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うたことば歳時記

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蛍の忍ぶ恋

2021-07-02 14:40:56 | うたことば歳時記
蛍の忍ぶ恋

 タイトルだけ見ると「蛍の忍ぶ恋」なんて、変なテーマだと思われるでしょうね。もちろん虫が恋をするはずはありませんから、人の恋心を虫に喩えているだけのことです。

 蛍になぞらえた恋の古歌をいくつか上げてみましょう。
①夕されば蛍より異(け)に燃ゆれども光見ねばや人のつれなき(古今集 恋 562)
②音もせで思ひに燃ゆる蛍こそなく虫よりもあはれなりけれ(後拾遺 夏 216)
③なく声も聞こえぬもののかなしきは忍びに燃ゆる蛍なりけり(後拾遺 夏 73)
④声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ(源氏物語 蛍の巻)
⑤包めども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり(大和物語)
⑥明けたてば蝉のをりはへ鳴きくらし夜は蛍の燃えこそわたれ(古今集 恋 543)

 ①は少し解説が要るかもしれません。「夕方になると、私の恋の火が蛍よりは一層燃え立ちますが、蛍の火と異なって私の恋の火は見えないので、あの人は私につれないのでしょうか」という意味です。④⑤の「思ひ」の「ひ」は「火」を懸けていることはすぐに気が付かれたことでしょう。⑤は蛍を包んでも光が見えるというのですから、衣の袖などに蛍をそっと忍ばせてみた経験があるのかもしれません。私も子供の頃には、その様にして遊んだことがあります。 ⑥は、「夜が明けはじめると、蝉がずっと鳴き続ける様に、昼間は恋い慕って泣き続け、夜は夜で蛍が燃え続けているように、恋い焦がれる心で燃えています」という意味です。夜明けからなくというのですから、ヒグラシ蝉を思い浮かべているのでしょう。また夜明けから鳴くということには、夜通し恋しい人の訪れを待っていたのに来てくれなかったことへの悲しみがあるのでしょう。

 共通しているのは、蛍は「音もしない」とか、「なく声が聞こえない」ものと理解されています。また歌の中に「蝉」が詠まれていなくても、古人が恋の歌に蛍を詠む時には、必ず鳴かない蛍を鳴く蝉を対比させる理解が潜んでいるものです。②には「音」が詠まれていますが、現代人の知っているsoundとしての音ではなく、歌言葉では声を出して泣くことを「音(ね)に泣く」と慣用的に表現するように、「音」という言葉自体には、蝉のように「声を出して泣く」という意味が既に含まれています。また「泣く」と「鳴く」を懸けるのは古歌の常套です。現代短歌ならつまらぬ修辞法と切り捨てられるのでしょうが、自然描写の背後に心理描写をさり気なく隠しておくのも、古歌の常套的修辞法です。現代人にとって自然とは、それ以上でもそれ以下でもありませんが、古人にとっては心情を重ねることによって、奥ゆかしく心情を表現する媒体でもあるわけです。現代では、恋しい人に蛍をかごに入れてプレゼントしても、その心を理解してくれる人はまずいないでしょう。蛍を贈った意味はと問われても、蛍雪の功を連想して、もっと勉強しなさいと言われているのかもと思うかもしれません。私も若い頃に、妻への手紙の封筒に梅の花を忍ばせたことがありましたが、全く気づいてもらえませんでした。

 虫としての蛍には、光ることに最大の特徴があり、歌の中では「燃える」とか「身を焦がす」と詠まれます。身を焦がす程に思い焦がれつつも、絶対に声には出さないのですから、③の歌のように「忍んで燃える」ことが蛍の恋であるというわけです。王朝時代の恋愛事情では、夜に男が女をこっそり訪ねることが普通でしたから、なおさら夜に光る蛍に喩えられるわけです。「忍ぶ恋」など、現代の女性には理解されないことでしょうね。また夜に男が女を訪ねるという恋の風習がなくなっていますから、ますます忍ぶ恋などは理解できないのでしょう。

我が家の周囲では、ニイニイゼミが鳴き始めました。それこそ途切れること鳴く鳴き続けています。かつては蛍も見られたのですが、今はすっかり見られなくなってしまいました。


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