和田誠さんが著書『五・七・五 交遊録』の中で紹介していた、南伸坊さんの'00年作品『歴史上の本人』(文庫本版)を読みました。伸坊さんが歴史上の人物に扮装して、そのゆかりの地を訪れ、本人になりきって自らの謎を解き明かすという新機軸(?)の本です。
扮した人物とその人物の持つ謎とは、二宮尊徳(なぜあそこまでして学問に没頭したのか)、金太郎(その正体とは?)、仙台四郎(神様とも讃えられた四郎になりきって、その心情を探る)、松尾芭蕉(何のつもりで句作の旅に出たのか、松島へ行って探る)、シーサー&沖縄の伝説の生き物キジムナー(正体を探る)、徐福(始皇帝から不老不死の薬を日本へ探しに行くことを命じられ、そのまま日本から帰らなかったのは何を考えてのことだったのか)、聖徳太子(その正体の謎に迫る)、大村益次郎(頭の形が変なこの維新の豪傑が何を考えていたのか)、大国主命(その逸話の謎に迫る)、左甚五郎(眠り猫になってみる)、清水次郎長(偉さを実感してみる)、樋口一葉(とりあえずなりきって彼女の気持ちを味わってみる)、西郷隆盛(大人物の気持ちを味わう)、小野道風(柳に飛びつく蛙を見つめてその時の気持ちを探る)、天狗(とりあえずなりきってみる)、織田信長(人間五十年と言い続けた彼の気持ちを探る)、運慶(幼い頃から他人とは思えなかった彼になりきり、また仁王像にもなってみる)というもの。
伸坊さんの文章はユーモラスで博学、そしてちょっと毒(?)をも感じさせるものもあり、例えば「『松島は 相撲の名にはもの足りず 伸坊』 これは昔、松登っている名前のブルドッグに似た相撲がいたが、得意技がぶちかましだけという変わり者で、ぶちかましは要するに体当たりで、単にぶつかっていくだけなのだ。よけると土俵の下まで飛んでいくので、大概の人はよけていた。それでも大関にまでなった人だが、今ごろどうしているだろう。もう死んだろうな、という気持ちである。松登も大して強そうに聞こえないが、松島が四股名の相撲がいたら、もっと強そうじゃない」といった文章などにそうした面が現れていると思いました。そして普段から面白い人であるらしく、「私はタイのレストランで、遠くにいるボーイにラベルに描かれた、このドーブツ(ライオンのこと)のマネをして、ビールを持ってこさせた実績がある」などの文章や、熊のぬいぐるみのスカートを頭から被ってみて、聖徳太子になっていることを発見し、すぐに奥さんを呼んだというエピソードや、本書で衣裳と小道具と写真撮影を担当して伸坊さんに常に同行している奥さんとのやりとり、そして何よりも天真爛漫な伸坊さんの写真から、それは十分に伺えました。
本書で初めて知ったことも多くあって、例えば孔子は身長が2mもある偉丈夫だったこと、ペリー来航の翌年に密航を企てた吉田松陰が捕まり「安政の大獄」が起こったこと、江戸時代は、あんまや琵琶法師、いたこやごぜなど身体的障害者に生活の場を提供する想像力に恵まれた時代だったこと、そしてそれを実現したのは浅薄な憐れみではなく深い畏れだったこと、「松島や ああ松島や 松島や」という句を松尾芭蕉は詠んでいないこと、井原西鶴は芭蕉より2つ年上で、もとは芭蕉と同じ俳人であり、一日に2万2500句を作ってみたり、奇抜な句を作ったりしていたらしいこと、伊豆・韮山の願成就院は、運慶が初めて東国へ下鎌して、本格的な活躍の端緒をつかんだ記念すべき名刹であることなどが、それであり、私はすぐさま願成就院に旅する計画を立てたのでした。
とくかく常に身近に置いておきたいほどの魅力的な本です。まだ読まれていない方には、一読されることをオススメします。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
扮した人物とその人物の持つ謎とは、二宮尊徳(なぜあそこまでして学問に没頭したのか)、金太郎(その正体とは?)、仙台四郎(神様とも讃えられた四郎になりきって、その心情を探る)、松尾芭蕉(何のつもりで句作の旅に出たのか、松島へ行って探る)、シーサー&沖縄の伝説の生き物キジムナー(正体を探る)、徐福(始皇帝から不老不死の薬を日本へ探しに行くことを命じられ、そのまま日本から帰らなかったのは何を考えてのことだったのか)、聖徳太子(その正体の謎に迫る)、大村益次郎(頭の形が変なこの維新の豪傑が何を考えていたのか)、大国主命(その逸話の謎に迫る)、左甚五郎(眠り猫になってみる)、清水次郎長(偉さを実感してみる)、樋口一葉(とりあえずなりきって彼女の気持ちを味わってみる)、西郷隆盛(大人物の気持ちを味わう)、小野道風(柳に飛びつく蛙を見つめてその時の気持ちを探る)、天狗(とりあえずなりきってみる)、織田信長(人間五十年と言い続けた彼の気持ちを探る)、運慶(幼い頃から他人とは思えなかった彼になりきり、また仁王像にもなってみる)というもの。
伸坊さんの文章はユーモラスで博学、そしてちょっと毒(?)をも感じさせるものもあり、例えば「『松島は 相撲の名にはもの足りず 伸坊』 これは昔、松登っている名前のブルドッグに似た相撲がいたが、得意技がぶちかましだけという変わり者で、ぶちかましは要するに体当たりで、単にぶつかっていくだけなのだ。よけると土俵の下まで飛んでいくので、大概の人はよけていた。それでも大関にまでなった人だが、今ごろどうしているだろう。もう死んだろうな、という気持ちである。松登も大して強そうに聞こえないが、松島が四股名の相撲がいたら、もっと強そうじゃない」といった文章などにそうした面が現れていると思いました。そして普段から面白い人であるらしく、「私はタイのレストランで、遠くにいるボーイにラベルに描かれた、このドーブツ(ライオンのこと)のマネをして、ビールを持ってこさせた実績がある」などの文章や、熊のぬいぐるみのスカートを頭から被ってみて、聖徳太子になっていることを発見し、すぐに奥さんを呼んだというエピソードや、本書で衣裳と小道具と写真撮影を担当して伸坊さんに常に同行している奥さんとのやりとり、そして何よりも天真爛漫な伸坊さんの写真から、それは十分に伺えました。
本書で初めて知ったことも多くあって、例えば孔子は身長が2mもある偉丈夫だったこと、ペリー来航の翌年に密航を企てた吉田松陰が捕まり「安政の大獄」が起こったこと、江戸時代は、あんまや琵琶法師、いたこやごぜなど身体的障害者に生活の場を提供する想像力に恵まれた時代だったこと、そしてそれを実現したのは浅薄な憐れみではなく深い畏れだったこと、「松島や ああ松島や 松島や」という句を松尾芭蕉は詠んでいないこと、井原西鶴は芭蕉より2つ年上で、もとは芭蕉と同じ俳人であり、一日に2万2500句を作ってみたり、奇抜な句を作ったりしていたらしいこと、伊豆・韮山の願成就院は、運慶が初めて東国へ下鎌して、本格的な活躍の端緒をつかんだ記念すべき名刹であることなどが、それであり、私はすぐさま願成就院に旅する計画を立てたのでした。
とくかく常に身近に置いておきたいほどの魅力的な本です。まだ読まれていない方には、一読されることをオススメします。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)