”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

僕の本籍地は,函館市松風町・・・でも,一度も住んだことはない

2010年08月21日 23時06分26秒 | 想い出
北島三郎の代表的なヒット曲はもちろん函館の女(ひと),その2番の歌詞には,「灯りさざめく 松風町は・・・」とある。
この曲が発売されたのは1965年,僕が小学校2年生の時だ。
高度経済成長まっただ中の活気のある時代で,およそ,健全なものも不健全なものも全てを包含して,日用品,グルメ,酒,女,歌すべての娯楽が一杯詰まった街だった。
実は,僕の本籍地はこの松風町であるのだが,いろいろ諸事情があって,一度も暮らしたことのない,住んだことのない町である。
大体僕ぐらいの年代だと,函館の中心は紛れもなく,大門・松風町だったと誰もが思うところのだ。
しかし,いまやシャッター通りを通り越して,建物すら無くなってしまい,空き地が目立つ。
「灯りさざめく」どころか,「暗闇にご用心」といったところだ。
今年は,やや観光が盛り返しているが,観光客の方々が思い描いてくる函館のイメージとはちょっと違和感があるかもしれない。
もちろん,今や観光の中心は西部・ウォーターフロント地区だから,夜の函館なんてどうでもいいだろうし,活性化なんて地元の人間だって懐疑的だ。
その原因のひとつが,僕の本籍地が松風町だということに関係がある。
松風町の興隆がピークに達した当時,店舗はあるが,居住空間はなく,郊外に家をもつ経営者が多かったこと。
仮に建物が自分のものであっても,借地が多いこと。
そうしたことが,常にスクラップ・アンド・ビルドの障害になってきたことだ。
それでも,大門・松風町での商売から離れることに抵抗を持っている人がいるから,細々でもかろうじて続いてる商業地区なのだ。
しかし,そうしたこの地にこだわりのない世代の消滅とともに,消え去るうんめいなのかもしれない。
新幹線開通後は函館駅だってどうなるかわからない。
その時を見据えて,「灯りの消えた松風町は・・・・」というフレーズを入れて,函館の男(ひと)という詩を創ろうかと密かに考えている。・・・・・・・・もちろん冗談。