王朝時代、藤は寝殿造の庭園の水際の松に絡めて植えられることが多く、藤の花房が風に揺れる様は、水との縁で「藤浪・藤波」と表現されたものでした。しかし藤の花がたくさん咲いている様子は、遠くから眺めると紫色の雲に見立てられることがありました。
①藤の花宮の内には紫の雲かとのみぞあやまたれける (拾遺集 雑夏 1067)
②紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん (拾遺集 雑夏 1069)
③九重に咲けるを見れば藤の花濃き紫の雲ぞ立ちける (千載集 春 119)
①は宮中で咲く藤の花を、紫の雲に見立てています。現代人にとって紫色は多くの色の中の一つに過ぎませんが、古代における紫色は、最も高貴な色と理解されていました。例えば、蘇我蝦夷が子の入鹿に対して紫冠を授けたという記録があり、隋の冠位制では紫冠が五品以上の高位者に与えられていたり、『源氏物語』に光源氏の理想的女性の名が「紫の上」であったことなどは、そのような理解が背景にあると見てよいでしょう。ただし推古朝に定められた冠位十二階の最上位が紫冠であると一般に理解されていることは、事実に反しています。『日本書紀』には冠位と色との対応について記述はありません。ただ後々、紫が最高位であるという説が伝えられていたという事実はありますが、あくまでも憶測に過ぎないことを確認しておきます。
②は、藤の花は紫色の雲に見えるが、いったいどの家の瑞祥なのであろうか、という意味です。詞書きによれば、藤原道長の娘である彰子が、中宮として入内する際の調度品とされた屏風に書かれていた賀の歌です。「紫の雲」とは皇后を意味する言葉で(『後拾遺和歌集』460参照)、『能因歌枕』という書物にも、「紫の雲とは后のことをいふ」と記されています。ですから、藤原氏の娘である彰子が入内することを祝賀する意味が込められていると理解できます。
③の「九重」は宮中・内裏を表す言葉で、表向きは、内裏で幾重にも藤の花が咲いているのを見ると、濃い紫色の瑞雲が立っているように目出度いことだ、という意味です。そしてこの「紫の雲」も皇后を指していると考えられ、藤原氏の象徴である藤を紫色の雲に見立てることは、藤原氏の娘が入内することに対する祝賀の意味が込められているわけです。このように藤の花は紫色の雲に見立てられ、藤原氏の繁栄の象徴とも見なされたのでした。
また紫色の雲には皇后という意味の他に、瑞雲という意味もありました。瑞祥が現れる際にその予兆として紫色の雲がたなびくという理解があったのです。紫色の瑞雲の中でも最もよく知られているのは、阿弥陀如来が臨終者を極楽浄土に迎えるために来迎する際にたなびく雲でしょう。現代人の感覚では、縁起でもないと怒られそうですが、「厭離穢土・欣求浄土」、つまり汚れた地獄を厭い、極楽浄土に往生することを何よりの喜びとして希求した往時の人にとっては、阿弥陀来迎の瑞雲は憧れの対象でもありました。
④柴の庵の西の高嶺の藤の花明け暮れ願ふ雲かとぞ見る (堀河院百首 284)
粗末な庵の西の方に高い山があり、そこに藤の花が見えるのでしょう。その花が明け暮れとなく願っている極楽浄土から来迎する、阿弥陀如来の紫の雲と思って眺めている、という意味です。極楽浄土は西の彼方とされていますから、西の山に見える藤の花をそれに見立てたわけです。実際、野生の藤は掛かっている樹木の樹冠にまで這い上がり、遠くから見ると木の上に紫色の雲が懸かっているようにも見えるものです。これは野生の藤でなければわかりませんが、もしそのような藤の花を見ることがあれば、瑞雲に見立てた古人の感じ方を追体験してみて下さい。
①藤の花宮の内には紫の雲かとのみぞあやまたれける (拾遺集 雑夏 1067)
②紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん (拾遺集 雑夏 1069)
③九重に咲けるを見れば藤の花濃き紫の雲ぞ立ちける (千載集 春 119)
①は宮中で咲く藤の花を、紫の雲に見立てています。現代人にとって紫色は多くの色の中の一つに過ぎませんが、古代における紫色は、最も高貴な色と理解されていました。例えば、蘇我蝦夷が子の入鹿に対して紫冠を授けたという記録があり、隋の冠位制では紫冠が五品以上の高位者に与えられていたり、『源氏物語』に光源氏の理想的女性の名が「紫の上」であったことなどは、そのような理解が背景にあると見てよいでしょう。ただし推古朝に定められた冠位十二階の最上位が紫冠であると一般に理解されていることは、事実に反しています。『日本書紀』には冠位と色との対応について記述はありません。ただ後々、紫が最高位であるという説が伝えられていたという事実はありますが、あくまでも憶測に過ぎないことを確認しておきます。
②は、藤の花は紫色の雲に見えるが、いったいどの家の瑞祥なのであろうか、という意味です。詞書きによれば、藤原道長の娘である彰子が、中宮として入内する際の調度品とされた屏風に書かれていた賀の歌です。「紫の雲」とは皇后を意味する言葉で(『後拾遺和歌集』460参照)、『能因歌枕』という書物にも、「紫の雲とは后のことをいふ」と記されています。ですから、藤原氏の娘である彰子が入内することを祝賀する意味が込められていると理解できます。
③の「九重」は宮中・内裏を表す言葉で、表向きは、内裏で幾重にも藤の花が咲いているのを見ると、濃い紫色の瑞雲が立っているように目出度いことだ、という意味です。そしてこの「紫の雲」も皇后を指していると考えられ、藤原氏の象徴である藤を紫色の雲に見立てることは、藤原氏の娘が入内することに対する祝賀の意味が込められているわけです。このように藤の花は紫色の雲に見立てられ、藤原氏の繁栄の象徴とも見なされたのでした。
また紫色の雲には皇后という意味の他に、瑞雲という意味もありました。瑞祥が現れる際にその予兆として紫色の雲がたなびくという理解があったのです。紫色の瑞雲の中でも最もよく知られているのは、阿弥陀如来が臨終者を極楽浄土に迎えるために来迎する際にたなびく雲でしょう。現代人の感覚では、縁起でもないと怒られそうですが、「厭離穢土・欣求浄土」、つまり汚れた地獄を厭い、極楽浄土に往生することを何よりの喜びとして希求した往時の人にとっては、阿弥陀来迎の瑞雲は憧れの対象でもありました。
④柴の庵の西の高嶺の藤の花明け暮れ願ふ雲かとぞ見る (堀河院百首 284)
粗末な庵の西の方に高い山があり、そこに藤の花が見えるのでしょう。その花が明け暮れとなく願っている極楽浄土から来迎する、阿弥陀如来の紫の雲と思って眺めている、という意味です。極楽浄土は西の彼方とされていますから、西の山に見える藤の花をそれに見立てたわけです。実際、野生の藤は掛かっている樹木の樹冠にまで這い上がり、遠くから見ると木の上に紫色の雲が懸かっているようにも見えるものです。これは野生の藤でなければわかりませんが、もしそのような藤の花を見ることがあれば、瑞雲に見立てた古人の感じ方を追体験してみて下さい。
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