春になったことを実感させる鳥といえば、古歌の世界では鶯であろうが、多くの人に親しまれているということからすれば、ひばりがまず第一に上げられるであろう。空高く囀る声は、かなり離れたところでもよく聞こえ、その存在感を主張している。今でこそ市街地が増えて、どこにでもいるわけではないが、田園地帯で普通にその声を聞くことができる。
明治44年の『尋常小学唱歌 二』に、その名も『雲雀』という小学唱歌がある。
1、ぴいぴいぴいとさへづる雲雀(ひばり) 囀りながら何処まであがる
高い高い雲の上か 声は聞えて見えない雲雀
2、ぴいぴいぴいとさへづる雲雀 囀りやんで何処らへ落ちた
青い青い麦の中か 姿かくれて見えない雲雀
ひばりがどれくらい高く上がるものか、戯れに三角測量で計測したことがある。二人がひばりを挟んでほぼ直線になるように位置し、大きな分度器を使ってそれぞれの地点からの高度を測る。そして二人の間の距離を測れば、三角形の一辺とその両端の角度がわかるわけで、あとは紙上の作図によって計算できる。結果はおよそ100m前後であった。
100mも上昇すると、すずめより少々多きい程度なので、声の方向に目を凝らして見てもなかなか見当たらない。鳴き声は色々に聞き成されているが、私が知っているのは、「日一分 日一分 利取る 利取る」と聞くもので、ひばりはお日様に銭を貸しているので、利子を取り立てるために空高く舞い上がると理解しているのである。鳴いている時間も計ってみたが、これはまちまちで、3分だったことも5分だったこともあり、その時の加減で長くも短くもなるようだった。
ひばりは数分間上空で囀ると、何を思うのか、突然囀るのを止めて、まるで墜落でもするかのように降りてくる。古歌ではそれを「ひばり落つ」という。歌詞では「何処らへ落ちた」となっているが、「落ちる」という表現が気になるかもしれない。しかし古歌の常套的歌言葉からすればこれでよいのである。ひばりは、雛を狙う敵に巣のありかを知られないように、巣から少し離れた所に降り立つ習性を持っている。草むらに営巣するので、地上に降りるとなかなか姿が見えないが、それにはひばりのそのような習性も手伝っているのであろう。
明治44年の『尋常小学唱歌 二』に、その名も『雲雀』という小学唱歌がある。
1、ぴいぴいぴいとさへづる雲雀(ひばり) 囀りながら何処まであがる
高い高い雲の上か 声は聞えて見えない雲雀
2、ぴいぴいぴいとさへづる雲雀 囀りやんで何処らへ落ちた
青い青い麦の中か 姿かくれて見えない雲雀
ひばりがどれくらい高く上がるものか、戯れに三角測量で計測したことがある。二人がひばりを挟んでほぼ直線になるように位置し、大きな分度器を使ってそれぞれの地点からの高度を測る。そして二人の間の距離を測れば、三角形の一辺とその両端の角度がわかるわけで、あとは紙上の作図によって計算できる。結果はおよそ100m前後であった。
100mも上昇すると、すずめより少々多きい程度なので、声の方向に目を凝らして見てもなかなか見当たらない。鳴き声は色々に聞き成されているが、私が知っているのは、「日一分 日一分 利取る 利取る」と聞くもので、ひばりはお日様に銭を貸しているので、利子を取り立てるために空高く舞い上がると理解しているのである。鳴いている時間も計ってみたが、これはまちまちで、3分だったことも5分だったこともあり、その時の加減で長くも短くもなるようだった。
ひばりは数分間上空で囀ると、何を思うのか、突然囀るのを止めて、まるで墜落でもするかのように降りてくる。古歌ではそれを「ひばり落つ」という。歌詞では「何処らへ落ちた」となっているが、「落ちる」という表現が気になるかもしれない。しかし古歌の常套的歌言葉からすればこれでよいのである。ひばりは、雛を狙う敵に巣のありかを知られないように、巣から少し離れた所に降り立つ習性を持っている。草むらに営巣するので、地上に降りるとなかなか姿が見えないが、それにはひばりのそのような習性も手伝っているのであろう。
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