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トルーマン・カポーテイ『クリスマスの思い出』

2013-03-17 09:38:00 | ノンジャンル
 朝日新聞の特集記事で、年始年末に読む本として推薦されていた、トルーマン・カポーティの'56年作品『クリスマスの思い出』を読みました。
 僕は7歳で彼女は60を越えていますが、僕らはいとこ同士です。僕らの家には他にも人がいますが、みんな親戚の人たちです。彼女は僕のことをバディーと呼びますが、それは昔バディーという名前のやはり無二の親友がいたからでした。
 11月のある朝がやってくると、我が友は高らかにこう告げます。「フルーツケーキの季節が来たよ! 私たちの荷車を持ってきておくれよ。私の帽子も探しておくれ」と。ビロードの薔薇のコサージュがついたつばの広い麦藁帽子はすぐに見つかり、僕らはふたりで専用の荷車(実は僕のおんぼろのうばぐるま)を引っ張って、ピーカンの果樹園まで行きます。3時間後に僕らは台所に戻って、荷車いっぱい集めたピーカンを剥いています。30個のフルーツケーキを作るために。僕らは夕食を食べながら、明日の予定について話し合います。明日になれば僕の大好きな仕事、買い出しが待っているのです。毎年僕らはちびちびとクリスマス用の貯金をします。お金は時代物のビーズの財布の中に隠してあるのですが、土曜日には僕は映画を見るためにそこから10セントもらっていました。我が友はそれまで映画を見たことなんて1度もなかったし、またみたいとも思わないのです。「私はお前に筋を聞かせてもらうほうがいいよ。そのほうがいろいろと想像できるもの。」と我が友は言うのでした。僕らのフルーツケーキの材料の中ではウィスキーがいちばん高価であり、しかも手に入れるのがむずかしいのですが、ハハ・ジョーンズさんのところで一瓶買えることを知らないものはいません。怖い人と言われていたハハ・ジョーンズさんは僕らが渡したお金を返すと「金はいらんから、かわりにフルーツケーキをひとつ届けてくれや」と言ってくれるのでした。
 4日後に僕らの仕事は終わります。31個のフルーツケーキ。ウィスキーをふりかけられ、窓枠や棚の上にずらりと並べられています。それらのケーキは友人たちのために焼かれたのでした。でも近所に住む友人のためだけではありません。割合としてはむしろ、おそらくたった一度しか会ったことのない、あるいはただの一度も会ったことのない人に送られるもののほうが多いのです。彼らは、僕らが気に入った人たちでした。たとえばローズヴェルト大統領、たとえば昨年の冬に町に来て講演をした牧師のルーシー夫妻、年に2回町にやってくる小柄な包丁研ぎらでした。昨日僕らは最後のケーキを郵便局まで運んでいきました。切手代を払うと、僕らの財布はすっからかんになってしまいました。僕らは残ったウィスキーをストレートで飲んで唄を歌い、踊りだしますが、2人の親戚がかんかんに怒って部屋に入ってくると「七つの子供だよ! 息がウィスキー臭いじゃないか!」と怒鳴り、我が友はうなだれて泣き出し、僕は慰めます。
 翌朝、僕らは誰も知らない森の奥へ行って、いちばん綺麗なモミノキとヒイラギを探してきます。そして僕らは手作りの飾りを作り、ツリーにくっつけます。ヒイラギで窓を飾った後、僕らは家族のみんなにプレゼントを用意しますが、僕らはお互いに凧を贈り、それを牧草地で上げていると、僕はすごく幸せな気持ちになります。
 しかしこれが僕らがともに過ごした最後のクリスマスでした。僕が寄宿学校に入れられた後も、彼女は11月になるとフルーツケーキを焼きつづけ、僕に「いちばん出来のいいやつ」と十セント玉と「映画を見て、私にその筋を教えておくれ」という手紙を送ってくれていましたが、やがて彼女は僕と、彼女のもう1人の友達を混同するようになり、そしてある11月の朝、冬の訪れを知らせる朝なのに、彼女はもう身を起こすことがなくなるのでした。そしてそのとき、僕にはそれが起こったことがわかります。そして僕は空を見上げます。ふたつの迷い凧が天国に向かって飛んでいくところが見えるのではないかという気がして。

 あっと言う間に読める短編で、ラストはそこはかとない情緒あふれるものでした。ファンタジーとしてお勧めです。(ちなみに訳者は村上春樹氏、その協力者として柴田元幸さんの名前が挙げられています。)

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto