命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

桃尾の滝に

2015年08月27日 05時18分49秒 | 修行(滝行、写経、巡拝、法螺貝・・・)

昨日はお休みを頂いたので、奈良県天理市にある桃尾の滝(もものおのたき)へ久しぶりに行って参りました。

滝行を始めたころは、この滝に通い詰めておりましたが、祈りの滝、不動延命の滝と出会ってからは、すっかり

ご無沙汰となってしまいました。しかし、ここのお滝に打たれると非常にすがすがしい気持ちになりいい行場です。

昨日のような天候が良い日は涼を求めて家族連れが大勢来られて賑わいます。

 

この滝は、布留川の上流に位置し、古今和歌集では後嵯峨天皇、僧正遍照が「布留の滝」と詠まれたので

別名、布留の滝とも呼ばれています。

明治の廃仏毀釈で廃絶されるまでは桃尾山蓮華王院龍福寺という密教寺院の境内地にありました。

この龍福寺は行基菩薩が伽藍を整備したと伝えられ、弘法大師が再興した真言密教の道場で最盛期には

寺領100石、16坊舎を有する大伽藍だったようです。 当時、奈良には龍のつく大きなお寺が三つありましたが

現在残っているのは、龍蓋寺(岡寺)のみとなりました。

 

滝壼の左側には鎌倉時代中期の作である不動三尊磨崖仏があり、また南北朝時代前期の作とされる

如意輪観音像などがあり、当時の面影が残っております。

  

 

早速、滝のお堂のお不動様と白龍大神様の御前にて法螺の奉納と御法楽。

法螺の音が山間によく響き渡りました。

  

 

行衣に着替え滝行作法で行場を清め、お滝の行をさせていただきました。

  

お滝のほうは、いつも通り、水量はたっぷり。

23mと落差があるので水圧も強く、それが非常に心地よくて気持ちよかったです。

水温のほうはまだまだ冷たさはないので、厳しさはありません。

が冬場になると声を出すのがやっとというくらいになり、滝の水圧で全身真っ赤に染まります。

合掌

 

 

 

 

 

 


お供え物

2015年08月26日 05時33分53秒 | ひと口法話

お供えについて大事なのは、お供えは必ずお下がりを頂く事です。

捨てるのは罰があたります。お墓などに食べ物が供えられたまま放置されている

のをよく見ますが、できるだけ供えた後で、お下がりとして持ち帰ってください。

その場で食べるのも良いと思います。

お下がりを頂くと、敏感な人はその食べ物の味が変わっているのが分かることがあるそうです。

お供えする前に味見をして、それから仏前に供え引き下げた後にもう一度味見してみると

確実に味が変わっているという人がいます。三分ほどでも味が変わるそうです。ご先祖様が箸をつけて

いるからとしか考えられませんね。

 

お供えで基本的なことは

・季節の花や故人の好んだ花をお供えします。高野槙もいいですね。

・朝に炊いたご飯と、朝に入れたお茶(お水)をお供えし、午後にはおろします。

・故人の命日には好物だった食べ物などを供えます。

・ほこりがたまらないように掃除を心がけます。

・お菓子や果物は毎日交換する必要は無いと思いますが、ご飯とお茶(お水)は毎日新しいものに交換したほうがいいです。

 

ほかにもいろいろあるでしょうが、一番は思いやりの心をもって手を合わせ、

「頑張っているから安心してね」などと語りかけて、故人を安心させてあげることが

一番の供養になり成仏への手助けとなるのではないでしょうか。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/


写経の功徳

2015年08月25日 17時03分45秒 | ひと口法話

写経は本来、経典を原本のとおりに書き写してお寺などに納め、仏さまを供養するために

行われました。

それがのちには、仏道修行の為、供養、祈願、功徳の為等、色々な目的で行われるようになりました。

文字を見るだけで功徳が有るお経を声を出してあげるとさらに功徳が大きいのですが

それを一文字、一文字心を込めて正確に書き写していくことは大変な功徳が有ります。

写経はまず、周囲を整え、手を洗い、口をすすぎ、身心を清めます。そして、香を焚き、

正座して姿勢を正し、呼吸を整えます。般若心経など、これから書写するお経を唱え

合掌、祈念します。静かに墨を磨り、経題から書き写していきます。

亡き人の供養の為、仏さまのご加護を祈る為、精神修養の為など

目的はいろいろあるでしょうが、写経は自宅で出来る尊い仏縁です。ぜひ、一度

行ってみて下さい。墨と筆がなかったら筆ペンでもかまいません。

仏教には八万四千の法門、つまり入口が有ると言います。さとりにいたる道の事で

いろいろな方法が有るという意味です。座禅を組む方法、お経を称える方法、

修行に励む方法などいろいろあります。しかし、いずれの方法にしても大事なのは心です。

ところが、この心と言うのが、やっかいもので、ほんのわずかな事でも揺れ動き

又日によっても変わったりします。例えば、親しい人の幸福を願っていた人でも

相手が自分より裕福になったりすると面白くなくなります。これが人間なのです。

「花が咲くのは無心に咲くから」という言葉が有ります。

仏教のシンボルである蓮華は、泥の中でも清らかに咲きます。ただ無心に咲きます。

時には心の揺れ動きを止めて、無心に成りたいものです。

心を込めて写経を致しますと無心に成ります。

当山でも来月から写経をはじめようと準備しております。

皆様もご一緒にいかがですか。

合掌

 

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価値観は人それぞれ

2015年08月24日 23時01分25秒 | ひと口法話

あの人とは価値観が違うから合わない・・・よくこういった言葉を耳にします。

しかし、よく考えてみると価値観なんて違っていて当たり前じゃないでしょうか。

おそらく、十人いれば十通りの価値観があるでしょう。

育ってきた環境や食べ物、生活習慣、人格・・・それぞれ同じということはありません。

考え方も違えば、感じ方も違い、価値観も違うんです。

でも、多くの方は自分の価値観が正しいと感じるようです。だから、自分の価値観だけで

判断して相手のことを非難したり、馬鹿にしたり平気でしてしまいます。自分の価値観だけが正しく

相手の価値観が間違っているなんてことはありません。そもそも、価値観に正しいも間違ってるも

ないんです。ただ勝手に存在しているだけで、いちいち他人が評価するなんておかしな話です。

まず、このことを認めなければいけません。

価値観の違いを認めないことは、自分勝手な価値観を相手に強要することになります。

まずは相手との違いを受けいれて相手と自分との差を認めることが大切ではないでしょうか。

合掌

 

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読経

2015年08月24日 15時16分19秒 | ひと口法話

ご先祖様の供養をするために、自分でお経を習って未熟でも自分で読経されることは

大変いいことです。

仏さまの前で雑念を払い、精神集中して一生懸命読経し、何百回、何千回と繰り返すと

仏の世界に入って行けます。別に難しい事ではありません。一度やってみてはどうでしょうか。

心に迷いが有る時や苦しい時など、一生懸命唱えていると集中され、唱え終わった時には

気持ちに落ち着きが生まれて来ます。読経は自分の気持ちを切り替える方法としても

大変有効な手段なのです。

また、経典について勉強してみる事も供養に成ります。また、そこから自分を見つめ直すことを

すると、よい心の修養に成ります。

読経は葬儀や法事の時に唱えられますが、ご先祖の供養を続けていると朽ち果てた木から

新芽が出たように次第に家が栄えて来るのです。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/