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『鎖国論』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2022-01-18 19:56:37 | 私の授業
鎖国論


原文
 其国、檻(おり)の内に在りて、太平の沢(たく)を受て、異国の人と通商通交せざるを以て患(わずらい)とせず。如何(いかん)とならば、地勢有福にして、是等の事なくても堪(たう)るが故なり。さればまた我輩の異国と通商通交することを好めるは、偏(ひとえ)に人生切用(切要)のものを取来(とりきた)らんが為、またはかの切用のものをして好ならしめ、佳ならしめ、便ならしむることを致すものを、来(きた)し具(そな)ふるが為にして、兼ては又花奢(かしや)の風を止めんが為なれば、譏(そし)るべきにはあらず。・・・・・・
 然らば今爰(ここ)に一箇の国あり。造化(ぞうか)、これに処するに寛良の徳を以(もつて)して、一切生命を扶(たす)け保つの諸用を具(そな)へ施して、然(しか)も其人の勤労によりて、国勢強大にして世界に著顕するに至るが如きは、若し其地勢の宜(よろ)しきに随(したがい)て、国体を際界の内に維持すること、甚(はなはだ)難(かた)きにあらずして、且(かつ)又国人の勢力勇気、外国入寇の変にあたりて、よく其国の為に防護するに足りぬべくだにあらば、堪(たえ)てあるべき限は、異国の産物器械を用ずして、是によりて兼て彼等が不良軽忽(けいこつ)矜奢(きようしや)の風、および詐譏(さき)戦争奸謀(かんぼう)の害を免(まぬか)れんこそ、唯に議(義)の当然たるのみにもあらず。また大に其国の利益たらんこと必定なり。斯(かか)る国いづこにかあると尋(たずぬ)るに、今に至りて世に知られたる日本にてぞありける。

現代語訳
 その国(日本)は、(国という)檻(おり)の中にあっても、太平の恩恵を受けているので、異国人と通商通交しないことを、憂うべきことと考えていない。なぜならば、その国土は裕福で、これらのことがなくても、自立できるからである。一方、我等西洋諸国が異国と通商通交を好んで行うのは、専ら生活に必要な物を入手するため、またさらに生活を快適で贅沢で便利にするのに必要な物を買うためであって、多すぎるものを売ることを兼ねているのであるから、誹(そし)るべきことではない。(下線部は「買なり」、下線部は「大過なるを出して売る也」という訳者志築忠雄の原註がある)・・・・・
 それならば今ここに一つの国がある。造物主(神)はこの国に対して広く豊かな心を以て、全ての命を扶(たす)け保つのに必要な物を供与し、しかもその国民の勤勉な労働により、国力の旺盛なことが世界に明らかになっている如きことは、もし国土の状態がよく、国の体制をその国境内で維持することがそれ程困難ではなく、かつまたその国民の威勢と勇気が、外国の侵攻という変事に対して、国を防衛するのに十分であるというならば、可能な限りは異国の産物や器械を用いることなく、彼等が(異国人の)悪徳・軽率・高慢の風潮や、欺瞞(ぎまん)・戦争・謀略の害を免れるのは当然であるというだけではない。またそれが大いにその国の益になることは確かである。このような国が何処(どこ)にあるのかと問われれば、今日世界に知れ渡っている、日本こそがその国なのである。

