命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

おはぎとぼたもち

2015年09月23日 21時47分27秒 | ひと口法話

本日はお彼岸の中日です。心静かにご先祖様に感謝とねぎらいを。

午前中、お彼岸の供養と四家供養の法要のあと、信者様と「おはぎ」を頂きました。

お彼岸に食べる「ぼたもち」と「おはぎ」の違いご存知でしょうか。

「ぼたもち」の「ぼた」は「牡丹」のこと。牡丹は春の花ですね。

「おはぎ」の「はぎ」は「萩」のこと。秋の草花である萩に由来してるんですね。

この二つは良く似ているのですが少し違うところがあります。

それは「ぼたもち」と「おはぎ」の大きさの違いです。

「牡丹」の花は、大きな花ですから「ぼたもち」は大きめに、「萩」は小さな花なので

「おはぎ」は小ぶりに作られるようになったんですね。

「ぼたもち」や「おはぎ」のあんこには、小豆が使われます。その理由は小豆には古くから

悪いものを追い払う効果があるとされてきました。ではなぜ小豆を使った食べ物に

名前が二つあるのでしょうか。

小豆は春に種をまき、秋に収穫します。

秋のお彼岸は九月なので、収穫したての小豆を使って「おはぎ」を作ります。

取立ての新鮮な小豆ですから、皮も柔らかいのでそのままつぶして食べれます。ですので

秋分の「おはぎ」は粒あんなのです。

ところで、春分では秋にとれた小豆を春まで保存していたので皮が固くなっているんです。

それで皮を取り、こしあんにして「ぼたもち」を作っていたそうです。

昔の人々は自然を暮らしの中に上手に取り入れ、それにきれいな花の名前をつけて区別していたんです。

ご先祖様も喜びそうなこうした風習は、ずっと変わらずに残していきたいものですね。

 

 


思いやり

2015年09月23日 16時18分55秒 | ひと口法話

昔、Aさんという目の不自由な方が居ました。

ある日、Aさんが友人のBさんのところに遊びに行きました。長居をしてふと気づくと

外は真っ暗な夜になっていました。あわてて帰ろうとするAさんに、Bさんは

「夜道は危ないから」と提灯をもたせようとしました。するとAさんは

「目の不自由な私に提灯が居るわけが無い」

といって断りました。しかしBさんは

「でも、あなたに要らなくても相手の人がぶつかってくると危ない。だから持って行きなさい」

といって提灯を持って帰らせました。

これは一体何を教えているのでしょうか?

目の不自由なAさんには提灯が不要ですが、目の見える人には必要なのです。

世の中には、たとえ自分には不要の物でも相手には必要なものが数多くあります。

私たちは時には相手の立場に立って、必要・不必要なことを考えてみる事が

大切な事ではないでしょうか。

一例をあげると笑顔です。

病気で寝て居る人はとても笑顔をする状態ではありませんが、しかしその病人を

見舞う人には笑顔が必要なのです。

現代人は、みんなが自分中心で相手の立場に立って考えると言う事を忘れているようです。