時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

11月のカレンダー

2021-10-30 14:19:56 | 写真
カレンダー作りで、これまで古い花の写真から季節の花を探し選んでいたが、コロナ感染者が減り通常生活が戻り写真を撮りに出かけられそう。11月になれば比叡山ガーデンミュージアムに行く予定を立てている。























おわり

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10月のカレンダー

2021-10-07 10:59:28 | 写真
10月のカレンダーの写真はバラがメイン、もうすぐ秋バラのシーズンになる。緊急事態宣言が解除になったので今年はバラの写真を撮りに出かけられるだろうか!





















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大谷翔平選手 ④二刀流

2021-10-05 13:37:09 | スポーツ
大谷選手は高校卒業後の進路について2012年10月21日にMLBへの挑戦を表明。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若い内に行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った。
10月25日に行われたドラフト会議ではファイターズが大谷を1巡目で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価して頂いたのは有り難いですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった。しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け、両親を交えた入団交渉も4度にわたって行い、3度目の入団交渉からは栗山も同席する。
交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、日本ハム栗山監督から過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方が MLBで活躍できる確率が高い点などが説明された。更に前年までダルビッシュ有が着用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示された。結果的に大谷は日本ハム入団を表明した

二刀流に対してOBから現役の選手まで、飛び交う否定的な声、パイオニアに吹きつける世の中からの風は、決して温かくはない。いつしか二刀流という言葉が一人歩きを始め、その挑戦に対する否定的な声が飛び交うようになる。
「二刀流なんて、ケガをする」「どっちも中途半端になる」「二兎を追う者は一兎をも得ずだ」「プロを舐めるな」

◇日本のプロ野球でファイターズ以外に入団していれば今の二刀流で活躍している大谷選手になっていたか判らない。プロ野球の野球理論では打法はダウンスイングで、打ち上げるより打ち降ろして球に回転させて飛ばすほうが効率的と考えられているから、大谷選手のアッパースイングは他球団ではコーチにフォームを直させられているかも知れなかった。
ファイターズ5年間で85回登板して42勝15敗で防御率2.52、打撃は打率0.286 本塁打48本

2018年メジャーリーグに挑戦、エンゼルスに感じた縁、「僕の感じるものがすごくスッキリしていたんです。爽やかだったというか、こういうところでやりたいと感じさせてくれたのがエンゼルスでした。いろんなチームのプレゼンを聞いて、いろんな人から僕が知らなかった情報を教えてもらって、資料を読んで、そのすべてのことを踏まえて考えたとき、最後の最後というのは、何があったからということではなくなったんです。西海岸がいいとか東海岸がいいとか、そういうことでもなかったし、僕、好きな球団もありませんでした。最終的には感覚的な話になってきた、ということなんです」

◇メジャーリーグを選ぶときにヤンキースを選んでいたら、二刀流は可能だったか、無理だった可能性が高い。名門と言われるヤンキースは投手、打撃、それぞれ選手層が厚い、レギュラー争いも熾烈でファイターズ時代の打率0.286だが三振率0.305では打者としてのレギュラーは難しいかも知れない。二刀流を受け入れてくれたエンゼルスが正解だったのだが、これほど弱小チームだったとは、相手チームは大谷選手を敬遠して次のクリーンナップと勝負、野球セオリーとしては考えられないが強打者マイク・トラウト選手が離脱しているので怖くない。今年、ホームラン王は取れなかったが、トラウト選手が復帰する来期は期待できる。エンゼルスのチーム成績は77勝85敗、本塁打数190本、その中で大谷選手の今季は打者として155試合に出場し、打率2割5分7厘、46本塁打、100打点、26盗塁。投手としては23試合に先発し、9勝2敗、防御率3・18。投打二刀流でシーズンを完走した。
花巻東高校から日本ハムファイターズ、そしてメジャーリーグエンゼルス球団の選択が間違っていなかったというより、二刀流として活躍するための最適なコースだった。
フリー百科事典『ウィキペディア(参照)

