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バズ・ラーマン監督『オーストラリア』その5

2014-05-22 08:47:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 ドローヴァー「乾季が来たら俺は牛を追う」サラ「でも今は雨季よ」。雨、降り出す。キスする2人。路上で雨に喜ぶ人々。カーニー、フレッチャーに「アシュレイは野蛮な先住民に殺されたのか? お前はうちの家族じゃない。財産は譲らんし、もし娘の身に何かあれば、お前は全てを失う」。雨の中、1人残されるフレッチャー。“オズの魔法使い”のラスト「やっぱり家が一番」のシーンを見るナラ。お互いに服を脱がし合うサラとドローヴァー。雨季のオーストラリアの風景。『ドローヴァーが言ったように雨で全てが生き返った。緑の豊かな土地が生まれて、僕らはファラウェイ・ダウンズに戻った。ミセス・ボスもドローヴァーもハッピー。オマワリのキャラハンもハッピー。彼はミセス・ボスのもてなしに目がくらみ、僕が見えなくなった。そして僕は生まれて初めての言葉を聞いた。“クリスマス”。それが過ぎると雨がやんだ。ドローヴァーは牛追いに出た。ミセス・ボスはとても寂しそうだった。でもドローヴァーは戻ってきた。キング・ジョージは言った。“ワニはいつも狙っている。用心しろ”と」。
 フレッチャーはカーニーを殺し、ワニに食べられたように擬装し、自分が後釜の社長となり、カーニーの娘を娶る。そしてサラの許を訪れ、ドローヴァーとナラを危険な目に会わしたくなければ、土地を売れと迫る。牛追いから戻ったドローヴァーは、大尉の要請でまたすぐに牛追いに出てしまい、サラと仲違いする。またナラはサラの反対にもかかわらず、大人になるための旅“ウォーク・アバウト”に出て、フレッチャーに捕えられてパーカー博士に手渡され、キング・ジョージも捕えられて、牢に入れられてしまう。やがて日本軍による真珠湾攻撃が行なわれ、米国が参戦、オーストラリアにも軍を派遣し、日本軍の南下が予想される。サラはナラを探しにダーウィンの街へ行き、島に連れていかれるナラと会うが、ナラを取り戻すことができない。一方ドローヴァーは同行しているマガリから「あんたはサラから逃げてる。このままではあんたの人生には何の物語も残らない」と言われる。
 やがて日本軍によるダーウィンへの爆撃が始まる。最初に爆撃を受ける伝道の島。燃える街、ダーウィンに着いたドローヴァーは、サラが爆撃で死んだことを知る。そして島の子供たちが全滅したと聞いて、単なる噂だと信じ、船を出す。島に着くと、ナラを含めて隠れていた子供たちが現れる。迫る日本兵から逃れるドローヴァーら。フレッチャーの妻の死体と間違われていたサラは、避難を強制され、トラックに乗せられようとするが、煙の向こうからナラがハーモニカで吹く“虹の彼方へ”が聞こえてきて、桟橋に駆け寄ったサラはナラとドローヴァーと再会する。妻を失い、財産も失ったフレッチャーは、子供たちが助かったのを見て、自分の不幸は全てナラのせいだと決めつけ、ナラを射殺しようとするが、それを見守っていたキング・ジョージは金属の棒を矢として放ち、フレッチャーを射抜いて殺す。
 ラスト。『僕は学んだ。物語を語る大切さを。それは人と人の心を結びつける』。ナラは、キング・ジョージの許へ。それを見送るサラとドローヴァー。“オーストラリア政府は北部地域の先住民に対する同化政策を1973年に廃止した。2008年、オーストラリア首相は“盗まれた世代”に正式に謝意を表明した”の字幕で、映画は終わる。

 俯瞰の移動とパンが多用されていて、前半の牛追いの場面はホークスの『赤い河』やフォードの『捜索者』を思わせるシーンがあり、まさに西部劇で、後半は画面的には退屈なシーンが多かったのですが、それでもラストでのナラとサラらの再会シーンはエモーショナルでした。“社会正義”や、それに伴う“希望”なども、映画のエモーショナルな部分に多分に影響していたのではと思います。CGを過剰にではなく、適切に使っている見本であるようにも思えました。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/