文部省唱歌『虫のこえ』は、1910年の『尋常小学読本唱歌』に初めて掲載され、現在も小学2年生の教材となっている。もっとも最初は旧仮名遣いで「こゑ」であった。初出。1998年告知の『小学校学習指導要領』において、第2学年の歌唱共通教材とされている。また2007年には「日本の歌百選」に選ばれているから、親の世代にとっては、懐かしい歌となっているのであろう。旧仮名遣いを現代仮名遣いになおしてみると、次のような歌詞である。
虫のこえ
1、 あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん
あきの夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえ
2、 きりきりきりきり きりぎりす がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おいおいついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえ
ところが、その歌詞について、1932年の『新訂尋常小学唱歌』(1932年)に、2番の「きりぎりす」が「こおろぎや」に改められてしまった。そのわけは、古にはコオロギを「きりぎりす」と呼んでいたが、近年では「きりぎりす」と言えば、夜に鳴くコオロギとは別の虫のことになってしまうので、具合が悪いからである。文部省唱歌のため作詞者は不明であるが、作詞者の意図としては、「キリキリ」という鳴き声と「きりぎりす」の音が相俟って、擬音的効果を狙ったものであることは明かである。しかし「きりきりきりきり こおろぎ」では台無しになってしまう。改訂した人もその辺りのことは十分承知であったのだろうが、昼間にしか鳴かないキリギリスが「秋の夜長」に鳴くよりはよいと判断したのであろう。
確かに平安時代にはコオロギは「きりぎりす」と呼ばれていた。コオロギは漢字では蟋蟀と表記されるが、10世紀の国語辞書である『倭名類聚抄』には、「蟋蟀・・・・・和名木里木里須」と記されている。平安時代には、「蟋蟀」をはっきりと「きりぎりす」と読んでいるのである。
それがいつ頃に「こおろぎ」(こほろぎ)に替わったかというと、おそらく18世紀のことだと思う。『奥の細道』に「無惨やな甲(かぶと)の下のきりぎりす」という句がある。これは斎藤実盛のものとして伝えられた甲を見た芭蕉が、『平家物語の』実盛の最後の場面を踏まえ、その中の「無惨」という言葉を借りて詠んだものである。神社に伝えられた甲の下に隠れるようにして鳴いていたのであるから、キリギリスではあり得ない。この「きりぎりす」はコオロギであろう。
しかし賀茂真淵らの歌を集めた『八十浦之玉』という歌集には、「我が如く妻恋ふるかも蟋蟀のころころとしも夜もすがら鳴く」という歌があり、「ころころ」という鳴き声からして、これは明らかに「蟋蟀」を「こおろぎ」と読んでいる。その他にもこの歌集にはコオロギと考えられる「こほろぎ」の表記がある。また
18世紀初めの図説百科事典とも言うべき『和漢三才図会』では、蟋蟀を「こほろぎ」と読ませ、コオロギの姿の図が添えられている。
これらのことから考えるに、江戸初期にはコオロギは「きりぎりす」と呼ばれていたものが、18世紀には次第に「こおろぎ」と呼ばれるようになったと言うことができよう。
そんなわけで、明治期にはコオロギは一般には「こおろぎ」と呼ばれ、キリギリスとは区別されていた。
(もっとも東北地方の一部では、近年まで古来の呼び方が残ったという調査もあるとのことであるが・・・・・。)だから「きりぎりす」を「こおろぎ」に替えたことは、一応理解はできる。しかし惜しいかな。同じ直すなら、「きりきりきりきり」を前掲の歌に「蟋蟀のころころとしも」という表現を借りて、「ころころころころ」に直せばよかったのである。そうすれば作者の意図を活かしつつ、自然に替えられたものを。
古語では「ころころ」という擬音語がしばしば登場する。それは、ころころ転がるとか、鈴がころころ鳴るとか、河鹿がころころ鳴く、水がころころ流れる、ころころと笑うなど、いろいろな場面に用いられていた。「ころころころころ こおろぎや」と直しても全く問題はないのである。今となっては私一人が主張してみてもどうなるものでもないが、とにかく残念なことをしたものである。
歌詞には5種類の虫が登場する。松虫は今ではすっかり姿を消し、替わって外来のアオマツムシが、それこそ我が物顔に木の上で鳴いている。鈴虫はまだ我が家の周辺に沢山いて、面白がらせてくれる。クツワムシも珍しくなってしまった。ガチャガチャという鳴き声が、馬の轡(くつわ)が鳴る音に似ているからという呼称であるが、轡の音さえ聞かれなくなってしまい、その呼称の由来を理解させるのは難しい。小学校の先生なら、せめて鉄の鎖をじゃらじゃら鳴らして聞かせることくらいはやってほしい。私なら必ずそうするだろう。ウマオイはその鳴き声から「スイッチョ」とも呼ばれるが、ものの本には馬子が馬を追う時の掛け声に似ているための呼称と説明されている。その割には、その掛け声がどのようなものであったか、そこまで触れた解説にはとんとお目にかかれない。確かめようもないので、取り敢えずその説を頂いておこう。私が得意とする上代の和歌には、うまおいは登場しない。もしあれば、それは私の不勉強のせいではある。もし御存知の方がいらっしゃれば、是非とも御教示していただきたい。
ただ「あとからうまおいおいついて」という歌詞に、作詞者の面白い意図が隠されていることには気が付きたい。「うまおい」の「おい」と「おいついて」の「おい」が掛けられているのである。追いつくからこそ「あとから」となっているのである。作詞者はそれこそ「面白」がって作詞しているのである。
野口雨情に「こほろぎ」という詩があるので、参考までに御紹介したい。
「こほろぎ」
ころころころころこほろぎが
ころころころころないてゐる
風呂場で風呂たく風呂の火が
けむくてけむくて鳴いてゐる
ころころころころこほろぎが
