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『十訓抄』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2023-04-01 10:16:44 | 私の授業
十訓抄


原文
 昔、元正天皇の御時(おんとき)、美濃国に貧しく賤しき男ありけるが、老たる父を持ちたり。此(こ)の男、山の草木を取りて、其(そ)の直(あたい)を得て、父を養ひけり。此の父、朝夕あながちに酒を愛(め)で欲しがる。これによって男、生瓢(なりひさご)といふ物を腰に付けて、酒を沽(う)る家に行きて、常に是(これ)を乞ひて父を養ふ。
 ある時、山に入りて薪を取らんとするに、苔深き石に滑りて、うつぶしに転(まろ)びたりけるに、酒の香しければ、思はずにあやしくて、その辺(あたり)を見るに、石の中より水の流れ出づる事あり。其の色、酒に似たり。汲みて舐(な)むるに、めでたき酒なり。嬉しく覚えて、その後、日々に是を汲みて、飽(あ)くまで父を養ふ。
 時に帝(みかど)、此の事を聞こし召して、霊亀三年九月に、その所へ行幸(みゆき)ありて御覧じけり。是則(すなわ)ち至孝の故に、天神地祇(てんじんちぎ)あはれみて、其の徳を顕(あらわ)すと感ぜさせ給ひて、後に美濃守(みののかみ)になされにけり。其の酒の出づる所をば養老の滝とぞ申す。且(かつ)は之(これ)によりて、同じ十一月に、年号を養老とぞ改められける。

現代語訳
 昔、元正天皇の御代に、美濃国に貧しく賤しい男がいて、年老いた父をもっていた。この男は山の草木を採っては(町で)売り、老父の世話をしていた。その父は並外れて酒を好み、朝に夕に飲みたがる。それで男は、成り瓢(ひさご)(瓢箪(ひようたん))という物を腰に提(さ)げて酒屋に行き、常に酒を買い求めては父に飲ませていた。
 ある時、山に分け入って薪を採ろうとしたところ、苔むした石に足を滑らせ、うつ伏せに転んでしまった。ところが酒の臭いがするので、不思議に思ってその辺りを見回すと、岩の間から水が溢れ出ている。その色は酒の色に似ているので、汲んで舐(な)めてみたところ、素晴らしい酒ではないか。それで大層喜び、それからは毎日これを汲んでは、父が満足するまで飲ませて孝養した。
 その頃、帝はこのことをお聞きになり、霊亀三年(717)の九月、そこをお訪ねになり、御覧になられた。そして孝養を尽くしていることに天地の神が感応したことを、孝の徳を顕すものと天皇が感心され、その男を美濃の国司に任命された。そしてその酒の溢れ出る所を、「養老の滝」と名付けられた。またこれにより同年十一月に、年号を(霊亀から)養老へと改元されたということである。

解説
 『十訓抄(じつきんしよう)』は、鎌倉時代中期の建長四年(1252)に成立した教訓的説話集で、二八〇余の説話から成っています。著者は六波羅探題の北条長時に仕えた湯浅宗業(むねなり)らしいという説が有力です。序文には、「善き方(かた)をばこれを勧め、悪(あ)しき筋をばこれを誡(いまし)めつゝ、いまだ此の道を学び知らざらん少年のたぐひをして、心をつくる便(たより)となさしめんがために、試みに十段の篇を分ちて十訓抄と名づく」と記されていますから、年少者のための教訓とすることを目的として、編纂されたことがわかります。
 その「十段」とは、①「人に恵を施すべき事」、②「驕慢(きようまん)を離るべきこと」、③「人倫を侮るべからざる事」、④「人の上の多言等を誡(いまし)むべき事」、⑤「朋友を撰ぶべき事」、⑥「忠信廉直(れんちよく)を存ずべき事」、⑦「思慮を専らにすべき事」、⑧「諸事に堪忍すべき事」、⑨「怨望(えんぼう)を(妬み怨むこと)停(とど)むべき事」、⑩「才能芸業を庶幾(しよき)(こいねがう)すべき事」から成っています。
 ここに載せたのは、「忠信廉直(れんちよく)を存ずべき事」の「養老孝子の事」という話なのですが、確かな典拠があります。『続日本紀』の霊亀三年(717)十一月十七日には、元正天皇の詔が次のように記されています。
 「朕、今年九月を以て美濃国不破の行宮(かりみや)に到る。留連(りゆうれん)すること数日。因(より)て多耆(たぎ)郡多度(たど)山の美泉を覧(み)て、自(みずか)ら手面(おもて)を盥(あら)ひしに、皮膚滑(ぬめ)らかなるが如し。亦、痛き処を洗ひしに、除き愈(い)えずといふこと無し。朕の躬(み)に在りては、甚(はなは)だその験(しるし)有りき。また就(つ)て之を飲み浴する者は、或(ある)は白髪黒に反(かえ)り、或は頽髪(たいはつ)(くずれた髪)更(さら)に生(お)ひ、或は闇(おぼつかな)き目明らかなるが如し。自余(そのほか)の痼疾(こしつ)(病気)、咸(ことごと)く皆平愈(へいゆ)(平癒)せり。昔聞く、『後漢の光武(光武帝)の時、醴泉(れいせん)出でたり。之を飲みし者は痼疾皆愈えたり』と。符端書(ふずいしよ)(瑞祥について記した書物)に曰はく、『醴泉は美泉なり。以て老を養ふべし。蓋(けだ)し(思うに)水の精也』と。寔(まこと)に惟(おもんみ)るに、美泉は即ち大瑞に合(かな)へり。朕、庸虚(ようきよ)(愚かなこと)と雖も、何ぞ天の貺(たまもの)に違(たが)はん。天下に大赦し、霊亀三年を改めて養老元年とすべし」。
 そして改元だけではなく、全国の八十歳以上の老人には位一階を授け、八十~百歳以上の老人には、年齢に応じて絁(あしぎぬ)・綿(真綿)・布・粟などを与え、身寄りのない者や病人や自活できない者を救済するようにと、まさに「養老」の実践が命じられています。
 また『万葉集』には、「古従(いにしえゆ)(古来)人の言ひける老人(おいひと)の変若(お)つ(若返る)といふ水ぞ名に負ふ(その名に相応しい)瀧の瀬」(1034)という歌があり、「養老の滝」の故事はよく知られていました。岐阜県には現在も多度山がありますが、もちろん元正天皇ゆかりの湧水を特定することはできません。
 このような不思議な自然現象は、天が徳政に感応して地上に出現させた瑞祥と信じられ、唐の玄宗皇帝の勅命により編纂された『大唐六典(りくてん)』には、各種の瑞祥が大・上・中・下瑞の四段階に分けられていて、十世紀の初期の法令集である『延喜式』の治部省式には、ほぼ丸写しに載せられています。それによれば、「醴泉(れいせん)」は最上位の「大瑞」に分類されています。
 『十訓抄』では醴泉が酒になっていますが、日付は正確に写されていますから、編纂の過程で、編者が教訓的な親孝行の話に改作したのでしょう。なお岐阜県の多度山のある町は、「養老町」が町名となっています。また「養老乃瀧」という名前の居酒屋があることはよく知られています。


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