一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【52】

2009-01-02 22:00:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【52】
Kitazawa,Masakuni  

 元日の朝、少なくとも伊豆は晴れて穏やかな陽射し、海上に波もなく、さすが航行する船舶もなく、漁船の影もない。 

 窓ガラスにリボンを垂らすようになってから、鳥の衝突事故はなくなっていたのだが、今朝大きな音を立ててコジュケイがぶつかった。歩行性の鳥なので逆に窓の上方のリボンに気づかなかったらしい。気功しようと急いで芝生に降りると、慌てて逃げていった。どこか木陰にいたらしいが、けたたましい声にカミさんが窓を開けると、ネコに襲われる瞬間で、彼女の叫びにネコが逃げると同時にコジュケイも反対方向に逃げ去った。庭を探したがどこにもいない。無事森に逃れたらしい。

ポスト・グローバリズムの世界へ 

 イスラエル軍によるガザ地区への容赦ない空爆(民主主義を説きながら民主的に選ばれたハマスを否認した欧米に究極の責任がある)に、増大する幼児を含む犠牲者の数、大企業による容赦ない「派遣切り」に、公園のベンチや路面に寝泊りし、あてのない職探しをするひとびとの群れ、2009年は心も凍るような光景からはじまっている。 

 それが新しい世界誕生まえの苦しみであるならいいが、グローバリズムを展開してきた古い世界の、終ろうとして終らない終焉の苦しみにしかみえないところに、大きな苦痛がある。かつてドイツ・ロマン主義者たちが名づけた「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」の時代がふたたびやってきたのだ。 

 新しい世界、つまりポスト・グローバリズムの世界を考えるためにも、グローバリズムの根本的な分析とその誤りの剔抉が必要であるが、いまここでは、経済危機というよりもほとんど世界恐慌といっていい現在の状況のよってきたるところを考えてみよう。

グローバリズム崩壊の原因 

 グローバリズム崩壊の根本原因は、ソ連解体後の唯一の超大国であったアメリカ合衆国の、政治・軍事的および経済的世界制覇それ自体に内在する矛盾にある。 

 たびたび繰り返してきたように、レーガン政権以来、合衆国は政治・軍事的には新保守主義、経済的には新自由主義という双子一体のイデオロギーに支配されてきた(民主党のクリントン政権でさえも、新自由主義的経済政策は継承していた)。この双子一体のイデオロギーとは、「自由と民主主義」そして「自由市場経済」を世界に広げることによって、世界の秩序と安定が保証され、個々の民族や文化の「歴史の終焉」がもたらされる、もしこの「世界の進歩」を妨げるものがあれば、軍事力をもってしても排除しよう、というものである。 

 内在する矛盾の第一は、その「自由と民主主義」は西欧的価値観にもとづくものにすぎず、それぞれの種族や文化に固有の自由や民主主義は無視される、いいかえれば、西欧的または近代的自由や民主主義の一方的な強制にほかならない点にある。9・11はそれに対する最初ではないにしても、最大の暴力的返答であった。 

 矛盾の第二は、経済的規制緩和や市場万能は、利潤最優先の資本主義の論理からして必ず最大利潤を求める金融工学を生み、市場を最大限に投機化する点にある。情報技術の進展によって瞬時に移動可能となった巨大な流動資金は、投機先を求めて世界を駆けめぐる。1993年のメキシコ経済危機、97年のアジア通貨危機は、いわゆる第三世界に利潤を求め、それがえられないと瞬時に引き揚げられるこの巨大流動資金のなせる業である。 

 第一の矛盾はアフガンとイラクの泥沼化した戦乱を生み、またその膨大な戦費がアメリカ経済を脆弱なものとした。第二の矛盾は80年代末の日本の不動産バブルを生み、それを崩壊させ、また2000年代アメリカの住宅バブルを生み、そして今回世界恐慌の引き鉄となるその破綻を導きだした。バブル破裂後のゼロ金利・円安の日本から膨大な資金を借り、ドルに投資するいわゆる円キャリー取引、さらには自己資金の数十倍にも昇る資金を借り、投機するレヴァレッジ(梃子作用)投資など、日本のゼロ金利政策がこのカジノ(賭博場)資本主義の狂乱に大いに利用されたことは記憶に新しい。 

 そのうえわが国は、高度成長期以来の「輸出立国」体制が災いし、金融機関の打撃は小さかったにもかかわらず、また皮肉にもそのために起こった急激な円買い・円高にも災いされ、輸出産業を中心とする実体経済が大打撃を受けることとなった。小泉改革による労働の規制緩和のお蔭で、全労働者数の30パーセントを占めるにいたった非正規雇用労働者が真っ先に契約解除され、文字どおり路頭に迷うこととなったのだ。 

 いつの時代にも、矛盾や破綻のしわ寄せは社会的弱者に襲いかかる。

ポスト・グローバリズムの構想 

 こうした状況と世界の根本的な変革は、まず近代の思考体系、とりわけ経済合理主義からの人間の解放からはじまる。グローバリズムの資源収奪によって危機にさらされている自然や環境の復権が、生態系や生物多様性の回復にほかならないように、かつて人間は、その自然環境と不可分の文化の多様性にもとづいてそれぞれの豊かさを享受してきた。近代合理主義からの解放は、そうした生活や各自の思考体系の復権である。 

 そのために必要なことは、グローバリズムを推進してきた経済権力の国際的規制、各国の産業構造の根本的転換、また個人のレベルでは、とめどもなく肥大した欲望からの解放として、生活スタイルやフィロソフィーのこれも根本的転換にほかならない。 

 まずこれもすでに述べたが、世界貿易機構・国際通貨基金・世界銀行などグローバリズムの進展に協力してきた国際諸機構を変革し、経済権力の国際的規制とフェア・トレード推進、国際的経済格差の是正のための機構に再編しなくてはならない。 

 次に各国の条件に対応した産業構造の変革であるが、わが国のためには以下の変革が必要である:

 第1次産業の根本的再編:ハイテクを利用した自然エネルギー開発、有機農法など循環的で持続可能な農林漁業の再開発による村落コミュニティの再建、それによる雇用の創出。 

 第2次産業の根本的再編:「輸出立国」体制の解体と、それに対応した産業の縮小、それに代わる新エネルギー・新素材開発や、上記第1次産業再開発および下記第5次産業に必要なエコ・ソリューション産業の創出。 

 第3次産業の再編:長距離輸送型や大型店中心などの消費体系の転換、地産地消・地場産業・地場専門店中心型の消費体系の創出、いいかえれば量から質への消費生活の転換。 

 第4次産業としての情報・教育・文化・芸術産業および活動の大規模な育成。 

 第5次産業としてのリサイクル・自然復興産業および事業の大規模な育成。

 地域の条件に応じたそれぞれの産業の再編が必然的に国内の自由で公正なトレードを生みだす。国際貿易もまったく同じであろう。 

 人間の生き方の変革、いいかえれば生活スタイルやフィロソフィーの変革は、また別の機会に論ずべきであるが、このグローバリズムの崩壊による世界恐慌は、いやおうなしに各自に生活様式の変革を迫っている。たんに倹約や質素に徹するというのではなく、「真の豊さとはなにか」を根本的に問いなおす絶好の機会というべきであろう。