まてぃの徒然映画+雑記

中華系アジア映画が好きで、映画の感想メインです。
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カティンの森 KATYN

2010-01-11 13:06:58 | その他の映画(あ~な行)

第二次世界大戦、ポーランドはナチスドイツとソ連の双方から侵攻された。旧都クラクフでナチの侵攻から逃げてきた人たちは、ソ連の侵攻から逃げてきた人たちと出くわす。ソ連はポーランド軍の将校たちを集めて移送する。行かないで、とお願いする妻アンナに「軍人の務めだから」と脱走を拒否するアンジェイ大尉は、軍用列車でソ連領に移送される。収容先ではある程度の自由があり、生きて帰る望みを抱いていたが、ある日名前を呼ばれた人たちが別の場所へ移送されていく。

ナチスドイツに占領されたクラクフでは、大学教授たちがナチの収容所に連れて行かれる。教授、そしてアンジェイの帰りを待つ教授の老妻とアンナだったが、ナチスドイツの東進でソ連領カティンまでナチスドイツが侵攻することになる。そこで暴かれたソ連の犯罪、それはカティンの森虐殺事件だった。ドイツ軍の調査で犠牲者の名前が判明するたびにクラクフの新聞に名前が載る。アンナは毎日それを見ては、アンジェイの無事を祈るのだった。

ナチスドイツは犠牲者の肉親に、カティンでの調査の様子を撮ったビデオを見させてソ連の戦争犯罪に対抗するナチスドイツを支持させようとするが、ナチスの要請を拒否する気高いポーランドの大将婦人。教授の老妻の元には、教授が収容所で心臓発作で死亡したという連絡が入る。

再びソ連がカティンを取り戻し、今度はソ連の調査でナチスドイツの虐殺だという宣伝を始める。そしてナチスドイツが敗れて第二次世界大戦は終わり、ポーランドは共産圏になる。誰もがカティンの森虐殺事件はソ連の犯罪だと知っていながら、表には出せない日々。ある日、アンジェイのポーランド軍同僚だったイェジがアンナを訪ね、アンジェイが自分のセーターを着ていたことを知らせる。新聞に載っていたイェジの死亡記事は、アンジェイのものだったのだ。

仇をソ連と知っていながら、なにもなかったふりをして共産党のポーランド軍に所属するイェジは、板ばさみの心をもてあまして、アンジェイの遺品を遺族に渡すようにカティンの発掘調査をした教授に依頼してピストル自殺する。

その後も、自分の父親がカティンでソ連軍に殺されたと履歴書に書いて芸術大学を受け、矯正が必要と言われる若者や、自分の兄の墓碑にカティンがソ連領の1940年に死んだと記銘して墓碑を壊される女性など、カティンの森虐殺事件が社会主義ポーランドの中で「ソ連がやったと誰もが知っているけれど口にしてはならず、ナチスドイツがやったことになっている事件」とされていた。

そして最後には、実際にカティンでどのように虐殺が行われたかが克明に描かれている。将校の中でも偉い人は建物の中で、アンジェイのような尉官クラスはトラックからおろされたらそのまま、森の中の重機で掘った穴の前で、流れ作業のように後頭部から射殺されていく。荷物を放るようにトラックから上官クラスの死体を穴に放り投げるソ連兵たち。処刑が終わるとブルドーザーが穴を埋めていく。。。


すべてはスターリンの命令だったようだけど、やるせない思いに胸が苦しくなる。共産党からの命令で、機械的に射殺していたソ連兵たちはどんな気持ちだったのだろう。血まみれの床をバケツの水で流す役目の兵とか。

そして、戦争で待つのはいつも女性たち。『さよなら。いつかわかること』のように最近では女性兵士も珍しくなくなったけど、やはり銃後の守りは女性というイメージがありますね。ドイツとソ連にはさまれたポーランドの地政学的な意味もまた、このような悲劇を生み出した一因なのだろうけど、他の旧社会主義の東欧諸国と同じく大地の場所は選べないし、そこが祖国なのだけど、運命というにはあまりにも酷すぎる。

東欧の民主化で『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』でハンガリー動乱が描かれたように、これからも旧共産圏の隠された事件が暴かれていくのでしょうか。

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