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キリシタン版『イソップの寓話』(ESOPONO FABVLAS)高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2021-11-15 07:07:35 | 私の授業
ESOPONO FABVLAS(イソップの寓話)


ローマ字原文
Xemito, aritono coto.     
Aru fuyuno nacabani aridomo amata anayori gococuuo daite
fini saraxi, cajeni fucasuruuo xemiga qite coreuo morŏta:
arino yŭua: gofenua suguita natcu, aqiua nanigotouo
itonamaretazo? xemino yŭua: natcuto, aqino aidaniua
guinquiocuni torima guirete, sucoximo fimauo yenandani
yotte, nanitaru itonamimo xenandatoyŭ: ari guenigueni
sonobun gia: natcu aqi vtai asobareta gotoqu, imamo fiqio
cuuo tcucusarete yocarŏzutote, sanzanni azaqeri sucoxino
xocuuo toraxete modoita.
※開音の発音記号が付けられているŏ・ŭがありますが、あ まり気にせずに読み過ごして下さい。

国字原文
せみ(蝉)と あり(蟻)との こと
ある ふゆ(冬)の なかば(半)に あり(蟻)ども あまた(数多) あな(穴)より ごこく(五穀)を だ(出)いて ひ(日)に さら(曝)し、かぜ(風)に ふ(吹)かするを せみ(蝉)が き(来)て これを もろ(貰)た。あり(蟻)の ゆ(言)うは、「ごへん(御辺)は す(過)ぎた なつ(夏)、 あき(秋)は なにごと(何事)を いとな(営)まれたぞ?」 せみ(蝉)の ゆ(言)うは、「なつ(夏)と、 あき(秋)の あいだ(間)には ぎんきょく(吟曲)に とりま ぎれ(紛)て、 すこ(少)しも ひま(暇)を え(得)なんだに よって、なに(何)たるいとなみ(営)も せなんだ」とゆ(言)う。あり(蟻)「げにげに そのぶん(分)じゃ。なつ(夏) あき(秋) うた(歌)い あそ(遊)ばれた ごと(如)く、 いま(今)も ひ(秘)きょく(曲)を つ(尽)くされて  よからうず」とて、さんざん(散々)に あざけ(嘲)り すこ(少)しの しょく(食)を と(取)らせて もど(戻)いた。

解説
 『エソポのハブラス』( ESOPONO FABVLAS)は、現代日本語に直せば「イソップの寓話(ぐうわ)(教訓的譬え話)」という意味で、文禄二年(1593)、イエズス会宣教師により天草のコレジオ(聖職者養成神学校)で印刷されました。他にも多くの教義書・祈祷文や日本文芸がローマ字や国字で刊行され、「キリシタン版」「天草版」と呼ばれています。印刷には、天正遣欧使節がローマから持ち帰った活版印刷機が用いられました。
 もともと部数は少なかったでしょうが、江戸時代末期のイギリス外交官アーネスト・サトーが本国に持ち帰ったので、大英図書館に世界でたった一冊だけ現存しています。口語が発音のままに、発音記号を伴ったローマ字で書き表されているのですから、当時の会話体や発音を知ることのできる史料として、極めて貴重なものです
 わかりやすいところでは、今日のハ行が、当時はfa fi fu fe foと発音されていたことを確認できます。ここに載せた部分では、「冬」を「fuyu」、「日」を「fi」、「暇」を「fima」などの例があります。他に天草版の平家物語では、「平家物語」が「FEIQE MONOGATARI」、「日本」が「NIFON」と表記されているのはよく知られています。因みに奈良時代より前は、ハ行はp音で発音され、奈良時代にはf音、桃山から江戸時代にかけて h音に変わったとされています。
 また当時のオの長音には、口を大きく開けてアウに近い発音をする開音「ŏ」と、口をすぼめてオウ・オーと発音する合音「ô」があり、キリシタン版では区別されています。開長音は十七世紀には使われなくなり、「o」に統合されました。オー・コー・ソーを、旧仮名遣いではアウ・カウ・サウなどとも表記するのは、開長音があった名残です。
 キリシタン版の『エソポのハブラス』には七十の話が収められています。「犬が肉を含んだ事」「獅子と鼠の事」「孔雀(くじやく)と烏の事」「鳩と蟻の事」「童の羊を飼うた事」「蝉と蟻の事」などは、現在でもよく知られています。また江戸時代初期の慶長年間には、キリシタン版とは別系統の『伊曾保(いそほ)物語』が何種類も木活字で刊行されました。これは明らかに日本人のためのものです。十七世紀半ばに、挿画・振り仮名・増刷が容易な整版本の刊行が始まると、万治二年(1659)には、絵入りの『伊曾保物語』が出版され、その後は庶民的な読み物として流布しました。その中には「京といなかのねずみの事」「獅子王とねずみの事」「かはづが主君を望む事」「烏(からす)と孔雀(くじやく)の事」「蟻と蝉の事」「鳩と蟻の事」「ねずみども談合の事」などがあります。また明治五~八年(1872~75)には、英訳本から翻訳し直され、西洋文芸の『伊蘇普(いそつぷ)物語』として出版されました。また「兎と亀の話」(童謡「うさぎとかめ」の本(もと)になった話)や「獅子(しし)と鼠(ねずみ)の事」などのように、小学校の教科書に採用された話もあり、広く流布しました。
 ここに載せたのは「蝉と蟻」の話で、キリシタン版原文と、国字に直したものを載せました。この話は明治期の『伊蘇普(いそつぷ)物語』では、「蟻と螽(きりぎりす)」に改変されています。これは蝉が生息しない北欧ではきりぎりすに改められ、その英語版が明治初期に日本に伝えられて翻訳されたからです。
 原作の改変は、キリシタン版にもあります。そもそも『エソポのハブラス』は、宣教師の日本語習熟と、教化の方便とすることが目的でしたから、信仰的に相応しくない話を改作したり、低俗な話は収録されませんでした。原作では、冬の食べ物を欲しがる蝉に向かって、「冬も歌って過ごしたらよかろう」と、冷たく突き放すのですが、キリシタン版では、蟻は蝉を嘲(あざけ)って一度は突き放すものの、最後には少し食糧を分けてやることになっています。
 万治二年の『伊曾保物語』では、「 いやしき餌食を求て、何にかはし給ふべきとて、あなに入ぬ」となっており、また明治期の『伊蘇普物語』でも、蟻は「永の夏中踏歌(まいうた)ひて、徒(いたずら)に日を消(おく)りしものは、冬になりては飢(うう)べきはづなり。我は知らず」と素気なく、原作に近い筋書きになっています。現代の童話では教育的配慮から、食糧を分けてやる優しい蟻になっていることがありますが、賛否両論があることでしょう。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『イソップの寓話』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。