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うたことば歳時記

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ほととぎすの忍び音  追記

2016-05-21 10:27:00 | うたことば歳時記
「うたことば歳時記」というブログに、「ほととぎすの忍び音」と題して一文を公開しましたが、世の中にはほととぎすの忍び音についての誤解が大手を振って歩いているので、書き足りなかったことを追記してみます。「ほととぎすの忍び音」をまだ御覧になっていない方は、まずそちらを先に御覧下さい。


 今日、平成28年5月21日の早朝、ほととぎすの鳴き声を今年初めて聞きました。例年5月下旬に聞きますので、今日くらいかなと思っていました。ブログ「ほととぎすの忍び音」に既に書きましたが、一般にはほととぎすの初声は「ほととぎすの忍び音」と理解されていることかせ多いようです。手許にある三省堂の『例解 古語辞典』で「忍び音」を検索すると、「ホトトギスの初音」と説明されています。またネット上では、「ホトトギスの声をひそめるような鳴き声」、「その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声」、「夜にこっそり鳴く声」、「まるで人がひそひそと話をしているように啼きます」、「まだ上手ではない不慣れな鳴き声」などという解説がありました。これらはすべてとんでもない誤りです。中には、「巣立ったばかりのほととぎすの鳴き声」という解説さえありました。ホトトギスは日本に来てからウグイスの巣に産卵するのですから、初夏に巣立って鳴くわけがありません。出鱈目もここまで来ると、呆れてしまいます。学研の『現代新国語辞典』には「陰暦四月ごろに鳴くホトトギスの声」という解説がありましたが、これが正解です。

 圧倒的に多いのが「初音」「初声」というものですが、「初」であるかどうかということは、たまたま聞いた人にとって初であるというだけで、ホトトギスが初めて鳴く声であるはずがありません。私はその時期には朝から晩まで連日一日中聞いているわけですが、都会から来た人にとっては、6月に聞こうと、7月に聞こうと、初めて聞けば初声なのです。私は今朝聞きましたが、私にとっては初声でも、既に昨日聞いた人にとっては初声ではありません。「初」はあくまでも聞く側の問題であって、ホトトギスにとっては全く関係ないのです。

 忍び音というと、何か特別な鳴き方をするような解説もたくさんあります。ひそひそ鳴くとかこっそり鳴くとか、声をひそめて鳴くとか、不慣れな鳴き声とか、いかにも聞いてきたかのように説明していますが、決してそんな声では鳴きません。どうも忍び音と忍び泣きを混同しているようです。上空を飛びながら鳴くので、けたたましくとまでは言いませんが、遠慮しがちな声ではありません。枝に止まって鳴いているのを近くで聞いたことがありますが、その場合は、びっくりするほど大きな声に聞こえます。このような説明をしてしまう理由は、「忍び泣き」の第一義である「人知れず泣くこと」「声を抑えて泣くこと」に引きずられたからにほかなりません。本来は叶わぬ恋や悲しみのために、じっと堪えるようにして人が泣くことでした。特別な鳴き方として理解し説明している人に尋ねてみたいものです。あなたは忍び音とそうでない普段の鳴き声とを、聞き分けたことがあるのですかと。辞書の執筆者と雖も、自分で聞いて確かめてはいないのです。ネットの投稿者も同様でしょう。もっとも辞書の解説が間違っているのですから、一般の投稿者の責任ではなく、すべて「専門家」の責任です。

 それなら本当の「ほととぎすの忍び音」とはどのようなことなのかと質問されるでしょう。細かい考察は上記のブログ「うたことば歳時記」の中の「ほととぎすの忍び音」を御覧いただくとして、結論だけを言えば、「旧暦四月の卯月に鳴くほととぎすの声」ということです。平安時代以降、ほととぎすは旧暦五月から鳴くものと人が勝手に決めて掛かり、それ以前、つまり卯月に来てしまったほととぎすは、大っぴらに鳴くことのできる五月が来るまで、その時を待ってこっそり鳴くものと理解されていたのです。ただし『万葉集』の時代には、立夏を過ぎたら、つまり卯月の内から鳴くものと理解されていました。

 今年の旧暦五月一日は新暦の6月5日です。今日、私は私にとっての「初声」を聞きました。今日は旧暦ではまだ卯月四月十五日ですから、今日聞いた声は、間違いなく忍び音だったわけです。その声はとてもとてもひそひそと鳴くような声ではありませんでした。散歩の道端には卯の花が満開に咲いていて、目には卯の花、耳にはほととぎすで、「夏は来ぬ」を満喫しています。



先日西行の『山家集』を読んでいたところ、忍び音の理解に関わるよい歌がありましたので、御紹介します。

 雨中郭公を待つといふことを
○ほととぎすしのぶ卯月も過ぎにしをなほ声惜しむ五月雨の空(山家集 夏 197)

忍び鳴くとされる卯月を過ぎてしまったのに、ほととぎすは五月雨の降る空で、まだ声を出し惜しみしている、という意味です。この歌でも、五月になるまで、つまり卯月の間は忍び音で鳴き、五月になったら忍ぶことなく鳴くはずであるという理解があったことがわかります。



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