「自由に生きる」など、自由と言う言葉をよく使います。束縛されない、のびのびとした
状態を言いますが、仏教からきた言葉です。
自由とは、自らに由って営みをすることであり、それには自分がしっかりと確立していなければ
なりません。この確立した状態が仏教では悟りなのです。悟りの境地に至れば煩悩が消え、
心が軽やかになります。ですから、束縛されない、自由なのです。
物事に執着しすぎるとうまくいかず、かえって心をとらわれていない状態=自由にしていると
うまくいくことがあります。
ある人は小さいときに小児マヒにかかり何で自分だけこんな目にと、悔しい思いをし続けました。
しかし、大きくなってくると、ふとこんな考えが浮かびました。
「神様が、この人なら病気に耐えることが出来ると思って、私に病気を与えたのかもしれない。
ということは、自分は神様に選ばれたのだ」
このように思ったとき、その人は人に優しく親切になったそうです。体が不自由になったことによって
かえって人間性が豊かになったのです。
もうひとつこんなお話・・・
あるペットショップに男の子が入ってきました。
「おじさん、子犬っていくらくらいするの?」
と店の主人に尋ねました。主人は
「そりゃ安いのから高いのまでいろいろだな」と答えると
男の子はポケットから三千円を出して
「これで買える?」と尋ねました。
主人は男の子を部屋の隅の囲いの所へ連れて行き、中の子犬たちを
指差してこう言いました。
「この中の犬だったら、どれでも三千円でいいよ」
男の子はその中を覗き込むと、子犬たちは男の子のほうにしっぽを振って
寄ってきましたが、一匹だけヨタヨタと歩く子犬がいました。男の子はそれをみて
「どうしてあの子犬はヨタヨタしてるの?」と尋ねました。主人はこう答えました。
「生まれつき足が悪くて獣医さんに見てもらったら、一生治らないって言われたんだよ」
それを聞いた男の子は、「僕はその子犬がいい。その子犬をちょうだい」
といいました。
主人は、「その子犬は普通の犬みたいに走れないから、一緒に遊べないよ。よした方がいい。」
と答えました。すると男の子は
「おじさん、この犬のどこが他の犬と違うって言うの?ぼく、この犬を買うよ」と言ってお金を差し出しました。
そして黙ってズボンの裾をまくりあげました。そこにはひざから下に義足がはめられていました。
男の子は主人にこう言いました。
「きっとこの犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達が欲しいんだ」
この男の子は交通事故で片足を失ったのですが、同じように足の不自由な子犬を見て可愛がってあげたいと
思ったのです。足の怪我が男の子を優しい性格にしたのでしょう。
人は幸せを一生懸命つかもうとしますが、なかなか手に入りません。しかし、自分の家庭や友達、
仕事など周りのものすべてが好きだと思って暮らしていると幸せは寄ってくるものです。
合掌
命光不動尊 http://www.meikoufudouson.jp/