ころころころころないてゐる
かめからこぼれた甘酒を
飮ませておくれと鳴いてゐる
「ころころころころ こほろぎ」という表現が意図して使われている。
虫のこえ
1、 あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん
あきの夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえ
2、 きりきりきりきり きりぎりす がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おいおいついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえ
ところが、その歌詞について、1932年の『新訂尋常小学唱歌』(1932年)に、2番の「きりぎりす」が「こおろぎや」に改められてしまった。そのわけは、古にはコオロギを「きりぎりす」と呼んでいたが、近年では「きりぎりす」と言えば、夜に鳴くコオロギとは別の虫のことになってしまうので、具合が悪いからである。文部省唱歌のため作詞者は不明であるが、作詞者の意図としては、「キリキリ」という鳴き声と「きりぎりす」の音が相俟って、擬音的効果を狙ったものであることは明かである。しかし「きりきりきりきり こおろぎ」では台無しになってしまう。改訂した人もその辺りのことは十分承知であったのだろうが、昼間にしか鳴かないキリギリスが「秋の夜長」に鳴くよりはよいと判断したのであろう。
確かに平安時代にはコオロギは「きりぎりす」と呼ばれていた。コオロギは漢字では蟋蟀と表記されるが、10世紀の国語辞書である『倭名類聚抄』には、「蟋蟀・・・・・和名木里木里須」と記されている。平安時代には、「蟋蟀」をはっきりと「きりぎりす」と読んでいるのである。
それがいつ頃に「こおろぎ」(こほろぎ)に替わったかというと、おそらく18世紀のことだと思う。『奥の細道』に「無惨やな甲(かぶと)の下のきりぎりす」という句がある。これは斎藤実盛のものとして伝えられた甲を見た芭蕉が、『平家物語の』実盛の最後の場面を踏まえ、その中の「無惨」という言葉を借りて詠んだものである。神社に伝えられた甲の下に隠れるようにして鳴いていたのであるから、キリギリスではあり得ない。この「きりぎりす」はコオロギであろう。
しかし賀茂真淵らの歌を集めた『八十浦之玉』という歌集には、「我が如く妻恋ふるかも蟋蟀のころころとしも夜もすがら鳴く」という歌があり、「ころころ」という鳴き声からして、これは明らかに「蟋蟀」を「こおろぎ」と読んでいる。その他にもこの歌集にはコオロギと考えられる「こほろぎ」の表記がある。また
18世紀初めの図説百科事典とも言うべき『和漢三才図会』では、蟋蟀を「こほろぎ」と読ませ、コオロギの姿の図が添えられている。
これらのことから考えるに、江戸初期にはコオロギは「きりぎりす」と呼ばれていたものが、18世紀には次第に「こおろぎ」と呼ばれるようになったと言うことができよう。
そんなわけで、明治期にはコオロギは一般には「こおろぎ」と呼ばれ、キリギリスとは区別されていた。
(もっとも東北地方の一部では、近年まで古来の呼び方が残ったという調査もあるとのことであるが・・・・・。)だから「きりぎりす」を「こおろぎ」に替えたことは、一応理解はできる。しかし惜しいかな。同じ直すなら、「きりきりきりきり」を前掲の歌に「蟋蟀のころころとしも」という表現を借りて、「ころころころころ」に直せばよかったのである。そうすれば作者の意図を活かしつつ、自然に替えられたものを。
古語では「ころころ」という擬音語がしばしば登場する。それは、ころころ転がるとか、鈴がころころ鳴るとか、河鹿がころころ鳴く、水がころころ流れる、ころころと笑うなど、いろいろな場面に用いられていた。「ころころころころ こおろぎや」と直しても全く問題はないのである。今となっては私一人が主張してみてもどうなるものでもないが、とにかく残念なことをしたものである。
歌詞には5種類の虫が登場する。松虫は今ではすっかり姿を消し、替わって外来のアオマツムシが、それこそ我が物顔に木の上で鳴いている。鈴虫はまだ我が家の周辺に沢山いて、面白がらせてくれる。クツワムシも珍しくなってしまった。ガチャガチャという鳴き声が、馬の轡(くつわ)が鳴る音に似ているからという呼称であるが、轡の音さえ聞かれなくなってしまい、その呼称の由来を理解させるのは難しい。小学校の先生なら、せめて鉄の鎖をじゃらじゃら鳴らして聞かせることくらいはやってほしい。私なら必ずそうするだろう。ウマオイはその鳴き声から「スイッチョ」とも呼ばれるが、ものの本には馬子が馬を追う時の掛け声に似ているための呼称と説明されている。その割には、その掛け声がどのようなものであったか、そこまで触れた解説にはとんとお目にかかれない。確かめようもないので、取り敢えずその説を頂いておこう。私が得意とする上代の和歌には、うまおいは登場しない。もしあれば、それは私の不勉強のせいではある。もし御存知の方がいらっしゃれば、是非とも御教示していただきたい。
ただ「あとからうまおいおいついて」という歌詞に、作詞者の面白い意図が隠されていることには気が付きたい。「うまおい」の「おい」と「おいついて」の「おい」が掛けられているのである。追いつくからこそ「あとから」となっているのである。作詞者はそれこそ「面白」がって作詞しているのである。
野口雨情に「こほろぎ」という詩があるので、参考までに御紹介したい。
「こほろぎ」
ころころころころこほろぎが
ころころころころないてゐる
風呂場で風呂たく風呂の火が
けむくてけむくて鳴いてゐる
ころころころころこほろぎが
ころころころころないてゐる
かめからこぼれた甘酒を
飮ませておくれと鳴いてゐる
「ころころころころ こほろぎ」という表現が意図して使われている。
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