って死んだ。同級生の男子だった。名前は、初野仁志という。私をいかに陰惨に苛め抜くかに常に心を砕いている生徒だった。
 私が苛められることに麻痺してきた頃、初野仁志が私に与える危害は、他の危害の中に埋没しつつあった。彼は次第にあせり始めた。そしてある時、苛められている私に近付くと、「可哀相に」と言って、私を助け起こし、「この子に与えなくてはならないのは、存在していることへの制裁ではない。同情だ」と言ったのである。その瞬間、私の中ですっかり馴染んだ筈の痛みや苦しみが、新たな輪郭を携えて立ち上がって来たのだ。屈辱も姿を現わし、同時に、忘れていた様々な感情が甦って、私という器の中で大暴れを始めたのである。それら全部を放出して楽になりたいと切に願った私は、大量のどす黒い感情を、初野仁志に向けて噴き上げた。すると、それはすぐさま念に姿を変え、またたく間に標的を覆い尽くした。「死ね。うんと、苦しんで死ね」数日後、彼の家族の者たちは、次々と不幸な死に見舞われた。そして、たったひとり残されたのが、末っ子の仁志であった。順序良く家族を亡くして行くという悲痛な経験をくり返しながら、彼は生き地獄の責め苦にあえいでいたが、その内、原因不明の病で闘病生活に入った。そして、これ以上ない苦痛の中で悶絶したあげくに、ついに絶命した。しかし、積年の恨みをはらしてせいせいしたとは、私は思わなかったのである。それよりも、意外にカジュアルな感じで、あれまっ! と呟いたのだ。
 もしかしたら、体質が変わったのかも、と気になり、初野仁志の次に私をひどく虐げた女生徒にも念を送ってみた。その女生徒もさまざまな要因から辛酸を嘗めた後、錯乱状態で用水路に身を投げた。じゃあ、こうしたらどうなる? と続けて性的悪戯をし続けた叔父にも念を送ってみた。すると、やはり、彼はどん底生活に突き落とされ、無念の内に息を引き取った。断腸の思いだ! と絶叫したところ、本当に腸が千切れ飛んで、後片付けが大仕事だったという。
 ここまで来て、私は確信した。自分には、ある能力が備わったのだ。世にも稀な復讐の才能が与えられたのだ。
 そこで、私が選んだのが世界最小の教団の設立である。神の私、教祖の私、信者の私。ついでに巫女もねっ。こうして、みこちゃん教は始めの一歩を踏み出したのだった。その輝かしいきっかけを作った初野仁志から慈悲の心と共にホーリーネームが授けられることになった。その名も、「初の人死」……。
 
 あっと言う間に読めてしまう楽しい短篇でしたが、細部が楽しめるので、是非原文を読まれることをお勧めします。なお、上記以降のあらすじについては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「山田詠美」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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