解説
 『鎖国論(さこくろん)』は、ドイツ人エンゲルベルト・ケンペル(1651~1716、Kämpfer)が著した日本に関する論文を、長崎通詞の志筑(しづき)忠雄(ただお)(1760~1806)が、享和元年(1801)に訳述した書物です。ケンペルは元禄三年(1690)に長崎のオランダ商館の医師として来日し、約二年間出島に滞在しました。その間二回江戸に参府し、将軍徳川綱吉に謁見しています。そして元禄五年(1692)に離日するまでの二年一カ月間に、日本に関する膨大な資料を収集し、一七一二年、アジア諸国についてラテン語で書物を出版しました。これは日本語では『廻国奇観』と呼ばれ、その中には後に『鎖国論』として翻訳される論文も含まれていました。その論文の原題を和訳すれば、「最良の見識により自国民の出国および外国人の入国・交易を禁じ、国を閉ざしている日本王国」という長いものです。
 ケンペルはドイツに帰国後、『今日の日本』という書物の原稿を書いたのですが、出版しないうちに亡くなってしまいました。後にその原稿を遺族から買い取ったイギリス人貴族が、秘書に命じて英訳させ、『廻国奇観』に収められている日本に関する論文を付け加え、一七二七 年に 英文の『The History of Japan』という題で出版しました。その中に『鎖国論』の本となる論文も含まれていました。この書物は日本では『日本誌』と呼ばれ、高校の日本史の教科書にも載っています。そしてこれが評判となり、仏訳と蘭訳も出版されました。志筑忠雄はこのオランダ語訳から訳述したわけです。
 『鎖国論』の内容は、まず第一章で、鎖国は天理に反するとしていますが、日本については例外的にこれを肯定しています。第二章では、日本は荒磯に取り囲まれ、外国船が近寄ることは極めて危険であること。人口が多く、都市が発達し、特に江戸と京が広大なこと。次いで対外的危機に際しては勇猛果敢に戦い、粗衣粗食や重労働にも堪える国民性であると説いています。また外寇が稀であり、征服されたことはなく、特にヨーロッパにも知られている「タタール」の襲来(元寇)を撃退したことを強調しています。西欧人はタタール(モンゴル)の東欧侵攻を知っていますから、過大に評価されたことでしょう。第三章では、諸産物・資源が豊富であること。加工技術に優れていること。儒学が盛んで、キリスト教は定着せず、確固たる神信仰を持っていること。鍼灸(しんきゆう)の術に優れ、毎日入浴して清潔を保っていること。整った刑法により迅速な裁判が行われることなどが述べられています。第四章では、教皇的権威者である天皇とは別に、最高軍司令官としての太閤・将軍・皇帝がいること。その統一過程と統治、キリシタン迫害、外来文化への警戒から鎖国に至る過程、オランダとの貿易が詳細に述べられています。第五章では、綱吉の文治政治について述べ、敬神・法制・道徳・技術・産業・物産・豪胆な気性・太平等の点で、世界でも稀に見る優れた国であり、閉鎖状態に置かれていても、国民の幸福がこれ程に良く実現している時代を見いだせないと結論しています。
 志筑忠雄は巻末に訳者の註釈として、「曽(かつ)て異国人の為に風俗をそこなはれ、財宝を偸(ぬす)まる。これ其通交を断つ所以なり。然らば鎖国の一件、本よりこれ大に義あり、利あるの務(つとめ)なり。明君頻りに起り給ひて、この事決定成就し給ふに至る。是又皇国の皇国たる所以なるべし。検夫爾(けんぺる)が意、蓋(けだ)し此の如し」と述べて、ケンペルに賛同しています。
 日本語の『鎖国論』は写本として流布し、横井小楠ら一部の学者や老中松平定信らの幕府中枢にも読まれていました。読みようによっては、幕末の尊皇攘夷論の根拠ともなります。実際、平田篤胤(あつたね)はその著書『古道大意』下巻の中程において、鎖国を肯定していることに言及し、日本は万国の頭となる国で、何一つ不足するものはない。交易するのは不足するものがあるからであると説き、自らの主張を補強しています。
 鎖国の評価については、古来肯定論と否定論が対立してきました。肯定論では、列強の植民地化回避、国内政治の長期安定、宗教的混乱の回避、国内産業・交通の発展、日本的文化の円熟などが主張されます。一方否定論では、近代化・産業革命の遅延、海外発展の頓挫、産業発展の阻害、海外情報の減少、世界的視野の欠如などが主張されます。しかし是か非かの二者択一で結論を出せる単純な問題ではありません。ただし明治期の近代化は、鎖国体制の廃止の結果もたらされたことは、事実として認めざるを得ません。
 ここに載せたのは第一章の核心部分です。ただ翻訳文に特徴的な長文やくどい言い回し、志筑忠雄の造語、写本による文言の相違などのため、現代語訳は極めて困難でした。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『鎖国論』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。






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