時の流れの中に!

少子高齢化の中で高齢者はどう生きて行けば良いのか。

認知症予防 けんこう教室では

2022-03-29 11:52:36 | 認知症
昔話をすることは認知症予防に効果があるので話し合いましょうと言っても知らない人たちが集まって話が弾むとは思えない。そこでひとつのテーマに対して各自が意見を述べるようにする。クイズ形式で答えを考えて書く、話す。思い出が甦れば忘れることはないだろう。
〇想い出クイズ
◆1950年代後半に家電3品目が『三種の神器』と呼ばれていました。それはどれでしょう!
「白黒テレビ・炊飯器・掃除機・洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ」
☆三種の神器を我が家で購入した順番は!
◆NHKがテレビ放送を開始した年は!
「1951年・1952年・1953年」
☆テレビ番組で覚えているのは!
◆指宿はなんと読む!
◇「      」
◆その都道府県名は「      」
☆その地方の名勝、名産 他
◆テレビで活躍しているタレント指原 莉乃は!
◇「         」
◇元のアイドルグループは!
「モーニング娘・AKB48・乃木坂46」
◆NHKがテレビ放送を開始した年は!
「1951年・1952年・1953年」
☆その当時に好きだった番組は!
◆「上を向いて歩こう」の歌手名!
◇「        」
☆あなたが何歳の時のヒット曲!

※ヒント、当時の出来事、うたごえ喫茶登場、「お呼びでない」、巨人、大鵬、卵焼き、「地球は青かった」

※その他、年代別ヒット曲、映画、日本テレビのクイズ番組 あなたは小学5年生より賢いの?を参考に問題を考えている。
□けんこう教室では2時間の予定で前半の体力つくりが45分、休憩5分、想い出クイズは70分になる、☆は一人ひとりコメントして頂くので時間が予測できない。参加人数なども考えなくてはならない。

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認知症予防 けんこう教室

2022-03-25 14:08:57 | 認知症
大阪に転居してから駅前の喫茶店に時々行くようになった。店内で車いすの老婦人を良く見かけた。目を合わせることもあり、頭を下げる挨拶をするようになった。老婦人は90歳ぐらいだろうか正しい年齢は聞いていない。車椅子では出かけるのも余りできないだろうなと思い、そこで季節の花のカレンダーを渡そうと準備をした。カレンダーなんて2枚もあれば充分なのだが、色々な花を見せてあげたいと思い10枚ぐらいは渡すことにした。カレンダーを渡す時に初めて話をした。始めは花の話だったが途中から九州の話になった。それまで聞き手だった老婦人が九州のここが良い、あそこも良かった、あそこには従妹の家があり行ったと雄弁に話し始めた。話も途切れ終わりかなと思ったが、考える仕草をみせ、また話し始めた。別の話もあるが、一度聞いた話の繰り返しもある。
それ以来、毎月カレンダーを渡すようになったが、去年突然見かけなくなった。息子さんの店主にどうしたのですかと聞いたが、「別のところに移った」とだけ聞かされた。他の家の事などでそれ以上聞けない。カレンダーをどうするか迷ったが、礼を言ってカレンダーを受け取るので、老婦人は別のところで元気に暮らしていると思って渡した。今も老婦人に会うことはないが毎月続けてカレンダーを渡している。
老婦人とは最初で最後の会話となったがあの時の事は忘れられない。
花の話からむかし九州で見た花とリンクすれば、その時の九州の思い出が甦る、花の風景、食べ物、友人へと広がっていく。思いだそうと目を閉じてゆっくりと話している、記憶と記憶が繋がり脳は活動を始めているのだろう。認知症になれば最近のことは忘れ古い記憶だけを思い出す。やがてさらに認知症が進むと古い記憶も思いだせなくなると言われている。古い記憶も思いだせなくなるのは話す場、機会がないから忘れていく。普段の友人、知り合いとの会話は、世間話、人の噂、家族を含めた健康に関する話などで昔話をすることはない。
定期的に開催する予定のけんこう教室では、昔のことを思い出すクイズなどで、昔のことを思い出し話してもらう内容を考えている。

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認知症予防 若年性認知症

2022-03-21 12:49:41 | 認知症
若年性認知症の世界的シンボル、クリスティーン・ブライデンさん
1949年イギリスに生まれ、学生時代から人並外れた優秀な能力を誇り、語学力においては世界でもトップクラスの成績を残し、オーストラリア政府の上級行政官として輝かしい業績を打ち立て、科学技術への貢献に対して国家公務員勲章を授与されている。
職場では理不尽な改革を阻止しようと奮闘し、報われない結果をストレスとともに受け入れ、家庭では暴力をはたらく夫をもつ妻として、また、3人の娘を守る母として凄まじいプレッシャーにさらされ、人生をやり直すために起こした離婚訴訟の真っただ中で悪戦苦闘している。
1995年、人の名前やスケジュールを覚えられず、娘たちを送迎する道も
    間違えるようになり、46歳でアルツハイマー型認知症と診断
    を受け退職。
1998年『私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者から見た世界』
    を出版。
1999年ポール・ブライデンと50歳で再婚、クリスティーン・ボーデンか
   らブライデンに改姓。講演を行ったり多数本も出版。「できるこ
   とは奪わないでできないことは支援していく」と語る最高のケアー
   パートナーと出会ったことで人生が輝きを増します。
2000年に認知症擁護支援ネットワーク(DASN)を結成。
2001年に、ニュージーランドで開かれた「第17回国際アルツハイマー病
    協会国際会議」で、認知症の本人として初めて講演をしました。
2003年認知症の人として初めて国際アルツハイマー病協会理事になる。
2004年に続編である『私は私になっていく―痴呆とダンスを』を出版。
2004年10月の第20回国際会議・京都で開催では認知症当事者として自ら
   の思いや希望を発言。変革の先駆けとなった。
2017年4月26日から京都国際会館で国際アルツハイマー病協会(ADI)
   国際会議が開かれた。 22年間にわたり認知症とともに生きる
   クリスティーン・ブライデンさん(68)も参加しました。

『扉を開く人』クリスティーン・ブライデン〜認知症の本人が語るということなどの著書がある。

※オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんの近況はネットで見られませんが現在77歳になっています。現在、認知症の進行状況は判りませんが、46歳でアルツハイマー型認知症と診断を受けましたが2017年に京都国際会館の国際アルツハイマー病協会の会議で講演を行っています。軽度認知障害(MCI)の人は何も対策しないと70%前後の方が3~4年以内に認知症を発症します。しかしクリスティーン・ブライデンさんは22年間、認知症の症状が変わっていないことになります。その理由としては文章を考えて書く執筆活動、思い出をまとめてから話す講演活動、これが脳活として効果が現れているのではないだろうか。書いて話をする、これが認知症の進行を遅らせるのに効果があると思っている。

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