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『自助論』(西国立志編)高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2021-11-02 19:38:00 | 私の授業
西国立志編(自助論)


英語原文
"Heaven helps those who help themselves," is a well-tried maxim, embodying in a small compass the results of vast human experience. The spirit of self-help is the root of all genuine growth in the individual; and, exhibited in the lives of many, it constitutes the true source of national vigor and strength. Help from without is often enfeebling in its effects, but help from within invariably invigorates. Whatever is done for men or classes, to a certain extent takes away the stimulus and necessity of doing for themselves; and where men are subjected to over-guidance and over-government, the inevitable tendency is to render them comparatively helpless.

日本語原文
 天は自ら助くるものを助くと云へる諺(ことわざ)は、 確然経験したる格言なり。僅(わずか)に一句の中に、歴(あまね)く人事成敗の実験を包蔵せり。自ら助くと云ことは、能(よ)く自主自立して、他人の力に倚(よら)ざることなり。自ら助くるの精神は、凡(およ)そ人たるものゝ才智の由(より)て生ずるところの根原なり。推(おし)てこれを言へば、自ら助くる人民多ければ、その邦国、必ず元気充実し、精神強盛なることなり。他人より助けを受て成就せるものは、その後、必ず衰ふることあり。しかるに、内、自ら助けて為(なす)ところの事は、必ず生長して、禦(ふせぐ)べからざるの勢あり。蓋(けだ)し我、もし他人の為に助けを多く為(な)さんには、必ずその人をして、自己励(はげ)み勉(つと)むるの心を減ぜしむることなり。是故(このゆえ)に師伝の過厳なるものは、その子弟の自立の志を妨ぐることにして、政法の群下を圧抑(あつよく)するものは、人民をして扶助を失ひ、勢力に乏(とぼし)からしむることなり。

現代語訳
 「天は自ら助ける者を助ける」という諺(ことわざ)は、確かな裏付けのある(原著者註「シカトタメシココロミ」られた、しっかりと試みられた)格言である。短い一句の中に、人の行いの実験(原著者註「タメシ」)がこめられている。「自ら助ける」ということは、自分の意志により自分の力で立ち、他人の力に依存しないことである。自助の精神とは、総じて人の才能や知恵を生み出す根原である。さらに言えば、自主自立する人民が多ければ、その国には必ず覇気(はき)が充満し、精神が頗(すこぶ)る盛んとなる。
 他人から助けられて成し遂げることは、いずれ必ず衰えるものである。しかし自分の努力により行うことには、必ず自ずと発展成長し、抑えることのできない勢いがある。思うに、もし私が誰かを助け過ぎたりすれば、必ずやその人の自分で努力しようという意志を、弱めてしまうことになる。それ故に、師が子弟に対して過剰に指導すること(原著者註「カシヅキノキビシスギル」)は、反(かえ)ってその子弟の自立しようという志を妨げることになる。また政治や法律が人々を抑圧すると、人々は扶(たす)けを失い、自助自立の勢いを失わせることになる。

