命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

しなやかさ

2015年08月29日 17時40分18秒 | ひと口法話

明るい人は他人から好かれますが、では性格が「明るい」とはどのようなことでしょうか。

人間の本当の「明るさ」とは、よく笑うことや、笑顔を絶やさないこと、社交的である事では有りません。

明るさとは、ものごとをどうとらえるかという心の有りようなのです。

本当の明るい人とは、どんなことでも受け入れ、動揺しないという心の深さ、強さを持っている人の

ことなのです。物事に対して動揺せず、的確に判断して処置をする。そして、後に尾を引かず、次の

ことを見つめる。また、場合によっては柳に風と、軽く受け流す事が出来る。この様な人の事です。

これとは逆に暗い性格の人は、ものごとを深刻に受け止めて動揺し、「何とかしなければ」と悩み

また、「もっと強くならなければいけない」と堅苦しく考えてしまう人の事です。

この様な人は、常に自分を叱咤激励しているのであり、結局はへとへとに疲れてしまい、それがかえって

周囲との軋轢を生む結果となりやすいものです。

つまらないことにエネルギーを使い果たし、人生を楽しむ余裕を失ってしまっているのです。

人の強さと言うのは、真っ直ぐに自分の考えを貫くというのではなく、「しなやかさ」「したたかさ」に

あると思います。硬い樫の木より柔らかい柳の方が風には強く折れないように。

合掌

 

 

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心がけ

2015年08月29日 05時12分06秒 | ひと口法話

かの発明家、エジソンは「天才は99%の努力と1%の才能だ」と言っているように

努力は人の見えないところで、しっかりとしなければならないのです。

何の努力もしないで、才能が花開くことはありません。

仏教の経典には次のような言葉があります。

「仏になることよりも、仏になろうとして精進し続けることが尊いのである」

日頃からいい心構えを持って精を出す。これが大事。

合掌

 

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妄想するな

2015年08月28日 17時22分24秒 | ひと口法話

「仏教には妄想すること莫(なか)れ」という教えが有ります。

妄想とは、自分で悩みの種を増やす事です。

済んでしまった過去のこと、またこれから先の事を悩んで自分で

あれこれ「妄想」しても仕方ありません。

悩むくらいなら、その時間で集中してやってみる。そしてこれから先の事

またありもしないことを「妄想」することをやめる。

そう心掛けることで毎日はもっと楽しく有意義なものになるに違いありません。

 

「過去を捨て、未来を捨て、現在をも捨てよ」

人間は往々にして過去、現在、未来のそれぞれについて考えすぎ。

勝手に考えて心痛めてる。時には心を空っぽに。

合掌

 

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一期一会

2015年08月28日 05時36分19秒 | ひと口法話

「一期一会」という言葉、よく耳にしますね。

「一期」とは仏教用語で生まれてから死ぬまでの人の一生を表し

「一会」とは一度だけの出会いを表します。つまり、その人との出会いは大切であるという

意味で使われます。

「会うは別れの始め」というように、人生においては、出会いそのものが別れのはじめなのです。

しかし、仏教では、だからといってわたしたちがこの人生を詠嘆的に生きてよいとは言ってません。

いまの一瞬一瞬を大事にしながら生きてゆくことを教えているのです。

未来における出会いが不確定だからこそ、わたしたちはいま現在のこの出会いを大切にしなければ

ならない。それが仏教の言わんとするところです。

本来、時間とは命そのもの。そして、どんな時間も一回しかない。

この今という時間は未来永劫二度と訪れません。つまり、今日このチャンスを逃したら次は無いってことです。

今日やるべきことは今日やらなければいけない、明日やる人に成功者はいない。

合掌

 

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学ぶ

2015年08月27日 05時30分29秒 | ひと口法話

私たちはなんで学ぶのでしょうか。

それは、学ばないと生きていけないからであります。

学ぶこと無しに食べることも、歩くことも、人と会話することも、本を読むことも

できません。

生まれたばかりの赤ちゃんは猛烈な勢いで勝手にどんどん学んでいく。

それが生きることだから。

つまり、私たちは生きるために学ぶのである。

もっといえば、よりよく生きるために学ぶのである。

生きている限り、一生学び続けるんです。それが、人間の本来の姿です。

仏教は何も亡くなられた方々のためにあるのではありません。

お釈迦さまは、生きている我々のために

生きる智慧やよりよい生き方、真理を数多く説かれています。

少しでも多くの方に仏の教えに触れていただけることを切に願っております。

当山でも、ほとけの教えを読み、書き、聞くなど五感を通して自己の修養にお役立ちいただければと

写経会など予定しております。

合掌

 

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