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木皿泉『晩パン屋』その3

2014-05-03 06:44:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 文化祭のステージが無事終わったというのに、雪夫の様子がよそよそしくなって、コトブキはとまどった。バンドの1人が「ひょっとしたら雪夫だけ引き抜かれて東京へ行くかも」と教えてくれた。そのうち雪夫は練習に来なくなった。これは仲間として喜ぶべきことなんだと、コトブキは何度も自分に言い聞かせた。だから、久しぶりに雪夫に誘われて、場違いのロシア料理店に連れていかれたときも、平気な顔を保ち続けた。そこで、ちょっとヘンな大人に引き会わされ、やっぱりプロになって東京に行く話ばかりされ、雪夫はとてもはしゃいでいた。店を出て二人きりになった時、雪夫は「よかった」と何度もコトブキの肩をたたいた。自分も調子をあわせて「よかったな」を連発してると、「何、人ごとみたいに言ってんだよ。お前の話だろーが」と雪夫に言われた。どうやら、東京へ行くのはコトブキの方らしい。「えっ、オレがボーカルなの?」「歌っただろ、文化祭で」それはあてにしてたヤツが扁桃腺を腫らしたからで、歌ったのは一日だけである。「そりゃ、ムリだよ、ボーカルって。絶対ムリ」「お前の歌い方は、誰の真似でもないんだよ」。それはそうかもしれない。家には、真似したくなるようなものは何もなかったのだから。「雪夫は、どーすんだよ?」「受験するに決まってるだろ」。父がやっている会社を継ぐのさ、と雪夫は言い、「いいよな、お前には何もなくて」と、イヤミでなく、心の底からうらやましそうに続けて、コトブキの頭をつかんで、がしがし揺らし、「お前は、お前にしかできないでっかいことを、しでかすんだよぉッ!」と言った。それは、ずっと夢見ていたことなのに、いざ目前に迫ってくるととても心細く、できることならなかったことにして、この先もずっと雪夫と下手なバンドをやりたかった。きっと雪夫もそう思っているに違いなかった。なのに二人は、約束でもしたかのようにそのことを一切口にせず、二匹の犬っころのように、もつれながら坂道を転がっていった。
 次の年の春、ツバサの桜は、何かの大売り出しセールのように咲きに咲いた。コトブキは、竹月にだけ東京行きのことを相談していたらしく、このままツバサには黙って出ていくらしいよ、と竹月はツバサに言った。コトブキからツバサに宛てた手紙には「人間のしあわせは、毎日の暮らしの中にあると、ツバサは思ってるみたいだけど、それは、そうかもしれないけど、でも人間の一生は短いのです。一度しかない人生ならとことんやってみたいのです」と書かれていた。竹月「これから、どこへ行こうかね?」ツバサ「当分は人間とかかわらない所がいいな。オレの家はコトブキだった」。竹月は明るく笑いとばした。「オレたちには、元々、家なんかないんだよぉ」。そうだった。すべては甘い眠りが見せた夢なのだ。「こいつ、人間かぶれしてやがる」と竹月はゲラゲラ笑った。
 コトブキは、家を出るのは店を閉める早朝と決めていた。家を出て駅に向かおうとした時、何かが違うことに気づき、「明日、あります」の札がぶら下がっていないことに気づいた。家の中は道具類がきれいになくなっていた。重いカーテンも全てはぎ取られ、朝の光が容赦なく畳を射していた。本当に、オレはツバサと暮らしていたのだろうか? 引き出しも全て空だった。今までのことは、自分が勝手に作り上げた妄想だったのだろうかと、頼りない気持ちで一杯になった時、ふいに三歳の自分が思い出された。ツバサと暮らしたことがどんどん遠のいていき、必死にツバサと暮らした証拠がないか探した。ツバサと暮らした音、ツバサの歌声が聞こえてくる気がした。自分の歌は、ツバサの真似だった。バスタオルで、ぎゅっと抱きしめられるのが好きだった。コトブキは「明日、あります」の看板を鞄の奥に詰め込み、最後に階段を踵でぎゅっと踏んでみた。あんたに惨めだった、ぎいぎいという音は、不思議なことに泣きたいほど懐かしい音になっていた。

 “家族”と“別れ”がテーマになっている小説で、「暮らしの細部こそが人生」という主題が響いてくる、そんな味わい深い小説でした。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/