命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

本日、百八支祈祷不動護摩供を厳修されました。

2022年09月28日 18時13分28秒 | 命光秘流不動護摩供

 

 

本日は、百八支祈祷不動護摩供の日でしたので、

読経でのご供養後、改めて護摩を焚いてのご供養となり

故人様は二重の喜びでございました。

 

ご供養後は、彼岸会に紙塔婆にてご供養いたしましたご先祖様を

川での供養後、川に流して霊界にお帰りになられました。

 

ご先祖様は、皆様喜んでお帰りになられました。

合掌

 


霊界では大騒ぎの霊界施餓鬼

2022年09月23日 19時15分58秒 | お札、お守り

今日は彼岸の中日、秋分の日です。

 

今日も6霊のご先祖様の特別霊界施餓鬼一粒萬福法要を、

厳修させていただきました。

 

供養の始まる前から本日供養を受けられるご先祖様だけではなく、

そのご先祖様に有縁の霊も沢山お越しになられていました。

しかし、集まられた霊の中には物見遊山で来られている霊も居ており、

山主の説法を真摯に聞かれる霊もあれば

山主の説法を「そんなことあるか!」と疑われる霊もいました。

 

その霊は、山主に「好きなようにしなさい」と突き放され、

一時は本堂からいなくなりましたが、最後には、

また、舞い戻ってきたそうです。

 

死んでなお、死後の世界がないと霊界の存在を認めていない為に

自分で作った妄想の世界から抜け出せず、

また、墓という帰る場所、仏壇もなく

ずっとこの世で漂っている霊(幽霊)もいるのです。

 

これを「自業自得」というのです。

 

生きている人間でもそうですが、

「見えないものは信じない。目で見て確認できることしか信じられない。」

 
人は、「目で見えるもの」にとらわれがちです。
 

ある方は言われています

「目に見えるもの」だけを信じていると、人生のどこかで立ち行かなくなる時がある。

この宇宙にあることはほとんど解明されていないし、人間の目で見ることも出来ないものがほとんどだ」と、

 

人は太古の昔、見えないものを見る能力を持っていました。

しかし、段々とその応力を衰えさせてしまいました。

それが現代のしきたりとして残っているのです。

 

山主は長い修行でその能力を目覚めさせ、

生きている者の為、死んでいる者の為に

その霊力を惜しみなく活用しております。

 

ご供養をすると、

施主様のご先祖がどのような状況にあるのかがわかるのです。

 

今日のご供養では供養を受けられたご先祖様が霊界に帰られる前から

大勢の取り巻きに囲まれ大歓声で霊界に帰っていかれました。

 

この功徳が施主様には、大きな陰徳になって還っていくのです。

有難いことですね。

 


昨日の彼岸会では、ご先祖様が大喜び、それは

2022年09月22日 16時44分30秒 | ご供養

昨日は、東京の信者様からのご依頼で

今年、155年、134年、123年、123年、9ヶ月 と五霊のご先祖様の

霊界施餓鬼一粒萬福法要をお申込みくださいました。

住友家のご先祖様と〇〇様のご先祖様の

貸し切りのご供養でございました。

 

何百年経とうと、どの家のご先祖様も手厚い供養の回数は数えるほど、

これでは神様の修行など到底できません。

 

この日は、大先祖様とよばれるご先祖様が多く来られましたので、

先ず、神道での祝詞を奏上させていただきました。

先祖様の霊力と霊格の向上の祈祷をお勤めさせていただきました。

 

ご実家は、曹洞宗ということでございますので、

特別に千手千眼観音菩薩様の中でも特に珍重されるサンスクリット(ネパール言語)語の

「大悲心陀羅尼」を当山の秘傳の秘傳「無量億萬巻(むりょうおくまんがん)の大事」を

もって修法させていただきました。

このサンスクリット語の大悲心陀羅尼は、すべての神も仏も賛嘆してくださる大変有難いお経でございます。

本日の供養時間は三時間に及びました。

 

ご供養後の霊界への施餓鬼送りの修法が済んだと思った瞬間に、山主にご先祖様がかかり、

「10代前の〇〇の先祖でございます。」と言われるや否や、

幼子が地団駄を踏んでいるように左右の足で床を交互に、「ドンドン」と激しく床を踏み鳴らされ、

大声で「有難い有難い、結構、結構、よしなに、よしなに お伝えください」と、

とても感情が高ぶったご様子で、この上ない喜びをお言葉と全身で表現してくださいました。

 

「このまま、供養を続けてもらうと〇〇家も万万歳である」というご先祖様のお言葉でございました。

 

 佛教では、皆大歓喜という表現がございますが、大喜びで走り回る様子を表現した言葉で、

このような言葉がふさわしい喜びであったと思われます。

 

 

このように喜びを激しく表現をしてくださるご先祖様は、初めててございましたので、

貞観と一緒に読経していた他の三名も目を丸くしておりました。

 

遠いご先祖様と新しいご先祖様が一同に勢ぞろいされ、

大喜びしてくださったようでございます。

                  

この世の修行は僅か百年なるか無いかですが、

    霊界では何百年になるのか、

子孫からの仕送り(供養)だけが頼りなのです。

         

           南無大師遍照金剛