命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

いじめについて 2

2015年09月13日 11時19分54秒 | ひと口法話

いじめる方は、いじめを軽く考え、ゲーム感覚でしている場合もあると聞きます。

最近では携帯やスマホでメールをしていてすぐに返事がない、ラインなどの既読無視など

によるいじめで暴力、殺人事件にまで陥るケースも稀ではございません。悪いことだと知りながら

継続し、次第にどんどんとエスカレートしてしまい歯止めがきかなくなっていくようです。

経典にこのような言葉があります。

「錆は鉄より生じ、その鉄を壊す」

鉄から生じた錆は、放っておくとどんどん鉄を侵食していきます。身から出た錆が

本体を壊してしまうのです。錆とはつまり悪行のことであり、それを放置すると次第に大きくなり

自分も壊してしまいます。いじめをする人は錆という悪行が次第に自分を腐食させ、壊してしまいます。

身から出た錆ということになります。

いじめられる方も、単にいじめにあったら連絡しろというのではなく、強くなるようにしなければ

なりません。その場で保護するだけでは、又どこかでいじめられることになります。

 

高校野球などで、ベンチ前で円陣を組むとき、全員が地べたにしゃがんでするチームがあります。

この理由は、腰を落ち着けるというよりも、みんなの目の高さが同じになり、気持ちが伝わりやすいからです。

相手に自分の気持ちを伝えるとき、うえから言い聞かせるようにしても、下から頼むようにしても

上手くいかない場合があります。相手と同じ高さに立って、自分自身に言い聞かせるようにすると、上手く相手に伝わります。

仏教は、生きとし生けるものすべてが平等であると教えます。平等とは心を同じ高さにして

語り合うものであり、そこから和の精神が生まれます。

人が人に対し心をおなじにすることは大切なことであります。

合掌

 

命光不動尊  http://www.meikoufudouson.jp/

 


いじめについて 1

2015年09月13日 05時50分24秒 | ひと口法話

子供の頃、「弱い者いじめをしたらダメ」ってよく言われました。

それは肉親だけでなく、見知らぬ人からもであり、動物を相手にしている

場合もそうでした。

このように、かつては社会全体が子供をしつけるという風でした。今はそういう風では

なくなりました。私の子供のころは悪さをすると、自分の親じゃなくても怒鳴られたり

叩かれたりは日常茶飯事でしたが、文句を言う親はいませんでした。

最近はどうでしょうか。今の時代、よその子はよその子だし、口出しして、へんなトラブルになったら

面倒と考える人が大半ではないでしょうか。

いじめとは弱いものに対してするものです。昔は、いじめられたら相手がかわいそう、というより

弱い者いじめは、卑怯者のすること、という意識がありました。一人に対して大勢というのもそうです。

卑怯なことをするな、ということがよく言われ、その中の一つにいじめがありました。

それが今日では、いじめたらかわいそう、人を傷つけてはいけないと、いじめられる方に

目を向けてさとします。そうするとみんなはいじめられる方に目をやります。そうすると

いじめる方はまた他でいじめをするということになります。卑怯な行為だからいじめるなと

さとすのも、仏教的な教えであります。お釈迦さまは、自己を完成させよと教えており

卑怯な行為はそれに背くことになるからであります。

また、人を傷つけてはいけないという教えは、経典にこのように語られています。

昔、インドの王が美しい妃を娶(めと)って仲良く暮らしていました。あるとき、王様が妃にむかって

あなたにとってこの世で一番愛おしいのは誰か、と尋ねました。王は当然自分のことと言ってくれると

思っていました。しかし妃は、やはり自分自身が一番愛おしいと答えました。

王は失望と腹立たしさに沈黙しました。

すると今度は妃が王に同じことを尋ねました。王は自分のことを考えてみると、やはり自分が

一番愛おしいと、答えざるを得ませんでした。

王はお釈迦さまを訪ねてこのことを話しました。お釈迦さまはこう答えられました。

「どこを探しても自分より愛おしいものはいない。同じように、どの人もやはり自分が最も愛おしい。

自分も人も同じように自分が愛おしいのであるから、人を傷つけてはならない」

お釈迦さまは、自分と同じように人を大事にし、傷つけてはならないと教えています。

つづく