命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

見えないものへ評価は

2017年03月31日 17時01分09秒 | 命光不動尊のお言葉

皆様、形のある物には、お金を出しますが、

見えないものに対しての価値を考えない人が多くなりました。

 

技術や技や経験は、お金で買うことができません。

多くの時間とその技術を習得する為に使った費用と考えると

無駄なものなどひとつもない。

 

地道な努力の結晶であるみえないものを

お金に変えられない価値をどう評価するのか。

 

 不動尊にお供え

誠であげよ

損得思えば

無駄となる

 

南無大師遍照金剛


大王(だいおう)桜が満開です。

2017年03月30日 17時37分21秒 | 日記

「大王(だいおう)桜 」というそうです。

ご近所さんからいただきました。

もうすぐですね。お花見。

桜を見上げてのイッパイ最高ですね。

お茶を点てることもあります。

 

お花見はいつも、橋本カントリーで。

市民の皆さんに解放してくださいます。

 2015年4月2日

 

待ち遠しいですね。

 

合掌


26日は法要の後で、心もお腹も満たされて

2017年03月28日 18時47分57秒 | 日記

信者様に元料理人の方が来られてます。

その方は奥様をお嫁さんにする為に大好きな料理人の仕事を捨て、

奥様の父親が、希望する公務員になられました。

とてもガッツのある方で私はこのような方が大好きです。

 

26日の日曜日に簡単ですが、料理を作りますと言う事で

楽しみにしておりました。

我々がご供養をしている間に食事の用意をしてくださいました。

 

家にある器ですので、やはりお料理屋さんのようには見えませんね。

まことに残念です。でも味はすごく美味しいです。

感動いたしました。

 

食べ物の命の供養の歌   寳顕作

「朝夕に 物食うごとに 千萬の 命の恵みの 尊きを知れ」  

あさゆうに ものくうごとに ちよろずの いのちのめぐみの とうときとしれ

 

この歌は山主が、四国八十八ケ所巡拝の時の

食事の前にお誦えする為に作られた作品です。

今ではお四国さんの間で一人歩きして、皆さんがお誦えになっているそうです。

 

ちなみに山主は二十二回巡拝しておりますが、

一回(八泊九日)で八十八ケ所全てお参りいたしますので、

とても時間が取れない状態です。

 

  

 

     

 

 

   

                             

        

心もお腹も満たされました。  

ご馳走さまでございました。

感謝いたします。

 

当山で法事の後、このような食事をお出しできたらと良いのですがね。   

 

合掌

   


食べ物屋が流行る土地には、理由があった。

2017年03月27日 18時23分10秒 | ひと口法話

今日は久々に和泉の皋石先生の教室に行ってきました。

 

帰りの車の中での出来事です。

急に車の中に、コーヒーの良い匂いがし、

今日はコーヒを飲む予定がなかったのですが、

急遽コーヒを飲みに「桜珈琲 和泉中央店」に。

 

いつもながら、満席状態です。

いつの間にか駐車場が大きくなっておりました。

 

なぜ、この場所が流行るのか?

少し離れた西側の高台に大きな墓地があり、合点いたしました。

 

近頃は全国的にお参り来られないお墓が多い様で、

特にそのようなお参りされない墓地の仏さんがお客さんを沢山呼ぶのだそうです。

 

このお話は、この場所に限ったことでありませんが、

大阪の繁華街であるミナミは昔、大きな墓地だったそうです。

それが今日では、日本有数の飲食店街となって大繁盛しているでしょう。

大きな墓地の跡地にある食べ物屋は、特に大流行りするようですね。

 

当、命光不動尊では、下記のご供養を特にお勧めいたしております。

 

敬供養とは、お経だけでする供養です。

利供養とは、食べ物をお供えしてする供養です。

行供養とは、仏さん(故人)の喜ぶ供養です。

この三つの供養が揃って初めて、故人の霊格が向上できるのです。

 

当山の一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)は、

この三つの供養ができる唯一の供養法でございます。

 

南無大師遍照金剛

合掌


お経を上げる意味は…

2017年03月26日 14時48分58秒 | ひと口法話

 

今日は貞観の悟った事をお話しします。

皆様、お経は仏様、ご先祖様の為に上げていると思っていませんか?

私の家は仏壇がないから佛様をお祀りしていないので、お経を上げる必要はないと思っていませんか?

お経を上げて一番喜ばれているのは、どなたでしょうか。

 

私は常に貞観に「お経は先祖様のみ霊のご供養の為ばかりではないよ。

実は、自分の仏性(胸の中間、つまりツボで言うと壇中)にも上げているのだ」と、教えておりました。

所で皆さん、今皆さんに悲しい事が起ったと知らされたとき、何処が一番悲しくなりますか? 

先ほど説明いたしました壇中、つまり胸の中間に悲しいと言う思いが起こりませんか。

その切ないとか、うれしいとか、悲しいという時に一番感じるのは、皆さんの胸の真ん中にあたる壇中ではないでしょうか。

 

その場所こそが、「仏性と言う自分の仏の魂があるところである」と説明しております。

以前、私が白内障の手術でお寺を留守に致しました時、皆様の先祖供養を貞観がいたしておりました。

貞観は私の代わりに供養や法事一切を勤めておりました。

私の代理だということで、一生懸命に心を込めてお経を上げたそうです。

 

毎日のお勤めは、朝食前に葯1時間半ほどお勤め申し上げておりますが、

これに伝授等が入りますと2時間以上はかかりますので、どうしても空腹感が襲ってまいります。

 

数日後、見舞いに来た貞観が、

「いつもはお腹が空いてくるはずなのに不思議とお腹が空かない。

それだけでなく、心が楽しく満たされ、もっと佛様にお経を上げたいという感情が湧いてきたけど、どうしてでしょうか?」と、私に問うてきました。

これに対して私は、「お経は仏様のお食事であるばかりではなく

、自分の仏性にもお経と言うお食事を上げているんだよ。お腹が空かなくて当たり前である。」と言いました。

 

すると貞観は「お義父さんがいっている意味が分かりました」と、嬉しそうに眼を輝かせておりました。

いつも言っている事を実感し、悟ってくれたことに私は非常に嬉しく思いました。

 

皆様もお経を上げる意味が分っていただけたでしょうか

 

南無大師遍照金剛

合掌