子供の頃、「弱い者いじめをしたらダメ」ってよく言われました。
それは肉親だけでなく、見知らぬ人からもであり、動物を相手にしている
場合もそうでした。
このように、かつては社会全体が子供をしつけるという風でした。今はそういう風では
なくなりました。私の子供のころは悪さをすると、自分の親じゃなくても怒鳴られたり
叩かれたりは日常茶飯事でしたが、文句を言う親はいませんでした。
最近はどうでしょうか。今の時代、よその子はよその子だし、口出しして、へんなトラブルになったら
面倒と考える人が大半ではないでしょうか。
いじめとは弱いものに対してするものです。昔は、いじめられたら相手がかわいそう、というより
弱い者いじめは、卑怯者のすること、という意識がありました。一人に対して大勢というのもそうです。
卑怯なことをするな、ということがよく言われ、その中の一つにいじめがありました。
それが今日では、いじめたらかわいそう、人を傷つけてはいけないと、いじめられる方に
目を向けてさとします。そうするとみんなはいじめられる方に目をやります。そうすると
いじめる方はまた他でいじめをするということになります。卑怯な行為だからいじめるなと
さとすのも、仏教的な教えであります。お釈迦さまは、自己を完成させよと教えており
卑怯な行為はそれに背くことになるからであります。
また、人を傷つけてはいけないという教えは、経典にこのように語られています。
昔、インドの王が美しい妃を娶(めと)って仲良く暮らしていました。あるとき、王様が妃にむかって
あなたにとってこの世で一番愛おしいのは誰か、と尋ねました。王は当然自分のことと言ってくれると
思っていました。しかし妃は、やはり自分自身が一番愛おしいと答えました。
王は失望と腹立たしさに沈黙しました。
すると今度は妃が王に同じことを尋ねました。王は自分のことを考えてみると、やはり自分が
一番愛おしいと、答えざるを得ませんでした。
王はお釈迦さまを訪ねてこのことを話しました。お釈迦さまはこう答えられました。
「どこを探しても自分より愛おしいものはいない。同じように、どの人もやはり自分が最も愛おしい。
自分も人も同じように自分が愛おしいのであるから、人を傷つけてはならない」
お釈迦さまは、自分と同じように人を大事にし、傷つけてはならないと教えています。
つづく