永年仲睦まじく暮らしてきたのに、別に憎かった訳でもない、ただ介護の疲れが人を狂わせてしまったのだろうか!あまりにも悲しい結末が多くなっている。
人生の勝ち組み、負け組みと言われる事がある。有名大学に入れた、有名企業に就職できた。
地位も名誉も得て人生の成功者と呼ばれるようになった、これらを外れると負け組になるのだろうか、でも勝ち組と呼ばれても晩年に認知症を発症すれば最悪の悲惨な最後となる。
人の勝ち負けは、人生の終末に判定を下されるのではないだろうか!
姫路・認知症妻殺人事件
男性は夜中にわめきちらす認知症の妻(当時71歳)を1人で介護していた。1~2ヶ月前からあまり眠っていないようで、つらそうだった。近所から「うるさい」と苦情も来ていた。
2011年9月 妻が認知症と診断される。
妻は症状が次第に悪化し、「ご飯を準備せえ」などと男性を怒鳴った。それでも男性は懸命に介護した。自分が面倒を見ると言い張り施設入所を断った。
夜に眠らなくなった妻をなだめようと、男性は毎晩、ドライブや散歩に連れ出した。
2012年6月頃、疲労の色が濃くなっていく男性に、ケアマネの女性は施設入所を説き伏せた。
しかし、肝心の施設が見つからない。ケアマネの女性は担当する約30の介護家族への対応も追われながら、女性は施設を探したが、妻の症状を説明すると決まって断られた。
それでも女性は妻がショートステイ(短期入所)できる施設を探した。
6月13日と7月下旬にそれぞれ別の施設が1泊させてくれたが、どちらも2度目は嫌がった。夜に大声をあげ、早朝から動き回る妻に職員が音を上げたのだ。
2012年8月中旬の午前2時過ぎに、兵庫県姫路市の男性(78)は認知症の妻(当時71歳)を助手席に乗せ、行くあてもなく車を走らせた。
寝不足のために頭がぼうっとしていた。ハンドルを握りながら、暗闇に浮かび上がる姫路城を眺めたり、姫路港の先に広がる漆黒の海を見つめたりした。
妻は目をつむって、うとうとしている。しんどくなってしばらく路肩に停車していると、「走れ」「何しとんねん」。再びアクセルを踏んだ。
深夜のドライブは一ヶ月以上前から毎日のように続いていた。認知症で人が変わってしまった妻が毎晩、「どっか連れて行け!」と大声でわめくからだ。自宅に戻るのはいつも空が白みかけた頃だった。
8月22日も午前0時ごろに妻は起きた。ドライブは求めなかったが、意味がわからない言葉で男性をののしり続けた。「お前みたいなもんは帰れ」午前2時ごろだった。
熱帯夜なので、ベッドに横たわる妻の首に保冷剤を包んだタオルを巻いていた。男性はそれをつかんで引っ張った。涙が頬を伝うのを感じながら力強く締めた。
午前8時半、デイサービスの迎えに訪れた施設職員が異変を感じた。
駆けつけた息子が遺体を見つけた。男性も近くに倒れていた。睡眠薬数十錠を酒と一緒に飲み込んでいたが助かった。
翌日に退院し、殺人容疑で逮捕された。手錠をかけられてようやく、47年も連れ添った妻の死、そして自分が手をかけた現実を認識した。
神戸地裁姫路市部は13年2月、男性に懲役3年、保護観察付きの執行猶予5年(求刑・懲役5年)を言い渡した。
判決は介護疲れが事件の引き金だと指摘した。「妻が深夜から早朝にかけてほとんど寝付かない日が続く中、妻を車で連れ出すなど献身的な介護を続けた。身体的、精神的疲労は相当多大に蓄積されていた。
男性は今、妻を殺害した家に一人で暮らす。結婚時から妻と並んで寝たダブルベッド、壁に何枚も貼った妻との旅行写真もそのままだ。この秋、男性は取材に応じ、重い口を開いた。
「お母ちゃんを殺した時の記憶はほとんどない。ただ、自分の中の大きな何かが崩れた。
もうこれで終わろう。自分もあの世に行こうと。それだけやった」。
この女性を担当したケアマネの女性が一言「あの時、奥さんを1日でも預かる施設があれば・・・・。この国の介護制度はおかしい」