一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【118】

2012-02-18 11:33:59 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【118】
Kitazawa, Masakuni  

 今年は寒い。例年なら1月下旬に咲きはじめる梅が、ようやくほころび、またいつもなら山茶花の花が終わる頃咲く椿もまだである。わが家の小梅もちらほらと枯れた風景に白い彩りを添えはじめた。

ヴェトナム・ブーム  

 いまヴェトナム・ブームだという。ハノイや古都フエやホー・チミン市(旧名サイゴン)には日本人の観光客が溢れ、TVにヴェトナムの光景が登場しない日はないほどだ。東南アジア諸国のなかでもっとも遅く「開国」した国、またそれだけ東南アジアの古き良き面影が残っている地域として愛されているのであろう。  

 われわれの世代には、あの苛烈なヴェトナム戦争と、日本国内でも高まったヴェトナム反戦運動の記憶が強烈に焼きつけられ、「ウィ・シャル・オーヴァーカム」やジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」の歌声が耳の底によみがえるのだが、30年以上も経ったいま、若い世代にはそれは遠い歴史でしかない。  

 わが国とヴェトナムの関係は、かつてはひじょうに深いものであった。徳川の鎖国までは、タイやインドネシアとならんでヴェトナムは、東南アジア貿易の重要な相手国であったし、古い港町には居留民のための日本人街があり、多くの日本の千石船が出入りしていた。さらにさかのぼれば古代、ヴェトナムは日本、韓国とならぶ中国文明圏の最大の受益国として多くの文化や思考体系を共有していた。他の東南アジアの国々は、中国の影響も受けたが、主たるものはインド文明であって、たとえば仏教でも東南アジアの多くはテラヴァーダ(南系の意、小乗[小さな乗り物]は蔑称である)であるのに、ヴェトナムだけは中国経由のマハーヤーナ(大乗)である(ただし中世のチャンパ王国時代には、チャンパ朝そのものが少数民族であったがためにインド文明の影響はかなり強かった。昔植民地時代ヴェトナムを含めこの地域全体がインドシナとよばれたのも故なしとしない)。  

 またローマ字を国字とする半世紀まえまでは、漢字が使われていた。そもそも国名ヴェトナム(Vietnam)は越南、またハノイは河内、ハイフォンは海防、ホー・チミンは胡志明、トンキン湾は東京湾である。またヴェトナム語の単語の多くは日本や韓国と同じく中国語からの借用であり、たとえば日本語の「注意」を「リューイ」(中国語の四声に対してヴェトナム語は六声であり発音はむずかしい)というが、それは「留意」という漢字に由来する。  

 日本雅楽──中国・韓国・ヴェトナムの雅楽は儒教の儀礼音楽であり、金石鐘磬之楽と称されたように石と金属の打楽器が主体であるが、日本雅楽は唐の舞楽であり、糸竹管弦之楽と称されたように笛類と弦楽器が主体である──には林邑楽(りんゆうがく)すなわちヴェトナム音楽というジャンルがあり、唐の宮廷を通じてではあるが、ヴェトナム音楽が流入していたのだ。その一つ、有名な『陵王』(移調されたとき、その調に応じて『蘭稜王』や『羅陵王』などと呼ばれる)では、龍の面にりょうとう装束の舞人が勇ましく舞う。それは優男のため敵に侮られていた陵王が、龍の仮面を着けたところ破竹の勢いで連戦連勝したというヴェトナムの故事を表現している。龍はヴェトナムでも水の神・河の神であり、この舞は同時に稲作の豊饒を願うものでもある。

グエン・ティエン・ダオ氏  

 中国文明の影響下にあったといっても、わが国や韓国同様、ヴェトナムもそれを巧みに固有の文化と結びつけ、あるいは変換してきわめて魅力的な独自の文化を創りだしている。

 いうまでもなく土着の文化や芸術は大切に継承され、たとえばわが国のTVでもよく登場する水上人形芝居やその音楽など、農村に行けばいまなおそれら生き生きとした諸芸能をみることができるが、これら民俗音楽や宮廷音楽の伝統を踏まえながら、それを世界的な現代音楽に変換させて表現し、アジアの代表的な作曲家として欧米で認められているひとがいる。それがグエン・ティエン・ダオ(Nguyen Thien Dao)氏である(ヴェトナム語ではグなどの音は日本語よりも強い鼻音となる。またグエン[阮]王朝時代、ある王がグエン姓を庶民にも名乗ることを許したためグエン姓がやたらに多く、個人を区別するため最後の名を呼ぶ習慣となっている。したがってグエン氏ではなくダオ氏である)。

 この秋、ダオ氏は知と文明のフォーラムの招きで来日し、9月29日(土曜日)代々木オリンピック・センター小ホールでコンサートを開催することとなった。いずれ詳細はこのフォーラムのブログに掲載されるが、東日本大震災を悼む世界初演の新曲を書くなど、ダオ氏もきわめて強い意欲で日本でのデビューを待ち望んでいる(彼の作品自体は上野信一さんの打楽器アンサンブルPHONIXなどですでに演奏されているが)。もうひとりのアジアの代表的作曲家である西村朗氏との対談もコンサートで予定されている。またロビーでは写真家高島史於氏のヴェトナム写真展も催される。

 この秋の「ヴェトナム週間」の催しなどとともに、ぜひわれわれの会場に足をお運びください。ヴェトナム文化や芸術の神髄を味わうことができると思います。