解説  
 『自助論(じじよろん)』は、もともとは一八五九年にイギリス人のサミュエル・スマイルズが著した『Self-Help』という書物の日本語名で、それを啓蒙思想家である中村正直(まさなお)(1832~1891)が訳述し、明治四年(1871)に『西国立志編(さいごくりつしへん)』と題して出版しました。内容は、自助の精神、新機器を発明創造する人、勤勉と忍耐、機会、学術の勉修、芸業の勉修、貴爵の家を起こす人、剛毅、職事を務める人、金銭の使い方、自ら修養すること、儀範(従うべき模範)、品行など多くの項目を掲げて論じ、その主題にそった個人の逸話をたくさん並べています。
 例えば、「瓦徳(ワツト)」の蒸気機関作製、「牛董(ニユートン)」が語った学問の工夫、「哥倫布(コロンブス)」が漂う海藻を見て陸地が近いことを知ったこと、「弗蘭克林(フランクリン)」の電気の実験、「発拉第(ファラデー)」が化学に志したこと、「倫賓斯敦(リビングストン)」(律賓斯敦)のアフリカ探検などは、世界史の逸話としてよく知られています。その他にも「阿克来(アークライト)」「士提反孫(スチブンソン)」「必答臥拉斯(ピタゴラス)」「日納爾(ジェンナー)」「話聖東(ワシントン)」「舌克斯畢(シェークスピア)」など、政治家・学者・軍人から職人に至るまで、多くの努力家・成功者たちの逸話が集成されています。
 また彼等の苦心談に交えて、多くの教訓が散りばめられています。例えば、「貧苦禍難は人の善師」、「金を借ることの危きこと」、「誘惑に抵抗すべきこと」、「心志あれば必ず便宜あり」、「苦労なければ希望なし」、「智識は失敗より学ぶ」など、少し説教臭くはありますが、時代を問わず万人に受け容れられる訓戒が、具体的な例を交えて語られています。
 また訳述の目的について、序文には次のように記されています。「就中(なかんずく)最要の教に曰く。『人たるものは、その品行を高尚にすべし。然(しから)ざれば、才能ありと雖ども、観(み)るに足らず。世間の利運を得るとも貴(とうと)ぶに足(た)ることなし』。我これ等の教を、世の少年に暁(さとさ)んと志ざし、この書を作れり」と。彼は熱心なキリスト教徒であり、その主張は信仰的倫理観に裏付けられています。
 中村正直は、幕臣の子として江戸で生まれました。そして『解体新書』訳述に関わった桂川甫周(ほしゆう)からは蘭学を、幕府の昌平坂(しようへいざか)学問所では儒学を学びました。また勝海舟から英華辞典を借りて筆写し、英語も自ら学んでいたことから、イギリス留学を志願し、慶応二年(1866)、幕府が英国に派遣する留学生の監督として同行します。しかし明治元年(1868)、幕府崩壊に伴い帰国せざるを得ませんでした。そして帰国に際し、イギリス人の友人「弗理蘭徳(フリーランド)」から餞別として『Self-Help』を贈られ、帰国する船中でこれを読み、「自助の精神」に大層感動します。自分を留学させてくれた幕府の崩壊に失望して帰国する船上で、幕臣であった彼自身が、この本によりどれ程か希望を見出したことでしょう。その自己体験が、翻訳出版の原動力の一つになるのです。正直はそれを贈られたことが、余程に印象に残ったのでしょう。日本で改訂・改版を重ねても、正直が贈られた原本の巻首扉に、「Professor Nakamura」に贈ることを英文で書いた友人の筆跡模写が、必ずそのまま掲載されています。
 その翻訳には多くの困難がありました。原文を大幅に省略したり、かなり意訳していますが、それは英語原文と比較すると、よくわかります。また既にヘボンが出版した『和英語林集成』という辞書はあったものの、学術語や抽象的概念については、英語に対応する日本語がまだ十分ではありません。また日本にまだない制度については訳しようがなく、school一つでも、「郷塾・郷学・学院・学校」などと、様々に訳しています。またgentlemanを「真正之君子」と訳していて、その苦心の程がうかがえますから、その他の苦心や工夫も、推して察しがつくでしょう。
 『西国立志編』は時代の潮流に乗り、明治期を通して百万部も売れました。ベストセラーというよりは、ロングセラーと言った方がよいかも知れません。同じ頃に出版された『学問のすゝめ』は三百万部売れたということです。しかしそれぞれが薄い小冊子ですから、分厚い『西国立志編』はそれに匹敵するものです。大正時代に活躍した政治学者の吉野作造は、「福沢が明治の青年に智の世界を見せたと云ひ得るなら、敬宇(けいう)(正直の号)は正に徳の世界を見せたもの」(『日本文学大事典』「西国立志編」の項)と評価しています。 
 ここに載せたのは『西国立志編』の冒頭部で、ここで説かれている自助の精神は、全体を一貫している理念です。「天は自ら助くる者を助く」という、いかにも漢籍由来でありそうな諺がありますが、原著者の序文にある「Heaven helps those who help themselves」を、彼が和訳したものなのです。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『西国立志編』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。