関東ではまだ梅雨が明けません。梅雨時にはかたつむりが印象的ですので、童謡の『かたつむり』について、思いつくままに書いてみます。
明治44年の『尋常小學唱歌』第一学年用に初めて掲載された文部省唱歌ということです。作詞者・作曲者は共に不詳ということですが、文部省唱歌の場合、わかっていてもそのように不詳とされてしまいます。その辺の詮索については、私のような素人の手に負えるものではないので、それを専門にしている研究者に任せましょう。その後、削除されたり再び掲載されたりを繰り返しているそうです。
まずは題の「かたつむり」のことですが、10世紀初めに成立した『和名類聚抄』という国語辞典には、「かたつぶり」という訓が記されていますから、古くからの呼称であることがわかります。「つぶ」や「つぶり」は巻貝総称でもありますから、問題は「かた」が何を指しているかということなのですが、ネット上では「かた」は「笠」に由来するとしたものが多く見られます。また昔の笠は縫い糸を螺旋状に縫ったので、巻き貝の姿に似ていたためという説明も見られました。しかし外見がはっきりと螺旋状に見える笠がかつて存在したという確実な根拠があるのでしょうか。笠は菅や藺草などの草を放射状に編んだり、薄く剥いだ竹を網代編みにして作られるものです。またそのような視覚的史料はたくさん伝えられています。しかし螺旋状に見えるほどに渦巻きが強調された笠は、私は史料で見たことがありません。私の見落としの可能性もあるので断定はできませんが、私は絵巻物の研究には相当な時間を割いてきたつもりです。材料の草を螺旋状に糸で縫うことはあっても、材料の草が螺旋状に巻いているわけではありません。そもそも巻き貝はみな渦巻き状なのですから、なぜにかたつむりだけが螺旋状の笠による呼称であるのか、説明が付かないではありませんか。昔の螺旋状の笠が語源であるというなら、その根拠や確実な証拠史料を知りたいものです。私としては「かた」については不詳としか言うことができません。
1、でんでん虫々かたつむり お前の頭はどこにある 角だせ槍だせ頭だせ
2、でんでん虫々かたつむり お前の目玉はどこにある 角だせ槍だせ目玉出せ
歌詞の「でんでんむし」については、江戸時代に「出出虫」と呼ばれていた確実な史料がありますので、「ででむし」が訛ったものとみて間違いはないでしょう。「出出」については、殻の中に引っ込んでしまったかたつむりに「出てこい、出てこい」と子供が呼びかけることによる呼称であるとの説がありますが、私もそれに同意します。
「角・槍」が何を指しているかについて、ネット上にはいろいろ説があるようです。4本の触角があり、長い方の先端には目が付いています。これが角であることは問題ないでしょう。槍とは何か、ということですが、槍は左右一対で用いるものではなく、一本のはずです。すると残りの短い触角ではなく、交尾の際に出てくる生殖器とする説があるのです。しかし交尾する姿は余程運がよくないと見ることはできませんし、そもそもこの歌は、子供が目の前でかたつむりを眺めて囃し立てている場面です。槍はもう一対の触角と理解するのが自然ではないでしょうか。あくまでも童謡なのですから。
『夫木和歌抄』という類題歌集に寂蓮法師のつぎのような歌が収められています。
○牛の子に踏ますな庭のかたつむり角のあるとて身をなたのみそ
かたつむりを牛の子に蹴らせて潰してしまうなよ。かたつむりよ、お前は角を持っているからと強がっているが、(踏みつぶされてしまうぞ)、という意味でしょう。寂蓮は平安末期から鎌倉初期に活躍した僧侶ですから、その当時からかたつむりには角があると共通理解されていたことがわかります。
実はこの歌には本歌があります。後白河法皇が編纂された流行歌の歌詞集とも言うべき『梁塵秘抄』の巻二に、 次のような歌があるのです。「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん 踏破せてん まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」。大意は、かたつむりよ舞いなさい、舞いなさい。舞わないのなら、馬の子や牛の子に蹴らせようか。踏み割らせようか。ちゃんと可愛らしく舞ったなら、きれいな花の庭に連れていって遊ばせてあげるよ。これは子供がかたつむりと遊んでいる場面で、かたつむりがゆっくりと動く様子を「舞う」と見ています。実際によくよく観察してみると、触角をゆったりと上下左右に振るように動かしています。その様子を舞っていると理解しているのでしょう。そして上手に舞ったならば、お花の上に乗せてあげるよ、とはやしている場面です。なかなか可愛らしいですね。寂蓮法師の歌の「牛の子に蹴らせる」というのは、明らかにこの歌に拠っています。『梁塵秘抄』は流行歌を収録したものですから、かたつむりが舞を舞っているという共通理解があったことがわかります。
すると思い当たる節があります。かたつむりのことを「まいまい」とか「まいまいつぶり」とも言うということです。ネット情報では「まいまい」は巻いていることに拠るという説明が多いのですが、それなら他の巻き貝もみな「まいまい」になってしまいますから、説得力がありません。平安末期にはかたつむりは舞を舞うものという共通理解があったことは確実な根拠がありますから、「まいまい」は「舞い舞い」に拠るものと言う方が納得できると思います。
追記
先日、江戸時代初期の京都の歳時記である『日次紀事』を読んでいたところ、四月の末尾に、子供達が集まって、かたつむりに「出出虫虫、出てこないと殻をわっ破ってしまうぞ」とはやし立てるという記述を見つけました。童謡の歌詞にも「でんでん虫々」と、虫を重ねています。つまりそのような言い方が江戸時代にあり、それが童謡に採り入れられていることがわかりました。小さな事ですが、新発見をしたような気分です。(平成30年3月30日)