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大谷翔平選手 ③

2021-10-03 13:27:35 | スポーツ
岩手県の・東北高等学校 ダルビッシュ有 ・花巻東高校 菊池雄星、大谷翔平 ・大船渡高校 佐々木 朗希、これだけの名投手を輩出していながら岩手県は甲子園の優勝はない。
野球はピッチャーだけで勝てるものではないという声もあるが、2006年の夏の甲子園で早実高校の斎藤 佑樹投手は決勝で、駒大苫小牧のエース田中将大との投手戦になり、延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合。翌日の再試合で先発を志願し4連投、最後は田中を三振に打ち取って13奪三振、早実は夏の甲子園で初優勝する。この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上最多、一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位となった。これぞ投手力によって優勝を勝ち取ったといえるのではないだろうか!
最新ニュースでは、日本ハムの斎藤佑樹投手が現役を引退、11年間で88試合に登板し15勝26敗、防御率4.34の成績だった。

花巻東高校で菊池雄星投手を育てた佐々木洋監督、菊池投手を育てた体験があれば3年後に入学した大谷選手を見て甲子園優勝も可能だったと考えても不思議ではない、しかし監督の佐々木洋は「まだ骨が成長段階にある。1年夏迄は野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。秋からエースを務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録し、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ注目を集める。
佐々木 朗希 大船渡高校「地元の学校で甲子園を目指したいです」と言っていたが、決勝戦の対花巻東高校戦では國保陽平監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも佐々木を出場回避させた。当時、登板回避問題としてメディアに取り上げられた。
2019年7月30日に行われた第101回全国高校野球選手権岩手大会決勝戦において、佐々木は登板することなくチームも花巻東高校に2-12で敗れ、大船渡高校はあと一歩のところで35年ぶりの甲子園出場を逃した。試合後、大船渡高校の國保陽平監督は「3年間で(佐々木が)一番壊れる可能性があると思った。故障を防ぐためですから。私が判断しました」と登板回避の理由を説明した。
野球評論家の張本勲が、自身の出演する「サンデーモーニング」において「絶対に投げさせるべきだった。監督と佐々木のチームじゃないですよ。チームの選手は1年生から3年生まで必死に練習して、甲子園が夢なんですよ」とコメントした。これに対してシカゴ・カブスのダルビッシュ有は自らのツイッターで、張本の発言をめぐる記事を引用したうえで漫画『ドラゴンボール』のキャラクター“シェンロン(神龍)”を持ち出し、「シェンロンが一つ願いこと叶えてあげるって言ってきたら迷いなくこのコーナー(張本の出演するテレビ番組)を消してくださいと言う」と投稿した。
一方で、甲子園の名将とも言われる高校野球の監督・元監督らからは「一番大事な決勝。理解に苦しむ」(横浜高校・渡辺元智前監督)、「回避にびっくり」(大阪桐蔭高校・西谷浩一監督)、「佐々木君が出ていたら勝っていたかもしれない」(履正社高校・岡田龍生監督)等、批判かやや批判寄りのコメントがなされ、智弁学園和歌山高校・智弁学園高校の高嶋仁元監督は、「苦渋の決断をした勇気は認めなくては」としつつ「自分なら決勝から逆算して投げられるように県大会全体でやりくりをする。無理はさせない前提だが、その上で何とか甲子園に連れて行ってやろうとした。甲子園は聖地で、成長の大きな機会でもあるから」とコメントした。また、元開星高等学校の野々村直通監督は「『お前は限界だと思うだろうが、まだやれるよ』と教えることが教育、そして『先生、僕出来ました。もうひとつ上のことが出来ました』という進歩を体験させることも教育だ」として、「佐々木君が(決勝戦で)『僕、いけます』と監督に直訴できる選手であってほしかった」と語っている。
なお、佐々木は試合後メディアの取材に対して「監督の判断なので、しようがないです。高校野球をやっていたら、試合に出たい。投げたい気持ちはありました」と答えている。

