東海道中膝栗毛
原文
北「コレ〳〵、女中。煙草盆に火を入れて来てくんな」
弥「ヲヤ、手前(てめえ)もとんだ事をいふもんだ」
北「なぜ〳〵」
弥「煙草盆へ火を入れたら、焦げてしまハア。煙草盆の中に ある火入れの内へ、火を入れて来いと言ふもんだ」
北「エゝ、御前(おめえ)も詞咎(ことばとがめ)をするもんだ。それじゃあ日の短い 時にゃア、煙草も喫(の)まずに居にゃアならねへ」
弥「時に腹が北山(きたやま)(腹がすくこと)だ。今、飯(めし)を炊(た)く様子だ。埒(らち) のあかねへ(話にならない)」
北「コレ、弥次さん。おいらよりゃア御前(おめえ)、文盲なもんだ」
弥「なぜ」
北「飯を炊いたら粥(かゆ)になってしまうわな。米を炊くと言へば いゝに」
弥「馬鹿ぬかせ、ハゝゝゝ」
と、此内(そのうち)、女、煙草盆を持って来る。
北「もし、姉(あね)さん、湯が沸(わ)いたら這入(へえ)りやせう」
弥「そりゃ、人のことを言ふうぬ(お前)が、何にも知らねへ な。湯が沸いたら、熱くて入られるものか。それも水が湯 に沸いたら、這入(へえ)りやせうとぬかし居れ」
此内(そのうち)、また宿の女
女「もし、お湯が沸きました。お召しなさいませ」
弥「おい、水が沸いたか。どれ、入(はい)りやせう」
解説
『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゆうひざくりげ)』は、滑稽本の作家である十(じつ)返(ぺん)舎(しや)一(いつ)九(く)(1765~1831)が著した通俗小説です。主人公の弥(や)次(じ)郎(ろ)兵(べ)衛(え)(弥次郎)と喜(き)多(た)八(はち)(北八)が、江戸から伊勢神宮に行く旅行記で、続編には、木曽街道(中山道)を経由して江戸に帰着するまでが叙述されています。「栗毛」とは「栗毛色の馬」のことで、「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりにして徒歩で旅をすることを意味しています。初編の出版は享和二年(1802)で、江戸から箱根までだったのですが、好評を博したたため、三年がかりで、伊勢から奈良・京都・大坂を巡り、ここまでが正編。さらに讃岐の金比羅宮(こんぴらぐう)から安芸の宮嶋まで足を延ばし、木曽街道(中山道)の善光寺・草津温泉を経由して江戸に帰るまでが続編の『続膝栗毛』となっています。そして文政五年(1822)に、二一年がかりで漸く完結しました。
人気の理由は、「旅は恥のかき捨て」とばかりに醜態を繰り広げたり、馬鹿馬鹿しいできごとの連続や、ギャグの応酬が読者の笑いを誘ったことでした。また貸本屋が増えて、庶民が長編小説を自由に読めるようになったことや、伊勢参宮や札所巡りなど、庶民の旅行が盛んになったことなども、人気を得た背景でした。
一般的には、滑稽で愉快なお笑い道中記と思われていますが、実際にはかなり深刻な場面があります。そもそも弥次郎と喜多八は男色関係でした。また結婚詐欺でまんまと手に入れた持参金で、験直(げんなおし)に旅に出るという設定です。しかも行く先々で、次々に女性を相手にした男の身勝手がまかり通る場面があります。ですから教育的には、ただ愉快な場面ばかりを摘まみ食いしたり、きわどい場面は程々にやり過ごすことになるわけです。
ここに載せたのは、小田原宿の場面です。現代語訳は省略しましたが、それはこの頃の会話は、現代人が聞いてもほぼ理解できる程、現代語に近いということでもあります。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『東海道中膝栗毛』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。
原文
北「コレ〳〵、女中。煙草盆に火を入れて来てくんな」
弥「ヲヤ、手前(てめえ)もとんだ事をいふもんだ」
北「なぜ〳〵」
弥「煙草盆へ火を入れたら、焦げてしまハア。煙草盆の中に ある火入れの内へ、火を入れて来いと言ふもんだ」
北「エゝ、御前(おめえ)も詞咎(ことばとがめ)をするもんだ。それじゃあ日の短い 時にゃア、煙草も喫(の)まずに居にゃアならねへ」
弥「時に腹が北山(きたやま)(腹がすくこと)だ。今、飯(めし)を炊(た)く様子だ。埒(らち) のあかねへ(話にならない)」
北「コレ、弥次さん。おいらよりゃア御前(おめえ)、文盲なもんだ」
弥「なぜ」
北「飯を炊いたら粥(かゆ)になってしまうわな。米を炊くと言へば いゝに」
弥「馬鹿ぬかせ、ハゝゝゝ」
と、此内(そのうち)、女、煙草盆を持って来る。
北「もし、姉(あね)さん、湯が沸(わ)いたら這入(へえ)りやせう」
弥「そりゃ、人のことを言ふうぬ(お前)が、何にも知らねへ な。湯が沸いたら、熱くて入られるものか。それも水が湯 に沸いたら、這入(へえ)りやせうとぬかし居れ」
此内(そのうち)、また宿の女
女「もし、お湯が沸きました。お召しなさいませ」
弥「おい、水が沸いたか。どれ、入(はい)りやせう」
解説
『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゆうひざくりげ)』は、滑稽本の作家である十(じつ)返(ぺん)舎(しや)一(いつ)九(く)(1765~1831)が著した通俗小説です。主人公の弥(や)次(じ)郎(ろ)兵(べ)衛(え)(弥次郎)と喜(き)多(た)八(はち)(北八)が、江戸から伊勢神宮に行く旅行記で、続編には、木曽街道(中山道)を経由して江戸に帰着するまでが叙述されています。「栗毛」とは「栗毛色の馬」のことで、「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりにして徒歩で旅をすることを意味しています。初編の出版は享和二年(1802)で、江戸から箱根までだったのですが、好評を博したたため、三年がかりで、伊勢から奈良・京都・大坂を巡り、ここまでが正編。さらに讃岐の金比羅宮(こんぴらぐう)から安芸の宮嶋まで足を延ばし、木曽街道(中山道)の善光寺・草津温泉を経由して江戸に帰るまでが続編の『続膝栗毛』となっています。そして文政五年(1822)に、二一年がかりで漸く完結しました。
人気の理由は、「旅は恥のかき捨て」とばかりに醜態を繰り広げたり、馬鹿馬鹿しいできごとの連続や、ギャグの応酬が読者の笑いを誘ったことでした。また貸本屋が増えて、庶民が長編小説を自由に読めるようになったことや、伊勢参宮や札所巡りなど、庶民の旅行が盛んになったことなども、人気を得た背景でした。
一般的には、滑稽で愉快なお笑い道中記と思われていますが、実際にはかなり深刻な場面があります。そもそも弥次郎と喜多八は男色関係でした。また結婚詐欺でまんまと手に入れた持参金で、験直(げんなおし)に旅に出るという設定です。しかも行く先々で、次々に女性を相手にした男の身勝手がまかり通る場面があります。ですから教育的には、ただ愉快な場面ばかりを摘まみ食いしたり、きわどい場面は程々にやり過ごすことになるわけです。
ここに載せたのは、小田原宿の場面です。現代語訳は省略しましたが、それはこの頃の会話は、現代人が聞いてもほぼ理解できる程、現代語に近いということでもあります。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『東海道中膝栗毛』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。
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