うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

茶摘み

2015-07-24 21:42:29 | 唱歌
茶摘み

5月上旬の立夏が近くなる頃、必ず耳にしたり話題になるのがこの歌である。登場したのは明治45年の『尋常小学唱歌 第三学年用』がかなり古いにもかかわらず、平成19年に「日本の歌百選」に選ばれる程、現在でも親しまれている。

  1、夏も近づく八十八夜  野にも山にも若葉が茂る
   「あれに見えるは茶摘みぢやないか  あかねだすきに菅の笠」

  2、日和つづきの今日このごろを  心のどかに摘みつつ歌ふ
   「摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ  摘まにゃ日本の茶にならぬ」

 実にわかりやすい歌詞である。「八十八夜」とは、立春から起算して八十八日目にあたる日のことで、新暦では5月2日頃である。新緑が美しく爽やかな晴天が続き、まさに「日和つづきの今日このごろ」というのに相応しい。さらに「あかねだすきに菅の笠」とくれば、それが新茶の緑色に映えているのであろう。この歌の美しさは、まずその色彩にあると言えよう。
 ところで茶摘みの歌に、なぜ突然のように「八十八夜」なのであろうか。立夏は5月5日か6日頃であるから、すぐにでも夏なのであるが、所によっては「八十八夜の別れ霜」と言われ、その年最後の霜が降りることがある。茶はインドで盛んに栽培されていることでもわかるように、寒さには弱い作物である。茶畑には電信柱の上に扇風機を取り付けたような霜よけ防霜ファンがある。夜間は地表に近いほうが気温が低く、数mでも上の方が気温が高い。そこで晴れて風のない夜は茶畑の空気を扇風機で攪拌し、霜が降りないようにするのである。人は涼むために扇風機を使うが、茶畑では温めるために扇風機を使っている。
 今でこそこのような防霜ファンがあるが、明治期にはあるはずがない。そこで、八十八夜の別れ霜があってもおかしくない頃、無事に茶摘みまで漕ぎ着けられたことが、栽培農家にとっては大きな喜びなのである。体験のない人にとっては実感が湧かないであろうが、「八十八夜」という言葉には、収穫の喜びが隠されているのである。この歌を歌い、また鑑賞する際には、是非とも触れてほしいものである。
 「日本の茶」という表現があるが、江戸末期以来、茶は日本の重要輸出品であった。紅茶も生産されていたが、ほとんどは緑茶で、おもにアメリカに輸出されていた。明治期には年間2万トンも輸出されていた。しかし着色した粗悪な茶がかなり混じっていて、アメリカでは輸入禁止の法律が定められることもあった。そしてインドのアッサム地方の上質な茶が輸出を伸ばすようになり、日本の茶は急速に輸出量が減ってゆくのである。この歌ができた明治末期は、まだまだ輸出量が多かった時期である。既にそのころから粗悪な茶が問題にはなっていたが、中には「これぞ日本の茶ぞ」と、誇りと良心をもって栽培していた農家もあったはずである。「日本の茶」という言葉の背景には、そのような事情もあったのである。