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うたことば歳時記

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夜の梅

2015-06-06 12:18:22 | うたことば歳時記
 普通は夜にわざわざ花を眺めることはない。しかし花の美しさには、視覚的だけではなく、嗅覚的な美しさもある。視覚的な要素が少なくなるだけあって、夜の花の嗅覚的美しさはかえって引き立てられる。
  ①春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(古今集)
  ②梅が花かばかりにほふ春の夜の闇は風こそうれしかりけれ(後拾遺)
①の「あやなし」とは「役に立たない」とか「わけがわからない」という意味で、花の色こそ見えないが、香は隠れようもないから、闇は闇の役目を果たしていない、という。②はわかりやすく、説明は不要であろう。梅は意図して庭に植えられているから、室内からすぐに眺められる距離にある。そのため「軒端の梅」という言葉ができるのであるが、だからこそ少しでも風が吹けば、部屋の中にも香って来るのである。
 「春の夜」と言えばすぐに「朧月」を連想するため、梅の花と月を共に詠んだ歌も多い。
  ③春の夜は軒端の梅を漏る月の光もかほる心地こそすれ(千載集)
  ④月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして(古今集)
③では、「梅を漏る月の光」というのであるから、梅越しに月が見えるのであろう。その月影も香っているようだというのである。④は在原業平の歌で、歌の中には「梅」は見当たらないが、詞書によれば、梅の美しい月夜に昔の恋人と過ごした懐かしい場所で詠んだもの。歌の解釈には諸説があり、ここでは、月も春も昔のままではなく変わってしまい、私一人がこうして取り残されている、という意味に解釈しておこう。この歌は藤原俊成が賞賛して以来、『古今和歌集』の代表的恋の歌と評価されるようになった。そのため、『新古今和歌集』以後には、⑤⑥のように、この歌を本歌とする歌が次々と詠まれることになる。
  ⑤梅が香に昔をとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる(新古今)
  ⑥梅の花たが袖触れしにほひとぞ春や昔の月にとはばや(新古今)
 大正時代の尋常小学唱歌に『夜の梅』という歌がある。
   一、梢(こずゑ)まばらに咲き初めし   花はさやかに見えねども
     夜もかくれぬ香にめでて  窓はとざさぬ闇の梅
   二、花も小枝(さえだ)もその儘(まま)に    うつる墨画(すみゑ)の紙障子
     かをりゆかしく思へども  窓は開かぬ月の梅    (大正三年 尋常小学唱歌六)
障子に映る梅が枝の影を見ること自体、現代の家の造りでは困難になってしまった。しかしせめて夜に梅の香りを賞する心くらいは、失ってはならない。大正期の小学生にも及ばないことになってしまう。

追記
和菓子の老舗である「とらや」に、「夜の梅」という羊羹があります。包丁で切ると、断面に小豆が点々と見えるのですが、それが周囲の色よりかすかに白っぽく見えることから、そのように名付けられた物です。切ってみて納得しました。さすがは「とらや」。古典和歌に造詣の深い社員がいたのでしょう。概して和菓子の名前には古典文芸に典拠をもつものが多いのですが、この命名は見事な物です。


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