元気だった人が、突然病気になって闘病生活を余儀なくされることがあります。
会社にはやりかけてる仕事がいっぱいあり、その他、プライベートでしたいこともある。
それがこのようにベットにのせられ、チューブをつけられている。
一体いつ退院でき、社会復帰ができるのだろうか。
このように思うとき、なんで自分だけがこんな目にあうのか、何でこんなに不幸なんだろと思います。
しかし、テレビを見ると外国では飢えや病気で衰弱した体を粗末なベットに横たえ、ただ死を待つだけの人が
いっぱいいるようです。戦争で体の一部が吹き飛んで、途方にくれている人々もいます。
それから見ると日本の病人は、なんと恵まれていることでしょうか。
病気になったことは不幸ですが、このように考えるとむしろ自分は恵まれている。幸福なんだ、という気になります。
これが仏教の教えの一つである「足るを知る」ということだと思います。
仏典にはこうあります。
「もろもろの苦悩から逃れるには、足るを知るということを修めることである。足るを知るとは
心が豊かで安らかな境地のことである。足るを知る人は、路上に寝ても安らかである(遺教経典)」
同じようなことは世の中全般のことでも言えると思います。
会社をリストラされた、自分の経営する会社が倒産した、好きな人にふられた、受験に失敗した等々、
いっぱいありますね。その時、その人にとっては最悪の状態ですが、しかし世の中にはもっと不幸な目に
あっている人がたくさんいます。
「上を見たらきりはない、下を見たら後が無い」などといいますが、そうではなく
「下を見てもいっぱいいる」と思うべきです。そうすると、現状でもまだまだ悪くないと言う気になります。
「足るを知る」ということについて「下を見る」ということも一つの方法です。
合掌