”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

父親が死んでからはや22年目を迎えるが

2010年08月13日 22時52分58秒 | ライフスタイル
お盆にというか、命日にも、一度も墓参りをしたことはない。

本来、盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経 』、『報恩奉盆経 』などに説かれる釈迦の十大弟子の一人である目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。

一方日本でのお盆(おぼん)は、太陰太陽暦である旧暦の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事。一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。

というわけで特に後者の意味で接するお盆には、私的には基本的に何の意味も見いだせないから、墓参りなどという形式的儀式を嫌っているのである。
そもそも、死者に対する供養とは何であろうか。それも自分の父母等であるならば、まさか地獄で苦しんでいるから供養して浄土へ送り出そうというものではあるまい。

では、単なる懐古の情にふけるために家族が集まるものなのか。私はそうは思わない。
追善回向とは何も一年のうちで特定の日にこだわるものではなく、年中日々行われるものでなくてはなるまい。
それは、自分を生み育ててくれた親への孝養として、「私は日々精進して、この世に生を受けた使命を全うして参ります。」という誓いでなければならない。
その意味では、まだまだ「未だ木鶏たりえず」といったところであり、さらに精進しようと改めて決意をさせていただいたのが本日である。

したがって、墓参しない私は決して親不孝の者ではないと確信する。
付け加えるが、上記と同じ理由で私の母も一度も墓参はしていない。