明治44年の『尋常小學唱歌』第一学年用に初めて掲載された文部省唱歌ということです。作詞者・作曲者は共に不詳ということですが、文部省唱歌の場合、わかっていてもそのように不詳とされてしまいます。その辺の詮索については、私のような素人の手に負えるものではないので、それを専門にしている研究者に任せましょう。その後、削除されたり再び掲載されたりを繰り返しているそうです。
まずは題の「かたつむり」のことですが、10世紀初めに成立した『和名類聚抄』という国語辞典には、「かたつぶり」という訓が記されていますから、古くからの呼称であることがわかります。「つぶ」や「つぶり」は巻貝総称でもありますから、問題は「かた」が何を指しているかということなのですが、ネット上では「かた」は「笠」に由来するとしたものが多く見られます。また昔の笠は縫い糸を螺旋状に縫ったので、巻き貝の姿に似ていたためという説明も見られました。しかし外見がはっきりと螺旋状に見える笠がかつて存在したという確実な根拠があるのでしょうか。笠は菅や藺草などの草を放射状に編んだり、薄く剥いだ竹を網代編みにして作られるものです。またそのような視覚的史料はたくさん伝えられています。しかし螺旋状に見えるほどに渦巻きが強調された笠は、私は史料で見たことがありません。私の見落としの可能性もあるので断定はできませんが、私は絵巻物の研究には相当な時間を割いてきたつもりです。材料の草を螺旋状に糸で縫うことはあっても、材料の草が螺旋状に巻いているわけではありません。そもそも巻き貝はみな渦巻き状なのですから、なぜにかたつむりだけが螺旋状の笠による呼称であるのか、説明が付かないではありませんか。昔の螺旋状の笠が語源であるというなら、その根拠や確実な証拠史料を知りたいものです。私としては「かた」については不詳としか言うことができません。
1、でんでん虫々かたつむり お前の頭はどこにある 角だせ槍だせ頭だせ
2、でんでん虫々かたつむり お前の目玉はどこにある 角だせ槍だせ目玉出せ
歌詞の「でんでんむし」については、江戸時代に「出出虫」と呼ばれていた確実な史料がありますので、「ででむし」が訛ったものとみて間違いはないでしょう。「出出」については、殻の中に引っ込んでしまったかたつむりに「出てこい、出てこい」と子供が呼びかけることによる呼称であるとの説がありますが、私もそれに同意します。
「角・槍」が何を指しているかについて、ネット上にはいろいろ説があるようです。4本の触角があり、長い方の先端には目が付いています。これが角であることは問題ないでしょう。槍とは何か、ということですが、槍は左右一対で用いるものではなく、一本のはずです。すると残りの短い触角ではなく、交尾の際に出てくる生殖器とする説があるのです。しかし交尾する姿は余程運がよくないと見ることはできませんし、そもそもこの歌は、子供が目の前でかたつむりを眺めて囃し立てている場面です。槍はもう一対の触角と理解するのが自然ではないでしょうか。あくまでも童謡なのですから。
『夫木和歌抄』という類題歌集に寂蓮法師のつぎのような歌が収められています。
○牛の子に踏ますな庭のかたつむり角のあるとて身をなたのみそ
かたつむりを牛の子に蹴らせて潰してしまうなよ。かたつむりよ、お前は角を持っているからと強がっているが、(踏みつぶされてしまうぞ)、という意味でしょう。寂蓮は平安末期から鎌倉初期に活躍した僧侶ですから、その当時からかたつむりには角があると共通理解されていたことがわかります。
実はこの歌には本歌があります。後白河法皇が編纂された流行歌の歌詞集とも言うべき『梁塵秘抄』の巻二に、 次のような歌があるのです。「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん 踏破せてん まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」。大意は、かたつむりよ舞いなさい、舞いなさい。舞わないのなら、馬の子や牛の子に蹴らせようか。踏み割らせようか。ちゃんと可愛らしく舞ったなら、きれいな花の庭に連れていって遊ばせてあげるよ。これは子供がかたつむりと遊んでいる場面で、かたつむりがゆっくりと動く様子を「舞う」と見ています。実際によくよく観察してみると、触角をゆったりと上下左右に振るように動かしています。その様子を舞っていると理解しているのでしょう。そして上手に舞ったならば、お花の上に乗せてあげるよ、とはやしている場面です。なかなか可愛らしいですね。寂蓮法師の歌の「牛の子に蹴らせる」というのは、明らかにこの歌に拠っています。『梁塵秘抄』は流行歌を収録したものですから、かたつむりが舞を舞っているという共通理解があったことがわかります。
すると思い当たる節があります。かたつむりのことを「まいまい」とか「まいまいつぶり」とも言うということです。ネット情報では「まいまい」は巻いていることに拠るという説明が多いのですが、それなら他の巻き貝もみな「まいまい」になってしまいますから、説得力がありません。平安末期にはかたつむりは舞を舞うものという共通理解があったことは確実な根拠がありますから、「まいまい」は「舞い舞い」に拠るものと言う方が納得できると思います。
追記
先日、江戸時代初期の京都の歳時記である『日次紀事』を読んでいたところ、四月の末尾に、子供達が集まって、かたつむりに「出出虫虫、出てこないと殻をわっ破ってしまうぞ」とはやし立てるという記述を見つけました。童謡の歌詞にも「でんでん虫々」と、虫を重ねています。つまりそのような言い方が江戸時代にあり、それが童謡に採り入れられていることがわかりました。小さな事ですが、新発見をしたような気分です。(平成30年3月30日)
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