うたことば歳時記

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夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く

2019-09-01 09:47:49 | 短歌
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く

 百人一首に収められている有名な秋の夕暮の歌ですね。意味は、「夕方になると、秋風が家の前の田の稲の葉にそよそよと吹いて来て、芦で葺いた小屋にも吹いて来ることだ」というもので、大変にわかりやすく、私がわざわざ解説するほどのこともなさそうです。なんて書いてしまうと、もうそこで終わってしまうので、思い付くままに書き散らしてみましょう。

 この歌には「師賢(もろかた)朝臣の梅津に人々まかりて、田家ノ秋風といへることをよめる」という詞書きが添えられています。梅津というのは京都の桂川の東岸一帯で、「梅津」は京都に住んでいない私にとっては、かつて「梅小路蒸気機関車館」があった辺りとして印象に残っています。因みに現在は京都鉄道博物館になっているそうです。梅津から嵐山・小倉山辺りは、貴族の別荘があった所で、一日掛かりで遊びに行くにはちょうどよい距離だったのでしょう。「芦の丸屋」などと謙遜していますが、貴族の別荘ですから、それなりの建物ではあったことでしょう。

 「夕されば」という言葉は「夕方が来ると」と高校時代に習い、「来るというのになぜ去るというのか」と、よくわからなかった記憶があります。「去る者は追わず、来る者は拒まず」はどういうことになるのだと、先生につっかかった思い出もあります。

 辞書によれば、「さる」とは本来は移動することや進行することを表すと記されています。それでこの場合の「夕されば」は「夕方になったので」という意味なのですが、「来る」という意味で使われるのは、時間や季節に限られているようです。それ以外に「さる」が「来る」の意味で使われている例を、私は見たことがありません。そういうわけで、「夕されば」という言葉は、事実上は慣用句となっていると理解した方がよさそうです。「夕されば」という句から始まる有名な歌をいくつか上げておきましょう。
①夕されば野辺の秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里       藤原俊成が秀
②夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝(い)ねにけらしも   舒明天皇
③夕されば野にも山にも立つけぶりなげきよりこそ燃えまさりけれ   菅原道真

 「門田」とは門の前に広がる田のことで、日本史の授業では、農村経営をする武士の館の前にある田で、在地の有力者である武士に隷属していた農民が耕した直営田であると習いました。それで中世の言葉とばかり思っていましたが、『万葉集』にも例があるので、古い言葉のようです。門田の他に、「前田」も同じような意味ですね。どちらもよく見かける苗字ですが、もともと在地領主の名田があったところが門田・前田と呼ばれ、それが名字として地名になり、そこに居住した人がその名字を自分の苗字として名乗ったことから、現在も苗字・姓として伝えられているわけです。

 「おとづる」は「訪る」という意味ですが、本来は「音づる」と書くべきもので、「音をさせてやって来る」いう意味です。秋風は稲葉や荻の葉をそよがせて、葉擦れの音をさせながら吹いてくるという理解が共有されていて、古歌では秋風を「おとづる」と詠む暗黙の約束事がありました。解説書の中には「「おとづれて」は「訪れる」と誤解される」という記述がありましたが、誤解ではありません。おとをさせながら訪れると言う理解が正解です。現代人は擬人的な理解をしませんが、古歌の世界では秋風を擬人的に理解することがしばしばあります。

 水田が近いので、周辺には芦や荻が繁っていたことでしょう。荻・薄(すすき)・芦・稲などのイネ科の植物は、硅酸物質を含んでいるため、微かな風でもサワサワと葉擦れの音をさせます。ですから秋の到来を葉擦れの音として聞き取ることが出来るのです。秋を秋風の音で知ることを詠んだ歌がよく知られていますが、風自体の音ではなく、実際には葉擦れの音なのです。

 「芦葺きの粗末な小屋」と説明されることが多いのですが、芦や薄は萱葺き屋根の材料ですから、当時としては萱葺きの家が粗末な家とは限りません。板葺きがまだ珍しかった頃は、萱葺きは普通のことでした。芦葺きというので粗末な印象を受けるのでしょうが、萱葺きの萱とは芦や薄や荻など、屋根を葺く材料の総称です。萱という固有の植物があるわけではありません。

 秋の夕暮れの風景を詠んだ歌には、なかなか優れた歌が多いものです。「・・・・・夕暮れ」というように、結句が「秋の夕暮」となっている歌がいくつも知られています。『枕草子』に「春はあけぼの・・・・秋は夕ぐれ」という冒頭部があまりにも有名なので、その影響もあるでしょうが、四神思想では、春は東、夏は南、秋は西、冬は北に配されていまいから、当時の人にとっては、秋と言えば自然に西を思い起こすものでした。これは当時の人にとってはもう理屈ではなく、しみじみと秋を実感するのは、一日の中でも夕暮れの時間帯だったのです。

 もちろん現代ならば、朝日に秋を感じ取ることもあるでしょうし、その方が個性的であると高く評価されるでしょう。しかし古歌の世界では個性的な感覚は高く評価されません。共有される美意識の中で、如何に詠むかが問われるものでした。現代では共有される美意識ではなく、個性的な美意識が問われますから、如何に詠むかより、何を詠むかということの方がはるかに重要なのでしょう。現代短歌の歌人に「田家ノ秋風」という題詠をしてもらうと、どのように詠むのでしょうか。全く歌の雰囲気は異なるでしょう。もしこの歌が現代の題詠に応募されたとしたら、審査員は一顧だにしないことでしょう。そう考えると、和歌と現代短歌は、形式だけは同じでも、全く異なる文芸であると思います。

 思い付くままに構想もなく書き散らしているので、話が脱線してしまって済みません。