一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

おいしい本が読みたい●第十一話

2009-08-30 20:45:14 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十一話   
                   バナナは世界をつなぐ  

 中南米のバナナのいかにもラテン系らしい開的な甘さもすてがたいのだが、バランゴンバナナときたら、ほのかな渋みがあるぶん、甘味がくぐもっていて、すこぶるつきに美味い。バランゴンの主な産地はフィリピンのネグロス島、すなわち、第二次大戦の激戦地レイテ、ミンダナオに程近い。先日も、ある新聞に「ネグロス島で従軍…」という回想記があったから、かの世代には忘れがたい土地名のひとつだろうと思う。  

 さて、そのバランゴンバナナを週一回、他の農作物といっしょに配達してもらうようになって十年ほどになるが、バナナのはいった透明のビニール袋に一枚のニューズレターが添えられてくる。縦二十センチ横十二、三センチほどの紙の裏側に、三十行弱の文章と小さな写真が一葉、たいてい二つ折りになって入っているから目に触れにくいが、今週で175号をかぞえる。  

 記事の内容はとり立ててどうってことはない。バナナ栽培・収穫にまつわる苦労、収益金からふくらむ夢といった、おそらくどこの農村、山村にもついてまわる類の日常の話である。そんな「山岳地帯に暮らす先住民であり零細農民」のいわば世間話が、一枚の小さな紙片に、肩をすぼめるように載っている。  

 貧しい彼らの世間話はとても似かよう。けれども、不遇を語る表情はそれぞれに異なり、遠目には同じような苦労が、語る人の表情につれて微妙に陰影を変えてゆく。同じように裏山のバナナの葉が台風にやられたとしても、気力にあふれたラシガンさんと、エネルギー不足のデマイシップさんとでは、不幸の破壊力が決定的に違う。  

 手なずけがたい自然を相手に作物をそだてる、海の彼方のこうした労苦がわたしの体に響いたとすれば、それは、まさしく紙切れ一枚の、ただし十年近い歳月の、威力ではないか。週間新聞の連載小説を読んでいるようなものだ。旅行記やガイドブックではけしてこの醍醐味はあじわえない。  

 バランゴンのくぐもった甘味には、もうひとつの醍醐味までついてきたというわけだ。そればかりか、フェアトレードには当然のことながら、生産者への正当な還元もある。たとえば、今週号に載ってる初代バナナ出荷担当者はこう記す。  

 「こうした困難に屈せずに出荷を続けられたのは、ネグロスの人達の自立というバランゴン事業が目指す目標があったからです。生産者の子供たちが学校に行けるようになったり、台風で壊れた家が修理できたりと、具体的に人々の暮らしが良くなっていくのを実感できたからです」  

 このネグロス島とつながるのだから、わたしの食いしん坊のバナナ好きも、まんざら捨てたもんじゃない。                                             

むさしまる