◇甲子園出場・優勝は球児たちの夢かも知れない、夢をかなえさせてやりたいという、これらの人たちの考えも間違っているとは言えない。しかし高校生はまだまだ身体の成長過程中である。
※1人の投手の投球数が1週間で500球に達した場合(登板中に達した場合は打者との対戦が完了するまで)、それ以上投げることを認めない。(2020年春から導入開始)
東北の高校野球の監督は球児たちを鍛えながら、身体の成長を見守り甲子園、その先の頂を目指している。子供たちの成長を見守り、無理をさせずに教えるというのは東北地方の風土かもしれない。
ダルビッシュ有 大阪府出身で全羽曳野ボーイズでは中学校3年生時にエースとして活躍する。高校進学では全国の強豪校から誘いがあった。甲子園優勝を狙うならば地元大阪の甲子園常連校も選択肢のひとつだが、ダルビッシュ選手の条件は「上下関係が比較的緩いこと」で選んだのが岩手の東北高等学校だった。
甲子園のその先のメジャーリーグで活躍している ダルビッシュ有選手、菊池雄星選手、大谷翔平選手は岩手県の・東北高等学校・花巻東高校出身である。同じ岩手の大船渡高校出身の佐々木 朗希選手(現ロッテ)もいずれ彼らに続くだろう。 

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大谷翔平選手 ②

2021-10-01 10:21:20 | スポーツ
大谷翔平選手は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場したので、甲子園常連の全国の高校からの誘いもあったが、センバツ大会決勝に進出した花巻東高校のエース、菊池雄星に憧れ、同校へ入学

花巻東高校の教育実践を見ると『進学の精神は、創立者が終生持ち続けた人生信条に由来します。それは、すなわち感謝・報恩・奉仕の精神であり、さらに郷土を愛し、豊かな郷土は豊かな心を持った人々によって築かれるという愛郷心によるものです。
 誠実に、敬虔な態度をもって真理を探究し、徳性を磨いて、社会に貢献することのできる人材を育成することを目的としています。そして「師弟同行」を校是とし、その具体的取り組みの「礼を正し 場を浄め 時を守る」の教えは生徒のみならず、むしろ教師自身が率先垂範することによって、心を共有し、心でもって心を伝える、いわば心の教育の土台となるものなのです。』

花巻東高校に入学して恩師・佐々木洋監督に出会う、佐々木監督は大谷選手に「マンダラチャート」を教える。高校1年の大谷選手は「目標達成シート」を作成。マンダラチャートはマンダラの約束ともいわれている。
・目標が明確になる
・目標を達成するために必要な項目がわかる
・コミットしなければいけないことが可視化される
◇マンダラチャートの書き方・使い方3ステップ
STEP1.9×9のマスを作り、真ん中に「自分の成し遂げたいこと」を書く
STEP2.真ん中から1マス離れた8マスに「成し遂げたいこと」を達成するために必要な「要素」を書く
STEP3.「8つの要素」を得るために必要な「8つの行動目標」を書く



◇大谷選手が岩手県花巻東高校を選んだのは正解、人格形成に必要な校風、謹厳実直の教えが身につき、今も行動に表れている。指導者として素晴らしい佐々木洋監督に出会ったのも幸運だった。
マンダラの約束の中で目標を達成するための8つの要素、要素を得るために必要な8つの行動目標、高1の少年が目標達成のために課した64の行動目標を日々実践するのは大変だったと推測されるが、これらが身についているからこそメジャーリーグで一流選手になった今でもゴミを見つけたら拾い、不満があっても審判に逆らわない、応援される人間になりたいとファンを大事にしている。
メジャーリーガーの中でも見劣りしない体格を見るとマンダラの約束の体づくりを高校生の時から続けてきたのだろうと考えられる。しかし高校生活では野球だけでなく授業があり勉強もしなくてはならない。残りの時間は少ないその中で野球の練習では出来なかった「FSQ. 90Kg」フロントスクワット「RSQ. 130Kg」 リアスクワットの筋トレ、体幹強化などを実践していると時間が足りない。64の行動目標はひとつひとつ内容があり奥が深い。笑顔を見せて活躍をしているが努力して鍛練してきたからこそ今がある。
フリー百科事典『ウィキペディア(参照)

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