花見雑感の三回目ですが、花の咲く時期について書いてみます。埼玉県で私が小学校に入学した昭和三十一年には、入学を祝うように桜が満開でした。ところが現在では、東京で彼岸の最中に満開になっています。これも温暖化のせいなのでしょうか。そこで昔の花見の時期と比べてみました。文禄三年(1594)に行われた秀吉の吉野の花見は、新暦に直せば四月十七日のことです。また慶長三年(1598)の醍醐の花見は同じく四月二十日です。本気になって公家の日記などを丹念に探せばいくらでもデータは見つかるでしょうが、気軽な雑感ですのでお許し下さい。ソメイヨシノではありませんから、品種による差違があるでしょうし、関西のことですから、地域的な差違もあるでしょう。ですから単純な比較はできませんが、とにかく現在よりも遅いので驚きました。
それなら江戸時代のならどうかと、『東都歳事記』(1838)を開いてみると、飛鳥山や上野の桜は「立春より六十五日のころより」と記されていますから、四月上旬から咲き始めるということになりますから、満開は中旬でしょう。明治時代ならどうかと思い、明治三十一年(1898)の『風俗画報』を開いてみたところ、東京の桜は、四月二・三日から十日頃に咲くと記されていました。明治四十四年(1911)の『東京年中行事』には、東京は四月中旬、浜離宮の観桜御宴が四月二十日頃と記されています。
明治期の東京の桜には、江戸時代以来の桜もかなり残っているでしょうが、ソメイヨシノが交じり始めているはずですから、現在の桜の開花期と比較してもよいでしょう。いずれにせよ、現在よりかなり遅いことがわかります。
現在では、二月一日からの一日の平均気温の合計が四百度になると開花するとか、最高気温の合計が六百度になったら開花するという法則があるそうです。ですから開花期が早まったのは、地球温暖化によるというのもよく説明できます。四月の入学式に桜が満開なのは、現在ならどの地域なのでしょう?我が家では桜の次に咲く野生の山吹が、早くも咲き始めています。
それなら江戸時代のならどうかと、『東都歳事記』(1838)を開いてみると、飛鳥山や上野の桜は「立春より六十五日のころより」と記されていますから、四月上旬から咲き始めるということになりますから、満開は中旬でしょう。明治時代ならどうかと思い、明治三十一年(1898)の『風俗画報』を開いてみたところ、東京の桜は、四月二・三日から十日頃に咲くと記されていました。明治四十四年(1911)の『東京年中行事』には、東京は四月中旬、浜離宮の観桜御宴が四月二十日頃と記されています。
明治期の東京の桜には、江戸時代以来の桜もかなり残っているでしょうが、ソメイヨシノが交じり始めているはずですから、現在の桜の開花期と比較してもよいでしょう。いずれにせよ、現在よりかなり遅いことがわかります。
現在では、二月一日からの一日の平均気温の合計が四百度になると開花するとか、最高気温の合計が六百度になったら開花するという法則があるそうです。ですから開花期が早まったのは、地球温暖化によるというのもよく説明できます。四月の入学式に桜が満開なのは、現在ならどの地域なのでしょう?我が家では桜の次に咲く野生の山吹が、早くも咲き始めています。
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